本領発揮!?精神科看護の専門性
(´_ゝ`){たにぐちです!
看護系専門誌が存在するのをご存知でしょうか?
専門誌なので、なかなか目にする機会はないかもしれませんが
機会があればぜひ、ご覧になってみてください。
今回は、雑誌「精神科看護」を読んでみての個人的感想を書き記します。
「一般科」と「精神科」
この界隈ではよく耳にする「一般科」と「精神科」
「精神科」は固有名詞で呼ばれることがあるが
「精神科」以外の”科”については「他科」と表現されることもある。
看護とはすべての人を対象に展開される活動ではないだろうか?
今後そのような隔たりを無くす活動が看護には期待されているのかもしれない。
ちなみに日本看護協会の協会使命には下記のとおり示されている。
人々の人間としての尊厳を維持し、健康で幸福でありたいという普遍的なニーズに応え、人々の健康な生活の実現に貢献する。-一部抜粋-
特定を対象にした行為、行動というよりかは、”人々”という用語を使って表現されているところを考えてみると、その使命には隔たりはないように思う。
そのような意識状態であることが望ましいのかもしれない。
精神科看護の知識の活用
精神科看護の知識はどのように活用されるのだろうか。
それは、その人次第かもしれない。
「バカとハサミは使いよう」という言葉がある。
この言葉は、能力のない者に対していうのではなく
その使う側の能力を言ったことばである。
知識や技術はある程度標準化されているが
実際に応用するとなると、それは使用する人次第で結果が変わってくると思う。
元来日本人は心の動きを読むことが出きる能力を持っている
相手の心の動きを敏感に読み取る。自分の言動による相手の心の動きをリアルに想像する、これは礼儀で代表される日本伝統文化の強み。
精神科で日々実践していることは
常に相手の心の動きをよみ、合わせて自分の心の動きを読みながら
抱く感情に一致して、認識のずれを埋めながら、相手への理解を深めていく。
これは患者対応を、看護業務だと捉えていると難しいのかもしれない。
精神科の看護師は、理解を深めつつ
相手を思う態度を非言語で伝え、精神的苦痛の緩和を図っている。
傍からみると何気ない対話が、ケアにつながっていくのである。
分断された社会で
高度経済成長、成果主義、共働き、核家族、人口の一極集中、ソーシャルネットワークなど戦後から100年も経たない間に日本の環境は大きく変化した。
多様性が求められる現代で、技術はめまぐるしい進歩を遂げているが、人間の心は取り残されているように感じる。
周囲の環境に流され、周囲の環境に合わせようとした結果、自分との調律を合わせられなくなり、不協和が生じているように感じる。
調律のできていない楽器から、心地よい音色が響くことはない。
心も同様だと捉えている。
そんな心の調律を行う技術
それが精神科看護の専門性ではないだろうか。
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