夢Ⅰ(3)
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二日目よりも三日目、三日目よりも四日目と行進作業も要領をつかみはじめ、一日で進める距離も長くなってきていた。
五日目で、リックは第1目標としていた光の筋に到達した。と言っても光の筋は、時間を追って刻々と位置を移すため、光の中に入ることはできなかったが。
光の筋は、左手2つ先の丘を照らしていた。時刻は、だいたい3時から4時の間くらいか。「もうすぐ、光が消えるころだ。」今日は、ここまでにすることにして、明日は1日この丘で過ごすつもりだった。30分程度ではあるが、光の筋がこの丘を通ることを確認していた。
久しぶりに浴びる日の光が、今から待ち遠しかった。
リックは腰の上着をほどくと、その場に大きく仰向けに寝転んだ。スーツの上着は、動きにくく最初はやり場に困ったが、今は腰回りで食料を包む役割を担っていた。
疲労感はあるが、しっかりと余力は残している。
しばらくして、音もなく光の筋が姿を消すと、天窓のような深い青色をした穴が枝葉に縁取られてぽっかりと開いていて、それは、黒い空に出来たシミのようだった。
「不思議な光景だな。」
「このまま、僕を吸い込んでくれないだろうか。」
想像の中で、空へと吸い込まれていく光景が鮮明になり、そうなれば、そうなったで慌てている自分の姿が脳裏を過り、身震いがした。
現実になりかねない考えを頭の外へと押しやるため、勢いよく立ち上がると「よし。」と元気に声をかけ、スーツパンツの尻に張り付いているコケを、勢いよく叩き落とした。
束の間、細かなコケが飛散して、リックを金色の発光が包んだ。
寝るまでには、まだ時間がある。日課になりつつある、寝床探しと食料調達のための探索に取り掛かりながら、リックは初めて過ごした森の夜を思い出していた。
初めて、光の筋が消えるのを見た日。目標が消えてしまったリックは、進むことをやめ、その場に座り込んだ。
リックには、日の光が刺す、朝を待つことしかできなかった。
夜になると、森は存在感を増して、ぽつりと一人でいるリックをどよりと覗き込んできた。何をすればいいのかがわからず、ただただ、夜の時間が過ぎ去ってくれることだけを願って、森の気配を窺っていたリックを、ふいに強い空腹感が襲った。「そういえば今日は、朝に栄養補助食を口にしただけだ。」それも、くわえていた記憶しかないので1本食べたかどうかもわからなかった。空腹に気が付くと、次いで、喉の渇きにも悩まされた。
満たされる保証のない空腹や、のどの渇きが、交互にくるくるとリックの体を通り抜けた。
森は、もともと温かさとは無縁の世界だったが、夜になると完全に生命活動を停めるように、どんどんと気温を下げていく。動くことをやめたリックの心には、肌から忍び込む寒さはとても応えた。
膝に顔を埋めながら、なすすべなく「それ」を感じた。
どこかすぐそばに佇む「それ」は、今にも襲い掛かってくるような気配で、むき出しの恐怖を与えてきた。ただただ、怖かった。
「死にたくない。」
恐怖が、刺すように思考と肉体に割り込んでくる。
空腹感やのどの渇き、森の寒さに震えながら恐ろしく長い時間が過ぎた気がした。
あらゆる恐怖を体から引き離すため、意識が白く曖昧になって行くその過程で。気のせいだろうか。チロチロと、下半身から伝わってくる微かな、だがしっかりとした温もりを感じ、リックは我に返った。
疑心を拭いきれないまま、そっと地面に触れ、探る。
ゆっくりと丁寧に手を沿わせると、地面そのものが温もりを持っているようで、掌を伝い確かな温もりが伝わってくる。温もりの元は、移動中ずっと足元を照らしていた、辺り一面に生えるコケだった。
手に触れる微かだが優しい温もりを、リックは、とても頼もしく思った。
出来るだけ多くコケに体が収まる場所を探し移動することにしたリックは、すぐに、それを見つけることが出来た。日中に何度かはまりかけ、悪戦苦闘を強いられた根のでこぼことした起伏は、うまい具合に寝袋の役割を果たしてくれそうな形状をしていた。リックは、スーツの上着を体にかけ自然の寝袋に潜り込んだ。空腹感とのどの渇きは癒えていなかったが、幸福感に満たされていくことを感じていた。
5度目の夜を迎えるリックは手慣れたもので、すぐに食料となる果実と、水分を得るための多肉植物を探し当てた。
二日目に発見したそれらの様々な植物は、大木の根を苗床にして育ち、影の世界でスポットライトを浴びるように、金色に浮かび上がり各々のシルエットを強調していた。
寝床も、自然の寝袋に加え、周辺のコケを集めることで初日のそれとは比べ物にならないくらい快適に夜を越せるようになっていた。この森のコケは、はがしてみて分かったのだが、大字典3冊分ほどのしっかりとした厚みを持っていた。
初日に抱いた夜の森に対する恐怖心は完全に無くなっていて、リックは、人間の適応力の高さをひしひしと実感していた。
光の筋を追う日々の中で、どれだけの月日が流れただろう。
森に入り、ひと月掛けて7つの光の筋を超えたところまでは、意識して日にちを数えていたが、ふた月目に入り、光の筋が差し込まない日が出てきた。
曇りや、雨の日だ。
確実な進路確認の出来ない、それら悪天候の日は、進むことをやめるようにした。
不思議と不安はなかった。
そんな日が増えるうちに、日数を数えることが馬鹿らしくなり。数えるのをやめた。
森の中での生活にもう不便は感じなくなっていた。
仮に冬の様なものが来ても何とかなるような気がしていた。
この連丘が、どこまで続いていようと、もはや、関係なかった。
訳もなく光の通る丘に留まることも多くなり、食料が尽きると、隣の丘へと移動した。
何のために、前進していたのか疑問に感じるようにさえなっていた。「何のために人を探していたのか。」「その人に、どうしてほしかったのか。」「本当に、元の場所に戻りたかったから人を探したのか。」
今の生活に不便は感じなくなっているのは確かだった。
服はもはや原型をとどめていなかったし、髪も髭も伸び放題だったが、他人の視線を気にする必要はなかった。
何より、影の世界だ。
ただ、ときおり他人との会話を痛烈に恋しく思うときがあった。
自分の笑い声で目を覚ますこともあった。目が覚めた後では、理由はわからなかったが、涙を流していた。
リックの肉体が対話を欲していた。
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