三宅マイ子

一児の母。ときどきデザイン。たまに文。

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最近の記事

現実逃避の「死にたい」

大学生の頃、 私の印象はきっと、 「いつも悩んでいる」 という感じだったと思う。 飲み会の席で、 「ぺじこの最近の闇は?」 と聞かれていたくらい。 高校生までは、 大人しくはあったけれど、 こんなにいつも鬱々とはしていなかった。 ならば、私を鬱キャラに仕立てあげた原因はなにか。 それは、多分、 mixiだ。 当時、mixi全盛期。 現在のFacebookやInstagramのように、 キラキラしている部分だけを切り取って 発信するようなものではなかった。 そ

    • 楽しいことが無い生活

      同じ高校に進学した中学の同級生が8人いて、 家が近いA子とよく一緒に帰っていた。 A子は、昔からクラスのリーダー的存在で、 スポーツ万能、明るくて、 〈ザ・ひょうきん〉という感じだった。 彼女と一緒にいると、 些細なこともおかしくて、 私は頻繁に笑いのツボに入っていた。 話す内容というより、 ちょっとした言い方や行動が面白い。 私は漫画みたいに、 ジュースを盛大に吹き出したこともある。 (高校の自販機前で) 「ぺじこがたくさん喋るようになってすっごく面白

      • 緘黙が抱きがちな願い

        「変わりたい」 「本当の自分を出していきたい」 学校で、 抱負や目標を書かされるとき。 美術の授業で、作品に込めた想いを書かされるとき。 いつもこんなようなことを書いていた。 場面緘黙症は、黙りたくて黙っているわけではない。 喋らないキャラとして定着してしまった以上、 「急に喋り出したら変に思われるのでは」と考えて、喋ることができなかった。 先生たちは、 私のこの想いを、みんなの前で発表させたがる。 発表するのは別に嫌じゃなかったけれど、発表

        • みんな定時に帰りたい

          私は、勤務時間が長いことでおなじみの広告業界で、グラフィックデザイナーをしている。 そんな私がなんと、〈定時上がり1週間チャレンジ〉に成功した。 結婚してから時短勤務にしてもらっていて、夕方に帰る(ことになっている)。子どもはいないけれど、家事をしたいという理由で。 もちろんその分、基本給が低い。 しかし、昨年からなぜか景気が良く、社員全員が忙しい状態が続いていて、私も1、2時間残業したり、家に仕事を持ち帰ったりするようになっていた。 だんだんと残業す

        現実逃避の「死にたい」

          佐伯 俊男

          佐伯俊男の展覧会を観に行った。 会場に着くと、美大生らしきイケメンボーイが 入っていくのが見えた。 彼に続き、階段で地下へ。 ところが、エレベーターでしか行けないらしい。 2人してウロウロ…。 「コレですか?」 イケメンが、展覧会の貼り紙を指さす。 「はい、エレベーターでしかダメなんですね」 イケメン 「なにか見られて来られたんですか?」 私 「Twitterで見て。なにか見られて?」 イケメン 「僕はLINEで連絡がきて。」 私 「へぇーあはは」 会話終了。 さ

          すぐ泣く女

          入社したての頃、自分の至らなさが悔しくて、帰り道でよく泣いていた。まぁまぁな繁華街、キャッチをしているホストに「泣かないで、大丈夫?」と声をかけられたこともあった。 2年目に突入する頃には泣かなくなったように記憶している。 それが、4年目あたりからまたよく泣くようになった。帰り道、電車の中、布団の中…一度泣き出すと止まらない。死にたい、とツイートする。もういい歳なのだけれど。ヤバくないか?病気か?鬱か? あるとき、気づいた。 泣いた翌日、生理が始まる。 月に1回の

          すぐ泣く女

          緘黙が大人になったときの弊害

          日々いろんなことで悩みまくっている三十路女、pezicoです。今日は会話に対するコンプレックスについて書きたいと思う。 私は中学生まで、家では普通に会話できるのに、学校ではほとんど言葉を発することができない子どもだった。どうしてそうなったのかは覚えていない。気づいたら、完全に「しゃべらない不思議キャラ」になっていた。 小学生の頃が一番ひどくて、中学、高校と成長するにつれ、徐々に改善されていった感じだ。つい最近知ったことだが、このように特定の場面で話すことができない

          緘黙が大人になったときの弊害