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現実逃避の「死にたい」

大学生の頃、
私の印象はきっと、
「いつも悩んでいる」
という感じだったと思う。


飲み会の席で、
「ぺじこの最近の闇は?」
と聞かれていたくらい。


高校生までは、
大人しくはあったけれど、
こんなにいつも鬱々とはしていなかった。


ならば、私を鬱キャラに仕立てあげた原因はなにか。


それは、多分、
mixiだ。


当時、mixi全盛期。


現在のFacebookやInstagramのように、
キラキラしている部分だけを切り取って
発信するようなものではなかった。


そういうのもたまにはあったけれど、
楽しいことも悪いことも何でもありな日記で、
自虐を混じえて書く人も少なくなかった(と記憶している)。


私はそこに
本当に赤裸々に
素直すぎる気持ちを綴っていた。


彼氏に振られたときは、
連日「思い出すとふと涙が出てくる」という日記を。


学生団体のリーダーになったときは、
「会議がうまくできない。自分はダメな人間だ」という日記を。


親が病気になったときは、
「私のせいだ」という日記を。


もう完全な〈かまってちゃん〉。
めちゃくちゃ面倒くさいよね。

言葉にすることでそれが本当になる、
というのはどんな場面でもよく言われることだ。


目標を言葉にすることが大切なのと同じで、
悲しいことを書けば、どんどん悲しくなるし、
ムカつくことを書けば、怒りは増す。


でも当時はそのことに気づいていなくて、
言葉にして発散しているつもりでいた。
けれど、言葉にすればするほど、気持ちが沈んでいく…。


暗い日記は、
自分は暗いという〈すりこみ〉になっていた。


ならば、mixiが無ければ、
こうならなかったか?


mixiが無ければきっと別のSNSで、同じことをしていた。
だって現にTwitterで
死にたいと言いまくっている。
大学生の頃、友人に
「もう死にたいとか言わないで。心配するから。」
と言われたけれど、まだやめられないよ。ごめん…。


言葉にしないほうがいいことは
頭では分かっている。

でもそうしなければ、
失敗を全面的に受け止めなければいけないじゃないか。


失敗した罪を、
自分を否定することで和らげたい。

SNSの存在は、
つらいことを吐き出す場所を与えてくれた。

無視してくれていいから、ただ吐き出したい。


じゃあSNSが無かったら?

どこに言うのが正解?

リアルな友達に言うのが正解?

言わないのが正解?


〈すりこみ〉ながら
現実から逃げてきた長年の癖は
なかなか抜けない。
これをやめることができたら、
変われるのだろうか。

#現実逃避 #mixi #死にたい #日記 #SNS

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