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夢Ⅰ(4)

第1話:夢Ⅰ(1)はこちら

第3話:夢Ⅰ(3)

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 ここひと月ほどは、移動することをやめ、リックは同じ丘を拠点に生活していた。丘は、これまでで一番大きく、植物も豊富で、そして何より、光の差し込む面積がとても大きかった。
 朝方に光が差し込むことも気に入っている理由だった。
 正午頃の光は、ギラギラしていて好きになれなかった。

 

 ある夜、コケのソファに腰を掛けて。足先から膝、指先から腕、腹へ、金色の月明かりがじりじりと肉体を浮かびかがらせていく様子を眺めながら、穏やかに流れる時間を過ごしていた。その様子は、とても神秘的に思えた。闇から徐々に浮かび上がる肉体は、まるで別の人間であるかのような神々しさを放っていた。
 月明かりが丘の全容を照らし出そうとしていたとき、視界の端で別の明るさを捉えた。それは、森に入って、初めての経験だった。その明るさは、闇の色彩の差異程度のものだったが、影の中での生活に慣れた目には輪郭まではっきりと存在を確認できた。左前方の丘の麓、ちょうど根と根の重なり合うあたりに、ポカリと隙間があいているのである。
 コケの禿げたその隙間から、周囲よりも少し明るい闇がゆらゆらと顔を覗かせている。
 最近は、これといった刺激のない日々を過ごしていたリックは、これまで感じたことのないほどの強い好奇心にかられ、行動を自覚するよりも早く、吸い寄せられるように、その隙間を目指し歩み始めていた。

 

 根と根の隙間と思ったそれは、洞(うろ)のようで一本の根を割くように横長に続いていた。かなりの大きさがある。この辺りはたまに通っていた。「何故、今まで気づかなかったのだろう。」
 洞の縁に膝をつき、中を覗き込んだ。暗闇に慣れているリックの目でも、闇の先には何も見えなかった。念のため持ってきていたコケの塊をかざし、もう一度洞の中を覗いた。うっすらと浮かび上がった洞の穴は、どうやら下に向かって続いているようで底までは確認できない。リックは、手にしているコケの塊を穴の中に投げ入れた。コケは明かりをたたえながら、穴の壁面に何度か衝突し、闇の中へと、溶け込み見えなくなった。
 「相当な深さがあるのか。」そんなことを考えていたとき、穴の底から笑い声が響いてきた。瞬間、耳とリックは互いを疑った。耳はそれを声として捉えているリックを疑い、リックはその器官が耳だったかどうか疑った。もう2度と感じることはないと思っていた「声」と向き合うには、努力が必要だった。胸のうちに、小さく芽吹いてくる希望。失う恐怖。「何も聞かなかったことにして、あの丘に引き返そうか。」と考えたが、思い留まった。

 数分間。耳をそばだてた。もう馴染んでしまっている「目」の世界で、長く役目を持っていなかった耳は、全神経を集中しているつもりでも、あの空気の張っている音さえ拾えているのか不安になるくらい「え、どの神経ですかね。」と曖昧な答えを返し続けた。頼りにならない。
 試しに、もう一度コケを投げ入れてみることにした。近場のコケをむしりとり、雑に丸めて、今度は恐る恐る、そっと穴に投げ入れた。待つ。すると今度は、はっきりと「笑い声」が返ってきた。しかも続きがあった。「誰か、そこにいるのか。」と。
 その問いに対してではなく、人の声に体が反応した。「どうすれば、そこに行けますか。」と大きな声で叫んでいた。長く使っていなかった喉の付け根が、ずきずきと痛い。

 静寂。

 見当違いな返事をしてしまったことを恥じた。もう一言付け加えようとしたとき。穴の底、深い闇の先から「なら、来い。」という言葉がズシリと昇ってきた。言葉を、最後まで聞き終わらないうちに、全身の力が抜けた。
 次第に遠のく意識の中、頭から穴の中へ滑り落ちて行くような感覚だけが残った。

 

 

 頭が重い、鉛でも頭蓋に流し込まれたかのようだ。どろどろと、体の原型が定まらない。しばらく、うつ伏せの状態から、頭で上体を支えては、力が定まらず崩れるを繰り返した。両腕に力を入れ、歯を食いしばり上体を起こした。激しい頭痛がする。視界を色彩が飛び交う。赤から黄、黄から銀、銀から白。
 朦朧としながらも、浜砂のようなさらさらした砂の上にいることが分かった。耳が、頭痛以外の音を拾い出した。波音。

 浜辺。

 体の痛みに抗いながら、立ち上がろうと、全意識を集中させたとき。急に「名前は何という。」と声がした。
 突然の側面からの問いに対して、無防備な状態だったリックは、反射的な悲鳴とともに飛びのいた。正確には、そうなるはずだった。飛びのこうとしたが足が絡まり倒れこみ、粗く角ばった岩肌に肘を思い切り打ち付けた。「ヒャアァァァァァアアア。」と続くはずの悲鳴は、「ヒ。」までは威勢よく飛び出したが、肘の激痛に揉み消され「うぅゥぅん」と尻すぼみに終わった。
 右肘が激痛を訴えかけてくる。
 リックは、痛みに対して沸き起こるやり場のない怒りを抑えながら、膝立ちでゆっくりと声の出所を確認した。

 影の塊。

 大岩ほどもある影の塊が、ギラギラとした粘り気と光沢を称えた赤い2つ目で、リックを睨んでいた。影の大きさとは対称的に、目線はほとんど膝立ちのリックと同じ高さにあった。
 どうやら、浜辺の洞穴のようなところにいるようだった。
 影の塊から適度な距離を保っていることが、リックを少し安心させ、少し冷静にさせた。

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                    ⇒第5話:夢Ⅰ(5)はこちら

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