n回目の東京。ここではないどこかへ、行きたかった。
「ここではないどこかへ、行きたい」
ずっと、そう思っていた。
※※※
1回目の東京。
2013年。たぶん、春。
海外に赴任していた父の帰国に合わせて、母と妹と新幹線で向かった東京。
駅で待っている父の姿をいまだに覚えている。それ以外のことはほとんど遥か彼方に葬られてしまった。
唯一記憶に残っているのは、建設されたばかりの東京スカイツリーに行ったこと。
エレベーターの中はきらきらとピンクや銀色に輝いていた。その日は曇りで、ソラカラちゃんの付箋をもらった。展望台から見下ろした景色はどんなだったっけ。確かなのは、展望台の歪みに気分が悪くなってしまったことと、東京の空気に喉を痛めてしまったこと。
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n回目の東京。(1<n<5)
2019年夏。
オープンキャンパスに行くために、初めて一人で向かった東京。
ICカードは持っていなかった。
だから、都内を移動するために切符を買った。
とにかく、路線の数も電車の本数もホームの数も改札の数も多すぎるし、聞きなれない「ピッ!」という機械音は騒がしい。これが東京なのか。
そして、止まることなく人が流れていく景色は異様だ。
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n回目の東京。(1<n<5)
2021年秋。
大学生になって初めて行った東京。
オンラインでしか話したことがない人たちに初めて会った。
2Dが3Dになるという味わったことがない感覚と、立川駅を出たときに広がるロータリーが大きいなと思ったこと。強く覚えている。
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n回目の東京。(5≦n<15)
2022年。
池袋駅東口にたくさんの記憶を詰め込んだ1年。
東京とは無縁で生きていくと思っていた。あれ、おかしいな。いつの間にか、東京が私の逃げ場になっていた。心が安定しない1年だったからこそ、個人なんて特定されない、人で溢れる東京に行っていたのかもしれない。ただ、住む街から離れたかったのかもしれない。
「東京」で出会った人と、「住む街」で出会った人と、会う場所。
でっかいドン・キホーテ。
初めて利用したチェーン店。
東京に降り立ち、東京から去るためのバス停。
それらは、池袋駅東口にあった。
そして、
高速バスで時間をかけて、向かう東京、帰る地元。私にはこの時間が必要だった。きっと。
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n回目の東京。(15≦n<18)
2023年冬。
カメラを買うために行った東京。
「ふたりclip」の雰囲気に憧れてカメラを持ってみたいな、と思った高校3年生、春。家から外に出られない、あの春だった。
あれから、3年。本当に好きなものこそ、「好き」と口にできない私はお二人のことがここまで好きだとは誰にも話したことがない。貶されるとか思っているわけではないのだけど、私の心の中の「好き」を上手く言葉にできる自信が無くて、言えない。
フジファブリックを愛した高校時代とか。
坂道グループを推した中学時代とか。
1990年代の若者として、この世に生を受けたかったと思うほど、1990年代の音楽が好きだとか。
上手くはないけど、歌うことが好きだとか。(上手くはないけど、って結局逃げてしまうんだ。)
「書くこと」が胸が苦しくなるほど好きだとか。
絵本特有の柔らかくて芯のある雰囲気が好きだとか。
言葉にできていない「好き」がまだ私の中にはたくさんある。
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私は「私が暮らす街」から目を逸らし続けていた。
記憶がたくさん詰まったこの街からとにかく出ていきたかった。
一時的に「ここ」から離れることを繰り返した。
そのなかで、
思わぬ場面で出くわした「私が暮らす街」。
池袋で見慣れた景色の写真を目にしたとき、
旅先で良く知る名前を見たとき、
私の日常が存在する場所が舞台となった映画やドラマの話をしたとき、
私が住む街を走る電車について話したとき、
当たり前のように私を取り囲んでいる自然について話したとき、
もしかして、
「私が暮らす街って、魅力的なのかもしれない」と。
※※※
ここではないどこかへ、行きたかった。
行けなかった。
この街に住む、残りの期間。
きっと、魅力で溢れているこの街で、
「ここ」の思い出を想い出にできるように、
言葉で、写真で、私の目で、のこしていく。
ファインダー越しに見える景色を、
言葉の先に見える景色を、
抱きしめていく。
※※※
「ここ」で暮らしてきた私にとって、
東京は、きっといつまでも異様で特別。
(※nは自然数とする。)
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