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詩「生活困窮者のファド Fado dos Pobres」

こんにちは。
葬送のオーケストラ「墓の魚 PEZ DE TUMBA」
作曲家です♪

今回は、私の新作の詩
「生活困窮者のファド Fado dos Pobres」
をご紹介します。

ポルトガルを舞台にしたこの作品は、
ポルトガルの大衆音楽である
ファド(FADO)の精神を歌っています。

人生の喪失、
サウダーデ、
漁師の貧困、
文学的な気高さ・・・

それは、浜に打ち上げられ、
死んだ魚の口をこじ開けた時に聴こえる声、
人生で失ったあらゆるものが
涙流す事なく囁く
世界への郷愁の言葉なのです。

これは私達、
葬送のオーケストラ「墓の魚 PEZ DE TUMBA」
のテーマの一つでもあります。

◇◇◇

「生活困窮者のファド Fado dos Pobres」
黒実 音子

泥の貝を食べ続けた者が
顎口虫症(ニャトストミアシス)になる様に、
貧困者は肺を蝕むその痛みを
戸口に招き入れるのだ。

貧困は吸腔(ソルベオコンチャ)の貝の様に肉体を蝕む。
その潰瘍を抱えて、
貧者は己の血を吐き出し、罵る。
ああ!!そこに慈悲など無いかのように。

苦痛に賄賂を渡し、
心臓に十字架を突き立て、
歯の無い梅毒と踊る。
詩人よ。
それを誰がご存知なのだろう?

ああ、高官は追いやられた者を笑う。
キリスト教徒でさえも愚かな罪を犯す。
ラケルの墓を讃え、
痛みなど無かったかのように生まれる。
ズレイカやロクスタに唾を吐き、
見事に己の罪を埋葬する男達を
私は知っている。

魂の困窮に救いはないのだ。
石牢の中で目隠しされ、
ただ、飢えだけが彼らを殺していく。
ああ!!そこに知性など無いかのように。

契約の民よ。
その身に染みついた貧しさの泥の中で、
自分だけの痛みを抱え、
タールの様な罪を嘔吐する。
どうか、生活困窮者のファドを笑ってくれ。

それでも何処かでテチス海を探している。
そこには孤独と気高さがある。
ポティファルに売られても
夢を見る気骨がある。

清浄を知る者は幸いだ。
気づけば誰もが
希望と書かれた新聞を広げている。
本質的には、涙を嫌う者はいないという証に。

アルベンダゾールを飲み干し、
その肉体に住む貧困が
我が身を蝕んで殺していく様を見つめながら、
キリスト像を見つめ、
「それもまた人生だ」と笑うのだ。


◇◇◇



いかがでしたでしょうか?

不景気になってきている世の中ですが、
貧困(POBREZA)は、スペインポルトガルでは
昔から良くも悪くも
文学フラメンコファドの相棒でした。
私は、我々もまた、
紛い物の野心を捨て
荒野に帰る時代なのではないか?
とも思います。

これを機に、
商業的な豊かさ(お祭り騒ぎ)では見えて来ない
哲学者としての自分の内面
丁重に覗いてみるのもいいかもしれません。

キリスト教文学と、博物誌
作曲家・黒実 音子
をこれからもよろしくお願いいたします~。




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「墓の魚」のラテン詩と、
メメントモリ曲の融合した
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「死んだ珪藻とマキシロポーダのミサ」
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