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夢Ⅰ(2)

第1話:夢Ⅰ(1)はこちら

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 二度目の根の登頂に成功したリックは、大きく伸びをし、体中の筋肉の緊張をほぐした。達成感があった。呼吸を整えながら、進行方向を確認する。

 

 

 巨木から放たれた、無数に絡み合う枝葉により太陽の光は完全に姿を隠し、闇の中を手探りで登りはじめたときは、いったいどこまでこの無謀とも思える根の登木を続けられるか不安でたまらなかったが、一つ目の根の頂上で目にした光景は、その不安をいくらか紛らわせた。
 下から見上げていたときは大都市の中心を飾るビルほどの大きさがあった根は、隣り合う根同士が、互いに重なり合い、まるで連丘のような独特の地形を形成し、巨大な根に支えられ植物としての認識を超えた存在感を放つ幹は、1つの小国くらいの大きさがあるのではないかと思うほどの迫力があった。
 互いに良好な間隔を保ちながら大ホールの石柱よろしく天を支える巨大な幹を配置しながら、根の連丘が、視界の果てまで続いている。

 壮大。

 目の前に広がる光景に、しばらく圧倒された。全身をサワサワと鳥肌が駆け抜ける。前人未踏かもしれない。想像を超えた未知の光景に、リックの心は感動を覚えていた。
 小さく芽生えた好奇心の微かな支えとなったものがあった。
 それは、はるかに続く根の連丘や大木の幹を、影の世界でうっすらと浮き上がらせている弱く発光するコケの存在と、一定の間隔で、はっきりとした輪郭を保ちながら、白く降り注ぐ光の筋だった。
 発光するコケにより、影の世界で、前進に必要となる足元の視界は確保出来そうだし、降り注ぐ光の筋は、進むための目印にすることが出来そうだった。

 この連丘が「どこまで続いているのか。」という疑問は、行き場のないこの状況で考えるにはあまりに恐ろしすぎるのか、淡い光のように生まれたが、リックの認識の外で留まった。

 

 

 二つ目の根の丘の頂上で、リックは一息着くと、まだかなり先にある第1目標の光の筋で進行方向を確認し、三つ目の根の丘へと続く進路へ足を踏み出しながら、ふと、腕時計に視線を落とした。心にゆとりが出てきたのか、「日の光を目印にしているのだ、進めるのは日中のみだな。」という考えが浮かび、時刻が気になったのだ。
 蛍光色に光るアナログの針が、暗闇の中に8時52分を明示していた。
 文字盤上の3針の動きに違和感を覚えた。目を覚まし、ここまでくる間、精神安定を兼ねた方向確認で何度か文字盤を見てはいたが、ここで初めて秒針が小刻みに「ⅳ」を行ったり来たりしていることに気づいた。

 信じられない。まさに、間抜け。

 腕時計は、壊れていたのだ。
 昨日までは正常に動いていたので、今日の朝、壊れたことになる。クサハラで目を覚ました時に、確認できたはずである。混乱していたこともあるが、若草の香りと日の光に浮かれていたことを悔やんだ。急に、今のこの状況がとてつもなく不安になりだした。そもそも歩き出す前に、他にも、もっと何か確認出来たのではないか、本当に書類カバンは無なかったのか、探せば見つかったのではないか、進む方向はこちらでよかったのか。ここはどこだ。若草の空地にいたほうが、助けが来たのではないか。不安は不安を呼び、リックはその場に崩れ、泥や樹液だらけの手で頭を掻きむしった。思い切り叫びたかった。しかし、叫ばなかった。口の端から唾を垂らしながら、静かに泣くことしかできなかった。

 

 時間だけが過ぎていった。

 押しつぶされそうな不安や、久しぶりに体を動かした疲労感から、リックは眠りに落ちていった。もう、どうでもよかった。
 ことり、ことり、こと、り、時間を止める様に静かに思考が停止した。

 
 

 光、歌声。

 賛美歌だ。

 小さい頃は、教会が好きだった。日曜日には、母親の手を引くように、教会に通った。むずかしい話はほとんど理解できなかったが、古い木造作り特有の建物の甘い香り、深い色をした様々な模様のステンドグラスから差し込むあたたかな光、母親の手の温もり、歌声、すべてがそこにあった。
 高校、大学と進む間も、実家暮らしだったリックは、毎日曜日の教会は習慣となっていた。信心深かったわけではなく、その教会は、建物の1画を一般開放していて、その静かな空間が好きだった。イヤホンで好きな音楽を聴いたり、本を読んだりして過ごした。

 夢を見ていた。

 それは夢だと実感できる夢だった。
 教会のお気に入りの部屋で、リックは1人だった。
 机や椅子はなかった。
 がらんとしたその空間には、あたたかな光と甘い香り、そしてリックがいた。不安は無く。とても穏やかな気持ちでいっぱいだった。
 遠くから賛美歌が聞こえていた。

 
 

 目を覚ましたリックは、のっそりと上体を起こした。
 しばらく何も考えられなかった。相変わらず、根の連丘はそこにある。

 

 思考が徐々に力を取り戻しはじめた、泣いたためか、夢のおかげか、眠る前より頭がすっきりしていた。
 今の正確な時刻はわからないが、森に踏み込む前に見た太陽は、高くはなかった。太陽の高さから考えても、8時52分で止まっていた腕時計と太陽による方角設定は、それほど大きく外れてはいないはずだ。根拠なく決めたが、僕は確かに南を目指していた。
 南を選んでいてよかったと思うことがあった。光の筋の差し込む角度の変化でだいたいの時間がわかるはずだった。眠る前は、右斜めに差し込んでいた光の筋は、ほぼ垂直を示し、徐々に反対へ傾きだそうとしていた。大体、正午くらいだろう。2時間ほど寝たことになる。

 リックは前進することを決めていた。空地に戻る気は無かった。

 

 久しく忘れていたが、胸を中心に体中にふつふつと湧き上がるものを感じていた。
 とても小さな感情だったが、それは怒りだった。
 小さな怒りは、なにか得体のしれないものに向けられていた。

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