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この世界、地獄だけじゃないんだって。

最近、無意識のうちに喜怒哀楽の感情に蓋をして日々を過ごしている。
だから、12月事故にあって買い替えた自転車のタイヤが、何者かによって悪戯されているのを見つけたときも強い感情は湧かなかった。

ただ、喉に魚の骨が刺さっているような感覚があるだけだった。

受け止めるしかない事実を頭の中にぶち込んだ。

もちろん、事故に遭ったことも自転車が壊されたことも心が重くなる出来事だったけれど、このときの感情に「かなしい」という言葉を当てはめようとすると、赤黒く染まったわたしの心ではその言葉だけ浮いてしまう。




もうスタンドの力だけでは立てない自転車を目撃した日。金曜日。21:00。
「エゴイスト」という映画を見た。
レイトショーで映画を見るのは初めてだった。
辺りが静まっている中で、映画館は大人と僅かな子どもで賑わっていた。




最近、無意識のうちに喜怒哀楽の感情に蓋をして日々を過ごしている。
だから、映画とか小説とかの力を借りて日常に喜怒哀楽をつけている。

いや、「楽」しいという感情はある。
ただ、「喜」があれば「哀」があるのは必然だから、どちらの方向にもわたしの感情を引っ張らないようにしている。

だけど、わたしの中で映画の世界と物語の世界では豊かな感情を持つことが許されているようだ。

映画と本を目の前にしたとき、わたしは鎧を脱いでいる。

溢れる感情。
とめどなく流れる涙。
思わずこぼれる笑み。


この世界に、映画と本があって本当に良かった、と。

そして、人はひとりでは生きていけないんだ、と。




映画「エゴイスト」の中で次のような言葉がある。

この世界、地獄だけじゃないんだって。

浩輔に出会った龍太は母にこの言葉を発していて、彼を愛した浩輔はこの言葉を彼の母を介して知る。


裕福ではない家で生まれ育ち、たくさんの世界で生きてきた彼の言葉だからこそ、この言葉を深く感じる。


これ以上わたしの言葉にすると、陳腐になってしまいそうだからここまでにしておく。


劇中、たくさんの好きな言葉があったけれど、
上映後、透き通る空気と星空の中で思い出したのはこの言葉だった。



この世界、地獄だけじゃないんだって。

わたしは地獄を知っているのかもしれないし、知らないかもしれない。
そんなこと、いつまで経っても分からない。

確かなのは、明日も起きてみようと思う何か
があるということ。

わたしは触れたことの無い景色、本、映画がある限り、きっと、起き続ける。



今、わたしが思い出すのは、

上映後、23:00。映画館の隣のベンチ。

ひとりで缶ビールを飲んでいた同世代のひとのこと。


5秒くらい、見つめあっていた。


気がする。


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