19世紀のスペイン人達が歌う合唱ミュージカルを作曲!?
こんにちは。
葬送のオーケストラ「墓の魚 PEZ DE TUMBA」
の作曲家です♪
今回、またまた
新作動画をアップしました!!!
今回は、
19世紀のスペインの人達が歌う
ミュージカル風の曲
[役に立たない者達のロンド]
です。
和声が変化する複雑なピアノと、
豪華な管弦楽オーケストラで録音した
ロンド形式の作品で、
三人のオペラ歌手と、大勢の役者達の
壮大な合唱が見所です♪
さて、
この作品に興味を持ってもらう為に、
楽曲のテーマを
少し解説をする事にいたします。
この曲動画には、
作品のテーマとなっている
対位法(あるいは多声)
についての詩が添えられています。
それはこんな詩です。
「世界は、好き放題に跳躍する悲しみや、喜び、
そして役に立たない者達が織り成す
対位法で成り立っている」
対位法とは、
複数の旋律を同時に鳴らして作る
古い作曲技法の一つで、
この場合の対位法とは、
象徴的な意味で語られているものです。
人間の一人一人の思想が旋律だとすると、
世界とは、様々な思想(旋律)が同時に鳴り響き、
反響して出来る対位法の様なものだ。
そんな内容を、この詩は
書いているのです。
そして、動画には載っていませんが、
この詩には続きがあって
「繁栄の美徳や、道理など
踏み荒らされた後の荒野で誰かが考えた
[現状の辻褄合わせ]に過ぎない」
という文章が続きます。
この詩には、
この曲には、
どんな意味があるのでしょうか??
我々が好き放題に生きた結果、
今の世界の現状がある・・
そんな考え方が、
この作品のテーマとなっています。
つまり、
実は、我々が好き放題に生きた結果、
今の世界の現状があるのであって、
今の世界を作る為に
生かされている訳ではない
という事です。
自由の結果として、
世界は常に出来上がり、
淡々と存在する。
その後で人間が語る
例えば
国の美学
家柄(血筋)の繁栄
世間体
など、
好き放題に爆発した宇宙や、
投げられた石粒の後で、
知った様に語られているだけで、
全て後付けなのです。
「好きに生きるのはワガママだ!!」
などと言う人が世の中には沢山いますが、
そもそも、
そんな自分の幸せの為の
ワガママの何が悪いのでしょう?
例えば、
適当に投げられた石粒が
長い年月をかけて、風に吹かれ、転がり回り、
やがてそれぞれの窪みにハマり、
一見すると安定した状態、
法則がある様に見える状態になっているのが
この世界です。
その結果、どんなに世界が
偉そうに権威を持とうと、
本質は
適当に投げられた石粒
に過ぎないのです。
さて、
この曲には
「役に立たない者達のロンド」
というタイトルがつけられています。
ロンドというのは曲形式だとして、
役に立たない者達のタイトルの意味を
今までの話を踏まえながら説明すると、
社会の言う
[役に立つ者]
というのは、
世界の現状を生きる一部の者達にとって
都合のいい状態
を維持する為に有能な者達の事で、
世界そのものは、無数の
[役に立たない者(物質も含む)達]
の
[好き勝手(無為)な行動]
の結果生まれているのです。
だから、私達は
[役に立たない者]として、
自信を持って、
適当に楽しく生きれば、
それで正解ではないか?
そんなテーマが
この作品には込められています。
そして、こうしたテーマの根底にも
スペイン文学のトラジ・コメディ(悲喜劇)の精神
が流れている訳です。
良かったら聴いてみて下さいね♪
それでは、
キリスト教文学と、墓場と、博物誌の
作曲家・黒実 音子を
これからもよろしくお願いいたします~。
【1000視聴突破ありがとうございます♪】
「墓の魚」のラテン詩と、
メメントモリ曲の融合した
配信動画
「死んだ珪藻とマキシロポーダのミサ」
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