緘黙が抱きがちな願い

「変わりたい」
「本当の自分を出していきたい」

学校で、
抱負や目標を書かされるとき。
美術の授業で、作品に込めた想いを書かされるとき。
いつもこんなようなことを書いていた。

場面緘黙症は、黙りたくて黙っているわけではない。
喋らないキャラとして定着してしまった以上、
「急に喋り出したら変に思われるのでは」と考えて、喋ることができなかった。

先生たちは、
私のこの想いを、みんなの前で発表させたがる。
発表するのは別に嫌じゃなかったけれど、発表したあとでクラスメイトにからかわれるのが嫌だった。

こんなことを秘密にせず書くものだから、
中学2年生のとき、クラスの係を決めるホームルームで、悲劇が起きた。

班をまとめる〈班長〉を
やりたがる人がいなくて、
なかなか決まらなかった。

そこで学級委員が、変化球を投げてきた。
「じゃあ逆に、班長を絶対やりたくない人、手を挙げてください」

ほとんどの人が手を挙げる中、
うっかり私は手を挙げなかった。
このままでは班長になってしまう。

『しまった』
と思ったが、時すでに遅し。

ここぞとばかりに先生が言う。
「自分を変えるチャンスじゃないかな?」


私は班長になってしまった。

たかが班長。

学級委員でも生徒会長でもない。

けれど、当時の私には荷が重すぎた。


掃除中に私語をする班員。
注意をしたいけれど、喋ることさえできないのに、注意なんてできるはずがない。

班行動の遠足。
科学館で、班員が楽しそうに遊んでいる。
テンションの上げ方が分からないから、棒立ちで見ていた。母が握ってくれたおにぎりを1人で食べた。

授業中に、班員が私の悪口を言っていた。
「あいつキモいんだけど」


つらくて長い1学期だった。


時は過ぎて、私は30歳になった。

私は変わったし、本当の自分になった、
のかどうかは、分からない。

さすがに喋れるようになったけれど、
喋るのは得意じゃない。

前も書いたように、会社では仕事に集中してほぼ黙っているし、家でも特にトピックスが無ければテレビを観ながら黙っている。そのほうが自然で、楽だから。
ご飯を食べに行ったり、出かけるときは
普通に喋るし、それももちろん楽しい。

私は喋る人だよ
愉快な人だよ
って、必死にあがいてきたけれど、
大人しい性格も自分の本当の姿なのだろう。

#緘黙 #場面緘黙症 #変わりたい

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?