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【歴史小説】ラブリンマン -真説 坂田金太郎- 17-イーヴァと山の民-その②

二人は夜更けまで語り合った。

語ることは山ほどあった。
まずは互いのことだ。
イーヴァはシュタインよりも七つ年上の二十八歳だった。
シュタインと同じく神聖ローマ帝国の出身だ。

シュタインもイーヴァもともに商用で唐に渡り、
渡海していた。
シュタイン同様、
イーヴァの乗った船も十三年前に嵐によって難破し、
この国に漂着したのだ。
自分より十三年も先輩であるイーヴァの苦労話を聞いているだけで、
またもシュタインは涙ぐみそうになった。
イーヴァも同じようにこの国の人間に罵られ、
畏れられ、石を投げられ追われていた。
それだけではない。
竹槍や鍬で武装した農民達に狩り出されそうになったこともあるという。

「無知というのは恐ろしい。見た目が違うというだけで化け物扱いだ。唐の都は、さまざまな肌の色の人種であふれていたというのにな」

イーヴァの話にシュタインは大きく頷く。

「まったくだ。ここは辺境すぎる。私だって命の危険を感じたことは一度や二度じゃない」
「鬼と呼ばれたろう」
「……なんだって?」
「オニ、だ。農民にそう呼ばれたんじゃないのか」

男は思い返してみた。
あの、小屋にいた青年。
白癩びゃくらいにかかって顔の崩れた女。
そういえばいずれも、
そんな言葉を発していたような気がする。

「オニって何だい」
「いわゆる怪物だ。いや、悪魔と言った方が正しいのかもしれない」

悪魔。
シュタインは自分が知っている悪魔の姿について考えを巡らせた。
その上で、
どう考えても自分が悪魔と呼ばれる理由がわからなかった。

「……しかしさすが神に仕える僧のいる寺院だ。慈悲の心は人種の壁も越えるのか」
「神じゃない、ホトケだ。仏に仕えているんだ。ここは悲喜院という。仏教の救済施設だ。シュタイン、おまえもこれまでに飢餓者を何人も見たんじゃないか?」

悲喜院は仏教の慈悲の精神に基づいて生まれた施設で、
飢えや貧しさでどうしようもなくなった者、
寄る辺ない者をあまねく救済していた。
イーヴァやシュタインといった異国人に対しても、
その門戸は開かれていた。

「もう動けるよな? ちょっと他の部屋も見に行ってみよう」

イーヴァに誘われるままに、
シュタインは立ち上がって部屋を出た。
廊下に出ると、
シュタインが寝ていた部屋と同じような造りの部屋がたくさん並んでいることがわかった。

「俺も最初はこういった個室に寝かされた。体調が整うと相部屋行きになるのさ」

シュタインは思った。
イーヴァは性格が明るい。
それは商人という職業柄がそうさせているのかもしれないが、
まず自分と比べても圧倒的にコミュニケーションを畏れていない気がする。だから、
こういった救済施設という狭い世界の中ではあるものの、
この国の人間とも積極的に話し、
少しずつ言葉も覚えていったのだろう。
事実、
さっきの僧とも短い会話を交わしていた。
恐らくは、
またおまえと同じような人間が収容されてきたぞ。
おまえなら言葉がわかるだろう?
間に立って通訳をしてくれよ。
といったような会話だったのだろう。

「ここから先が相部屋だ。奥から二番目の左側が、俺がいま住んでいる部屋だ。三人の同居人がいる。皆いい奴らさ。顔色は違うがね」

イーヴァは皮肉っぽく笑った。
シュタインもつられて笑う。

「突き当りの階段から二階へゆける。二階には上がらない方がいい。病人を収容しているんだ。中には重篤な患者もいる」

「イーヴァ、不思議でしょうがない。十三年もいれば、言葉が話せるようになるものなのかい? だってあんたも、この国へ来てずっと差別されてきたんだろう」

「ああ……それは、身振り手振りで何とかなってきたんだよ。ほら、さっきの坊主も、おまえに食べるように手振りをしたろう? ああいったふうの簡単な手振りから始めて、だんだん意思の疎通をはかっていったんだ」

「そうか……なるほど」

頷いたものの釈然としない。
しかしシュタインは黙っていた。

「まあ俺に任せておけシュタイン。これまで不安でたまらなかったろうが、俺はある程度この国の言葉も喋れるし、この国のことだっておまえよりずっと詳しい。何でも教えてやる。おまえもまずは、少しでもこの国の言葉を覚えるんだ。生活もできやしないからな」

「ああ。そうするよ」

「そしていつか必ず、一緒に国へ帰ろう。俺だってまだ諦めちゃいないんだ」

イーヴァは微笑み、
シュタインの肩に手を置いた。
がっしりとした大きな手だった。
その手には、大小無数の傷があった。
 


貧しくもあたたかく栄養価の高い食事と、
危険のない場所での休養によってシュタインはどんどん元気を取り戻していった。
結局は栄養失調、
それに加え緊張状態がずっと続いていたせいで心身ともに参ってしまっていたのだった。
体力が限界に近づいていたせいで、
石ころの一撃程度がきっかけであっという間に高い熱が出た。
しかし熱はすっかり引いたものの、
左目の上の瘤は治っていなかった。
触れると、
微かにまだ痛みがある。
黴菌が入って化膿してしまったんだろう、
下手に触らない方がいいとイーヴァは言った。

シュタインが元気を取り戻した理由は、
イーヴァという人間がそばにいることに他ならない。
イーヴァは素晴らしい男だった。
快活で気さくで、
悲喜院にいる僧や他の避難民とも対等に話していた。
言葉はたどたどしくはあるのだろうが、
それでも来歴の浅いシュタインには聞き分けなどつかない。
少なくともシュタインには、
普通に会話できているように聞こえた。
それどころか軽い冗談なども交え、
笑いを誘っている場面すらあった。

そしてイーヴァ自身が言っていた通り、
言葉に多少大袈裟な身振り手振りを交えて意思を伝えていた。
イーヴァの大袈裟な動きに対して、
この国の人間は感情の機微というものをあまり表に出さないようにしている、
とシュタインは感じた。


それ以外にも、
イーヴァはとにかく色々なことができた。
一度、
シュタインの滋養のためにとイーヴァが森に入り、
山鳥を獲ってきたことがあった。
獲物を見ると、
矢は一突きに心臓を貫いていた。
他に傷は一か所もない。
仕事で肉を取り扱っていたシュタインにはわかる。
獲物に無駄な苦痛を与えない、
見事な腕だった。

知識の幅も広かった。
この国が今どういう状況に置かれているか、
政治が誰によってどんなふうに行われているか、
もはや国教となりつつある仏教がどういった思想のもと成り立っているか、
といったことにも詳しかった。
話が面白く、
無口なシュタインはイーヴァの話に夢中になっていた。

「イーヴァ、本当にあんたは不思議な人だ。あんたは自分のことを商人と言っていたけれど、私にはとてもそうは見えないよ。こうして話しているあんたは、まるで学者だ」

二人は、
悲喜院から少し離れた所で焚火をしていた。
その日も、
イーヴァが仕留めた獲物の山鳥を焼いて食べていた。
イーヴァはシュタインの言葉に、
口に含んでいた山鳥の肉を吹き出しそうになった。

「俺が学者だって? とんでもない。こんなのは全部、この国に来てから得た知識だ。暮らしてく上で、嫌でも身についた知識だよ」
「あんたほど長く住んでいると、そんなに詳しくなるものなのかい?」
「まあ、そういうことだな」
「私はそこまで詳しくなっていける自信はないな」

シュタインは山鳥のもも肉にかぶりついた。
貴重な塩をほんの少し降っているだけだが、
肉自体の味が濃厚で、
旨みが素晴らしかった。
山鳥の肉がこんなに美味であることも、
イーヴァに教えてもらったのだ。
処理の仕方も素晴らしい。
ここまで美味い肉は、母国でも食べたことがなかった。

「……イーヴァ、そういえば。焚火は、必ず悲喜院からかなり離れた所でやるんだな」
「ああ、それは――」

イーヴァも肉を頬張ったままで答えた。

「院では避難民が火を使うことは禁じられているんだ。こんな山の中だからな、火事にでもなったらことだ。俺達は調理され、出された物だけを食べる。それで満足できなければ、こうして外で、離れた場所で焚火をしてそれぞれ勝手に食うんだよ」

「確かにそんな法でも作らなきゃ、勝手に部屋の中で避難民達が料理をしてしまうかもな」

「ああ。俺達だって避難民だから他人をとやかく言えた義理じゃないが、彼らはとにかく腹を空かせている。食べられるものだったら草の根だろうが木の皮だろうが煮て口に入れる」

シュタインは、
川の近くで見た干からびた死体のことを思った。

「シュタイン、避難民はどんどん増えているんだよ。あの院も、もう避難民の収容人数は限界を超えている。他にも悲喜院のような施設はあちこちにあるが、どこもいっぱいだ。これからもまだ院には、飢えた避難民が運ばれてくるだろう」

「何故この国はこんなにも貧しいんだい?」

「色々な事情が複雑に絡まりあっているんだ。ことの根っこを辿ると、国土の問題だ。この国は山ばかりだ。国土に対して平地が少ないというのは、ただそれだけで人間に生み出せるものが減るということだ。
そしてどんな貧しい国であっても……いや貧しい国だからこそ、そこに人間がいる限り支配階級は生まれる。そうして富の分配は公平に為されなくなる。当然だ。そもそも豊かな国ではないのだから、持てる者は力を使って徹底的に奪ってゆく。
これは国土の貧しい国だからこそ、そして無知だからこそ容易に起こり得ることなんだ。……と言っても、まず島国だから仕方がないんだがな」

「だから唐の進んだ技術や文化を学ぶために、この国は唐と船で交流していると聞いた」

「ふっ。交流か……そんなふうに思っているのはこの国のお偉い人だけなんだよ。唐からしてみればこんな島国なんて従属国でしかない。この国から出させているものと唐から出しているものの比率はまるで違う。唐は、いいことを教えてやる代わりに大きな見返りを義務としてこの国に要求している。仏教だってその一つさ。
……この国の、この荒れた現状を見るがいいよ。この現状を利用して、支配しているようでもなく、民の心を一つにまとめてゆく。そのために国教ってのはうってつけなのさ。今、政治を学ぶとおまえは言ったが、政治のために使われてこそ宗教とは意味を成すんだよ。
……ま、その仏教のおかげで俺達は今こうして飯が食えているんだけれどな。もちろんこの国にそう吹き込んだのは唐だ。
見ていろ、今後より一層この国は唐にとって都合のいい取引を求められていくぞ。少しずつ、ちょうど蜘蛛の糸に絡め取られるみたいにな。結局同じなんだよ、この国にある支配階級と。大なり小なりあれど、持たざる者は奪われてゆく」

イーヴァは憑かれたように話し続けた。
イーヴァもシュタインも、
とっくに肉を食べるのをやめていた。


「……イーヴァ。あんたは本当に、どうしてそんなことを知っているんだ? あんたにそれを教えたのは一体誰なんだ?」

イーヴァは気まずそうにシュタインから目を逸らした。

「……山鳥は冷めると味が落ちるぞ。早く食えよ」
 〈続く〉



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