Kyon

エッセイや詩など書いてます。哲学カフェをやってます。この世の表だけじゃなくて裏も知ろう…

Kyon

エッセイや詩など書いてます。哲学カフェをやってます。この世の表だけじゃなくて裏も知ろう。神秘的なことも。 Philosophy / Anthropology / Dialogue / Pharmacist / Psychiatry / Poet / White Magic

マガジン

  • 哲学カフェの記録

    僕が奉還町4丁目ラウンジカドにて月一回開催している哲学カフェの記録を公開しています。第11回から記録を開始しました。今後どのように使っていくかは考え中です。

  • 詩と偈頌

    今まで書いた詩や偈頌をまとめたものです。 偈頌は瞑想を手助けするような、簡単な詩のようなものです。

  • ”わたしたち”であるために~自己と他者をめぐる哲学エッセイ~

    自己、他者を考えるためのエッセイ集です。僕の中心にある仏教の倫理や哲学その他さまざまに影響を受けたものが自然に混ざっていると思います。 僕の体験を極めて“具体的に”書いています。具体的なことはいつも複雑です。慣れてない人には一見抽象的に感じるかもしれませんが、僕の試みは常に具体なのです。真剣なことを真剣に伝えようとすればするほど文体は難解になるし、表現も強くなります。けれど、僕がここで伝えたいことはこのような形式でなければいけないのです。

最近の記事

哲学カフェ「美とは何か?」

第15回哲学カフェ『美とは何か?』 2024.7.19(金) 19:00-21:00 @奉還町4丁目ラウンジカド 説明文:今回は趣向を変えて、美について。美しいもの、美しいこと、美術作品などそういうことについて考えてみたいと思います。人は何に美を感じるのか、人それぞれのように言われやすいようで、普遍的な美についてもよく論じられます。どのような条件?時代や国によらず愛され続けている作品や伝承もたくさんある一方で、趣味嗜好がよくわからず美を感じられないものもあります。人が作った

    • 哲学カフェ『運がいいってどういうこと?』

      第14回 2024.6.15(土) 18:30-20:30 @奉還町4丁目ラウンジカド 説明文:前回の選択可能不可能というような話を巡るなかで運について考えてみたくなりました。そもそも運がいいとは、その人が望んだものあるいは望んでないものがやってくるというような文脈で使うことが多いように思います。思っても見なかった幸運な出来事、どうしようもない不運など。この言葉にはなんとなく自分の領域を超えたものからくるものという印象があります。それは人間が勝手にあるような気がしてるだけな

      • “歴史“に入りこむために

        子どもの頃、歴史が苦手であった。歴史で起きたことを時間に沿って並べて覚えていなかった。説明もできなかった。問題文とそれに対する回答という名の単語の羅列しか自分のなかにはなかったのだ。大人になってもほとんど覚えていないのが、歴史だった。 しかし、ある物事には全て歴史が、存在する。例えば僕の専攻していた薬学にも当然ながら歴史が存在した。その成り立ちや起こってきたこと、変わってきたこと、重大な発見によって名前が残っていった人達。教養をつけたいと思いながら、教養ある人は全員が過去の

        • 「ある学問を学んだ」とはどういうことか

          ある学問を学んだ人が、本当にその学問をきちんと学んだかどうかというのは、その領域の負の側面をきちんと知っているかどうかによって位置付けられるというふうに僕は思っている。 例えば僕は薬学をやったけれども、それは「薬学は人の病気を化学物質でたくさん救った素晴らしい学問です!」と堂々と胸を張ることではないと思っている。それはおそらく薬学を知らなくても少し薬学について調べればみんなが理解可能なことのように思う。そうではなくて、薬学がしてしまったよくないこと、薬学が社会に及ぼした(及

        哲学カフェ「美とは何か?」

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        • 哲学カフェの記録
          5本
        • 詩と偈頌
          41本
        • ”わたしたち”であるために~自己と他者をめぐる哲学エッセイ~
          31本

        記事

          毎日の詩、抜粋 2024年6月

          2024.6.1 『歩く先に』 上を向いて歩こう それは星空が澄んだ空気を満たしてくれたなかで 生きていることを知るために そのあとに 下を向いて歩こう それは地上を彩る草花が天空を投射した 美しき模造であることを知るために そして正面には友がいる 2024.6.2 『日々が歴史に』 消費者でしかない人間が 自ら関わりつくる側となること 一部の人にしか与えられない 人間の生きることの責任と力 継続していく歴史の層に積み重なる日々は 様々な違いを経てカタチとして結実する 2

          毎日の詩、抜粋 2024年6月

          僕がやってる哲学カフェは要するに即興の質的研究という感覚なんだよな。新たな視点を得るために問い続ける、考え続ける場所。

          僕がやってる哲学カフェは要するに即興の質的研究という感覚なんだよな。新たな視点を得るために問い続ける、考え続ける場所。

          哲学カフェ『自分の生き方は選べるか?』

          第13回哲学カフェ『自分の生き方は選べるか?』 2024.5.18(土) 18:30-20:30 @奉還町4丁目ラウンジカド 前置きの文章: 前回、社会における人間というテーマで話したのですが、そのなかで選択不可能なこと、選択可能なことについて考えてみたくなりました。特にそれは生き方という壮大な問いについてです。生まれてくる環境などは選ぶことができないと言われます。生まれる国籍も時代も経済状況、どんな人のもとで生きていくか選べないような気もします。一方で人生は選択の連続のよ

          哲学カフェ『自分の生き方は選べるか?』

          哲学カフェ『社会における人間とは?』

          第12回哲学カフェ『社会における人間とは?』 2024年4月20日(土) 18時半から20時半 @奉還町4丁目ラウンジカド 前置きの文章 前回は現実とは何か?というテーマでやりました、現実そのものに対する話だけでなく、現実とどのように向き合っていくかということに関してそれぞれ話が出てきました。そのなかでいかに社会の中で人間は生きているのかということを考えてみたくなりました。さて、人間とは社会的動物だと言われます。社会とは人間が作り出したものかもしれませんが、一人一人の人間

          哲学カフェ『社会における人間とは?』

          哲学カフェ『現実とは何か?』

          哲学カフェ第11回 『現実とは何か?』 2024年3月16日 18時半から20時半 @奉還町4丁目ラウンジカド 前置きの文章 前回の“知る”というテーマの中で「現実感がなくて、現実というのがどういうものなのか考えたい」と話された方がおりました。現実とは自明なもののようでいて考えてみると徐々にその前提が揺らいでいくものかと思います。今目の前にある事物は本当にそこに存在しているのか?感覚で捉えられるのはどれも現実のものだと言えるのか?では考えていることや感じていることもそうな

          哲学カフェ『現実とは何か?』

          毎日の詩、抜粋 2024年5月

          2024.5.2 『毒はかわされる』 目を回らせるのは外側 回っているのは私 はじまりを意味づけしたいという強い気持ちは このこころを 行動へと向かわせるのだ 私はいつだって自由 そして守られている そう理解することが この世界に結界を張って暮らすこと 2024.5.5 『”混沌の首”より』 我々が向かう世界は 欺瞞に満ちているという悲しき現実を まざまざと見せつけられる 祭壇に飾られる生命を象る角 人々はその前で芸術的に狂う 私たちの生命は 有限のもの 死ぬもの 戦う暇な

          毎日の詩、抜粋 2024年5月

          出遅れたら、その分長く生きればいい。人はその時が来るまで意志の力で死なないでいられる、この世界に魂を繋ぎ止めることができる。自分がこれでいいと思ったら徐々に自分の意志を解いて肉体から魂を解放すればいいのだ。それはある程度自分の力で制御できるものだと思えるかどうかが大切だ。

          出遅れたら、その分長く生きればいい。人はその時が来るまで意志の力で死なないでいられる、この世界に魂を繋ぎ止めることができる。自分がこれでいいと思ったら徐々に自分の意志を解いて肉体から魂を解放すればいいのだ。それはある程度自分の力で制御できるものだと思えるかどうかが大切だ。

          精神科は見た目に出る

          ようやく自分が気になっていた精神科領域に入り込みはじめました。 やはり改めて思うのは精神疾患は見た目に非常に出やすい疾患であるということ。「見えない病気」というような言われ方をされることがありますが、僕はそうではないと思います。精神科医の斎藤環先生も精神科は見た目にかなり出る疾患であるということを言われています。むしろ、内科系疾患の方が見た目では分かりにくい。例えば有名な生活習慣病の糖尿病や高血圧など見た目では非常に分かりにくい。見た目に出てしまうほどになるというのは相当な

          精神科は見た目に出る

          毎日の詩、抜粋 2024年4月

          2024.4.1 『真の音を聞け』 耳をそば立て 大事なことを聞き逃さないように それは小さな音なんかじゃなくて 他の人には聞こえない音なんだ それは日常の雑踏のなかでも聞こえるけど どこに聞こえてくるかは チューニングしなきゃいけない そう それが真の音 意外と大きいのだ 2024.4.2 『意味を超えて続く生活』 ショックが天から与えられ、これは試練なのか やめろというサインなのかわからず ただただ 雷に打たれただけだった そしてその啓示とは 全く関係しないところで進ん

          毎日の詩、抜粋 2024年4月

          毎日の詩、抜粋 2024年3月

          2024.3.1 音が響いている 部屋のなかで ただ燃え続けているものは日々 救われない魂が 一緒に歌う声は虚(うつろ)だが 心に訴えかける その隣で身体のぬくもりを 感じながら 互いの幸福を喜ぶ 男女に少しだけ嫉妬するだろう 2024.3.2 この身体のよろめきを 少しだけ高く持ち上げる 扉はそこに待っている 重たかった腰はもう軽い 誰かが、あるいは何かが運んできた 天使の羽を手に載せて この言葉のままに世界を渡ろう それが実りの力となれば また一つ踏み出していく 20

          毎日の詩、抜粋 2024年3月

          毎日の詩、抜粋2024年2月

          2024.2.4 古い日々の幕開け 扉からは内側から叩く声 まだ何も始まっていなくても すでに始まりは不穏だ この世界はもうすでに音を立てて壊れている 我々もそれに倣って壊されている けど まだ命は尽きない だから一輪の花に水をやろう 2024.2.7 口いっぱいに含んだ水を 思いっきり吐き出す 笑いが止まらないその光景 君も同じことを真似てふざけ合っている この若々しき日々はいつまでも続かないから 一生記憶に焼き付けてほしいと 私は2人を見て思うのだよ 2024.2.1

          毎日の詩、抜粋2024年2月

          毎日の詩、抜粋2024年1月

          2024.1.2 切なさが 胸いっぱいにふくらんでいくような1日は またしても日常を思い起こさせるように 何度も迫ってくるとして “毎日”が死を想うから ずっと続く生命は いつのまにか有限をはっきりと感じるように そんな一日も鼓動を打つのだから 2024.1.6 様々なものが押し寄せてくることは 防ぐことができること だからこそ人は納得がいかないことを騒ぐ そして その背後には不条理に切り刻まれる世界が 横たわっていて、 そのなかで揺らぎつづける生命は いつも挟まれ苦し

          毎日の詩、抜粋2024年1月