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詩「いずれにしても、それらはキリストの死体であり・・」

「いずれにしても、それらはキリストの死体であり・・」
黒実 音子


マグマの流れる不毛の荒野、
それは死滅へ向かう
血管輪の模倣の様に、
熱を持ち、
命に排他的な神域である。

ああ、
神の傷口・・
神の血・・

だが、それは
冷静で静寂な湖でもある。

死骸(コープス)そのものは、
とうの昔に無くなり、
今では磔刑像(コルプス)が
その代役となっているが、
いずれにしても、それらは
キリストの死体であり、
過去の死は語る事は無い。

厳粛な[青い死]こそが
地上の悲しみであり、
我ら罪人の罪を嘆くのだ。

ああ・・
マグマの流れる不毛の荒野・・

決して人が訪れる事の無い
誰も観ていない地で
キリストの横臥像が置かれている。

その周囲を這い回る
テゴゴロと呼ばれる心臓・・
または巨大巻貝・・

彼らの臓物に巣食う
天使アンジオストロンギルス達の作り出す
アネクメーネ的なヴィブラフォンが、
世界の終末に向かって眠っている
(天使ギロイデスの終末の喇叭が
マラ・アリアを奏でた後で
これらの冷たい
ヴィブラフォンが鳴り響くのだ)

それはいわゆる
悪い空気の後に訪れる
人の魂(ケルペル・テンペラトゥール)を破壊する為の、
長調の熱と
同主調のセロ・アブソリュート、
近親の腐肉(カローニャ)による
非常に礼儀正しい形式的なソナタである。

だが、これらは実際は
[盲信的な融通の利かなさ]を秘めており、
[地上]という心臓の
異所性の動脈を三重結紮するという
再建の為の破棄でもあり、
[無慈悲な死]は、
壮大な再生でもある。

すなわち、
気取った幼い指揮者も把握できぬ
外科医達による
別の視点の計画があるが、
外科医達は驕り高ぶる近視である為に、
彼らはいつまでも
世界の真理を見る事が出来ない。
結局は、誰も
命の無い這い回るテゴゴロを
制御する事など出来ないのだ
(そして、ああ!!
それこそが芸術性である)

テゴゴロ・・
この無機物である貝類は
溶岩地帯に横たわる
キリストの木彫りの横臥像や
ティトゥルス・クルシスの板の上を這い回り、
ラテン語を永遠に呟いている。

◇◇

【遺骨としての牛の讃美歌】

[遺骨としての牛の讃美歌]は
華麗な以下の楽章からなる。

■■提示部■■
まず
[蛋白質の変性(デスナトゥラリサシオン)]
という詩が朗読される。
結束が崩壊し、
体裁を成す事を辞めた兄妹姉妹達による
[自己融解]という名の
舞踏会が開催されるのだ。

名門フィルミクテス家の
クロストリディオイデス・ディフィシルという男が
鍵盤の反り返った
歪で奇怪なピアノを鳴らし、
第一主題の
不安定な動機が終わりを告げる。

腐敗した血(ワイン)が
[肉質的(コルポレウス)]と書かれたフラスコに溜まり、
死斑という凡人の聖痕を現出させる。
それは未熟で尊大な
天使の指揮者であるミャロンによって
全パートがハ音記号で書かれる楽譜の
インクに使用される。

そうして
腸内(レクトゥム)や土壌(ソロ)と呼ばれるホールから
バシラス家の子供達や
エスケリキアの犬達が賛美の合唱に加わり、
[腐朽期]と書かれたコーラス本を振り回し、
口から醜悪な悪臭を放つ。

皿の上にあった肉は、
すっかりスープとなり、
その中を
蛆(アスティコット)という
バレリーナ達が泳ぎ回る。

悍ましい腐肉(カローニャ)の饗宴・・
悍ましい腐肉(カローニャ)の沼地・・
だが[悲惨の中の聖性]は存在し、
天使達はヒポドリア的な短調によって
魂を慰め、
再び、牛を神の牧草地へと開放する。
[腐乱の中の神聖]は
短調で表現されるのだ。
それは第二主題の提示である。

■■展開部■■
シルフィと、
マクロシェルと呼ばれる農夫達は
ほつれたストラを羽織り、
割れた朽木のビウエラを弾きながら
神を讃え、詠唱する。

「ああ、磔刑像(コルプス)からは、
金色の囲蛹殻と蛆が湧き出、
聖性を祝福する。

聖霊達は鼓舞し、詠唱する。

聖性を祝福する。
聖性を祝福する。
聖性を祝福する。

ああ、
金色の囲蛹殻と蛆が湧き出・・」

その様にして
名も無きミサは行われる。

■■再現部■■
[蛋白質の変性(デスナトゥラリサシオン)]
という詩が
再度、朗読される。
死が笑い、
[カダーヴェル]と書かれた旗を振り回している
(旗の裏地には、
[回帰(レグレッシス)]と書かれている)
あらゆる皿やテーブルが割られ、
体を成さなくなった舞踏会は解散するが、
会場は神の威光を恐れ、
散り散りになった者達に捨てられ、
放置され、荒れ果てる。

■■終結部■■
牛の死は無慈悲だが、
神の御業である・・

◇◇

■■概論Ⅰ■■
世界は栄光に包まれ・・
(イル・モンド・イ・チリコンダート・ダラ・グロリア)

■■概論Ⅱ■■
世界は涙(ラグリマ)に包まれ・・
(イル・モンド・イ・チリコンダート・ダ・ラグリマ)

■■概論Ⅲ■■
世界は蛆達に包まれ・・
(イル・モンド・イ・チリコンダート・ダ・ベルミ)

◇◇

誰も訪れない、誰も観ていない場所で・・
常にミサ・シネ・ノミーネは行われている。

そして、誰かが訪れた時点で
炎に包まれた岩場の
倒れたキリストの像は消える。
そうして世界は
[神は不在]という辻妻を合わせ続ける。

遥か昔の・・
人類の[あの過ち]以来、
キリストは愚者の目に止まる事は
もうないのだから。

しかし、人のいない地では・・
暗い海底や、夜の砂漠や、火山の火口では
キリストの横臥像が横たわり、
哀しみとも、無情とも言える表情で
世界を見つめている。

人(感情)の存在しない地では、
世界は常に正常であると言える。




【1000視聴突破ありがとうございます♪】
「墓の魚」のラテン詩と、
メメントモリ曲の融合した
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「死んだ珪藻とマキシロポーダのミサ」
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