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2000年前のカレー再現。高円寺かりい食堂さんと古代インド料理「クシーラウダナ」と「クックタユーシュ」を作ってみた【いにしえのインド料理研究#1】

姿も形もわからない古代のインド料理を、文献をもとに再現してみるという試み。まずは2つの料理を作ってみた。

料理というものは移り変わっていく。インド料理が今の姿になったのはごく最近のことで、これまでには多くの出来事があり、その度に変遷があった。例えば唐辛子が新大陸からインドにもたらされたのは16世紀とされており、それ以前にインドに唐辛子はなかったというのは有名な話だ。さらに、ターメリックが料理に使われ始めたのは1000年ほど前のことらしい。

であれば、もっと前の2000年前のインド料理というのはどういうものだったのだろうか。ターメリックや唐辛子が入らないインド料理は成立するのだろうか。

それを探るべく、高円寺のカレー屋さん「かりい食堂」さんと一緒に「いにしえのインド料理研究会」を実施した。


インド料理界の重鎮である香取先生によって書かれた『チャラカの食卓』という本を参考にしつつレシピをアレンジし、今回は「クシーラウダナ」と「クックタユーシュ」という二つの料理を作ってみた。

研究会の最中に石臼を使う増川さん。お店の外から中が丸見えなので怪しい雰囲気抜群。
怪しい…。


クシーラウダナを作る

クシーラウダナは名前から全く想像できないが、一言で言えば乳粥である。かつてダル(ひきわり豆)はインドにはなかったので、ホールの豆を石で砕いてから使う。ブッダが断食の修行でボロボロになった際にスジャータが捧げたのが乳粥。紀元前6世紀頃のものはおそらく牛乳と米、ジャガリー(粗糖)だけの素朴なものだったと思われるが今回は豆や胡麻なども追加し、サフランの香りも足されもう少し色気のある仕上がりになっている。米はソナマスリライスを採用してみた。

材料:
皮付きウラド豆  1 cup 
皮付きムング豆  1 cup
ソナマスリライス 2 cup
水 適量
ごま 適量
牛乳 適量
サフラン ひとつまみをお湯に浸しておく
ジャガリー ひとつまみ

工程:
豆類をアンミッカルで砕く(粉にはせず、砕く程度)
3倍量の水で煮る。当時は素焼きの鍋が使われていたらしいので今回は土鍋を使ってみることにした。
豆が柔らかくなる少し手前で、米と水を加えてさらに煮る。
米が柔らかくなってきたら牛乳でお好みの濃度に伸ばしながらひたすら煮る。
溶いたジャガリで甘味をつけ、仕上げに胡麻とサフラン水をふりかける。

材料はとてもシンプル


アンミッカルで砕いていく。豆を逃さずに潰すには意外とコツがいる。
砕かれた豆。


素焼きの鍋に近いということで土鍋を採用したが溢れかえらんばかりに増殖した



クックタユーシュを作る

クックタユーシュはあえて日本語にするなら「鶏の醍醐煮」となる。

醍醐は仏典に登場するサルピスというものであり、サンスクリット語のパヤハ・サルピスに由来し、日本語でいう「醍醐味」という言葉のもとになっている。ギー(グリタ)は無塩バターを加熱して乳脂肪を取り出したものであるが、醍醐は本来、発酵させたクリームチーズから乳脂肪を抽出したものである。辛味としては唐辛子はまだないのでブラックペッパーとロングペッパーを使う。古代ではロングペッパーが多用されていたが、その独特の香りは発酵食品と相性が良い。このレシピではギーを使っているが、本来はギーではなく醍醐を用いる。ブラックペッパーは貴重品だったが王族の食事なので使うこともできただろうという推測。

クックタユーシュは王族が狩猟に出かけた際など、仕留めた獲物をその場で捌き少ない調味料で調理しないといけない必要から生まれた料理だという。野生に近い、肉のしまった鶏の肉をロングペッパーと醍醐で蒸し焼きにして香りを閉じ込める。ラージャスターン料理でJunglee maasという、ハンティングの際に森の中で捉えた獲物を使って作るシンプルな料理があり、現代でもほぼそのままの形で残っている。

材料:
骨つきとりもも ぶつ切り 6本
ギー  450g缶 丸ごと
塩 小さじ3
ロングペッパー  10本
ブラックペッパー 40粒
水 適量。全体が浸る分量

工程:
骨つきぶつ切り肉に塩とギーをよくまぶしつける。
分厚くて重い鍋に水とスパイスを入れて、蓋をしてごく弱火で2-3時間煮る。
水分が抜け、表面に油が浮き肉が骨から外れるくらい柔らかくなれば完成。

鶏肉に塩とギーを塗していく。
増川さんがギー缶の中身を全部入れた。
スパイスはブラックペッパーとロングペッパーのみ。重たい無水鍋でじっくりと煮込む。
1時間程度煮たところ。まだ水分が残っている。
3時間煮たところ。コンフィ状になり、水分が抜けて低温で揚がったような状態になった。


調理法としては特に難しいものはないが煮るだけの時間がひたすら長いため、待ち時間には牛糞燃料の火を見つめながら互いに語り合った。この時高円寺には2000年前にタイムスリップしたかのような不思議な空気が流れていた。高円寺をインドにしてしまえ!

燃える牛糞燃料、踊る赤ちゃん人形


さて、気になるお味は…?

同皿に盛り付けてみた。


クシーラウダナを食べた感想

クシーラウダナ(乳粥)は牛乳を入れて伸ばし、豆が溶け込んで砂糖も入っているので最終的に大福やおはぎのような味になった。優しくてホッとする味。
ウラドダルは別名ケツルアズキともいうので、色違いではあるがあずきのような味がする。砂糖も入れたので実質的には小豆あんになっているし、さらに米も入っているのでもはやおはぎ。仕上げのサフラン水は少し香りをもたらすが、あってもなくてもそんなに変わらない気がした。

"クシーラウダナはおはぎ"


クックタユーシュを食べた感想

クックタユーシュ(鶏)は無水鍋で3時間じっくり煮られることでほぼコンフィのような状態になっており、鶏の油とギーに肉が浸かっている。スパイスはミニマムではあるものの、もはや無水チキンカレーと言ってもいいかもしれない。油にロングペッパーとブラックペッパーの香りがいい感じに染み出していて、辛味も十分に出ている。水分が抜けた分鶏の味は凝縮されていて、インドで食べる濃い味の鶏を思い出した。
まるでケンタッキーフライドチキンだという感想も上がった。

”クックタユーシュは低温揚げのケンタッキーフライドチキン”

終わりに

3時間待ったからということもあるのかもしれないが、どちらの料理も想像以上に大変美味しくて、参加者一同驚いていた。
2000年前に本当にこれと同じものが食べられていたのかはわからないが、ターメリックも唐辛子もなくても当時からインド料理の原型はできていたのだ。

これがカレーかと言われたら違和感はあるかもしれないが、ルーツとなるものは2000年前にはすでに出来上がっていたといえる。それは気候や植物分布などの要件によって必然的に出来上がるものなのかもしれないが、大変興味深い。


この研究会は今後も定期的に開催する予定。次回3/19(日)には2000年前の魚料理に挑戦してみる。


コンテンツをさらに充実させ、カレー・インド料理の調理科学・作り方のコツ、レシピや歴史などを満載した書籍を作りたいです。興味おありの出版関係の方、メールまでお気軽にご連絡ください。


参考文献


スペシャルサンクス

かりい食堂の増川さん、いつもありがとうございます。高円寺らしいゆるくて素敵な雰囲気をおもちの方で、雑談しているだけで大変勉強になります。
何よりお店のスパイスフルなカレーが美味しくて、ついつい食べに行ってしまいます。
古代のカレーも今度お店のメニューに加えてください。



ここから先はややマニアックなので補足説明になります。

補足①:『チャラカの食卓』とは

『チャラカの食卓』『チャラカサンヒター』の一巻二十七章に登場する料理名を元に同時代の医学書や参考文献から推測し復元するという研究会での試みをまとめた書籍。実際のチャラカサンヒターには料理名と効能しか記載されておらず料理に関する説明が全くない。ただ、11世紀のチャクラパーニダッタという人物の注釈があり、それがある程度参考になる。それはチャラカの時代より1000年後のことになるが、インドにおいて13世紀のムスリム支配までは大きく料理の素材や技法を変える出来事はないとされている。

チャラカ・サンヒターとは?

チャラカ・サンヒター』(チャラカ本集)は2000年前に成立したとされるアーユルヴェーダの医学書である。その舞台はアフガニスタンやパキスタンも含めた西北インド。実用的な医学書としていまだに参照されることがあり、古典的なインドの医学は当時既に確立されていたという。チャラカというのは医者の名前であるが、実際には元々アグニベーシャがまとめたテキストを改変したのがチャラカということになる。あえて著者を1人あげるとしたらアグニベーシャということになり、『アグニベーシャ・タントラ』とも呼ばれる。

『チャラカの食卓』によれば、2000年前にインドで使われていた可能性の高いスパイスは以下のようになる。

※『チャラカ本集』『カウティリヤ実理論』に登場するもの
ヒハツ、コショウ、生姜、ヒング、ヒマラヤセンブリ(当薬)、マスタード、コリアンダー、クミン、フェンネル、アジョワン、カロンジ、ワサビノキ、フユザンショウ、フェヌグリーク

補足②:各時代でよく使われていたスパイス

古代 ロングペッパー

サンスクリットではピッパリーとなり、英語のpepperペッパーの語源。ヨーロッパではブラックペッパーと混同されていた。ブラックペッパーはケララ原産でありインド内でも貴重品であったが、ロングペッパーは家庭菜園でも栽培できるため入手性が高くよく使われていた。
独特の香りと臭みがあるのであまり他のスパイスとミックスして使われず、ブラックペッパーや唐辛子に辛味担当の座を奪われた。発酵食品と相性が良い。

中世 ターメリック

ターメリックはインドまたはインドネシア原産とされている。ターメリック自体は古代のインドにもあったが当時は薬用や染料としての利用が主であり、技術が確立し料理のスパイスとして使用され始めたのは10世紀ころの可能性が高い。生の根茎を煮沸し、天日で干してからパウダーにするという段階を経ることで苦味やエグみが抜け、質が均一化し輸送もしやすくなる。
さらに油との相性が良く、胆汁の分泌を促すターメリックはムスリム由来の油多めの料理とも相性がよかったことが広がったことの要因の一つかもしれない。

近代 トウガラシ

唐辛子は大航海時代にヨーロッパ人によってインドにもたらされた。当初は1530年代にゴアにたどり着いたポルトガルの船乗りが持っていたものから栽培が始まり、インド中に瞬く間に広まっていった。しかし、実際にインド中で料理に使われるようになったのは18世紀後半のこと。ムガル帝国に対立していたマラータの戦士たちが唐辛子に執着して、戦力の拡大と共にインド中に唐辛子が氾濫するようになったという。

以上のことを踏まえて今回はクシーラウダナ(乳粥)とクックタユーシャ(鶏の醍醐煮)を作っている。レシピは本書を参考にしつつも細かいところはアレンジし、調理中の状況によって調整している。




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