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チームワークが嫌いだし怖い

働きたくない。心底そう思う。

「働かざるもの、食うべからず」「そんなの甘え」とかはもう聞き飽きた。ニート。暇人。穀潰し。怠け者。社会のお荷物。ゴミ人間。クズ。寄生虫。なんと呼ばれてもいいから、働きたくない。

正確に言うと、お金のための労働(賃金労働)をしたくない。
より正確に言うと、チームワークが発生する賃金労働をしたくない。


どこからがチームワーク?

過去に経験してきた出来事を「個人ワーク」「時限的チームワーク」「恒久的チームワーク」に分類してみる。

個人ワーク
→勉強、家事、読書、大学での研究、ブログ、note

個人ワークは大好きだし、チームワークよりは得意。

時限的チームワーク
→単発バイト、インターンシップ、ボランティア活動、学校行事

特に好きではない。得意でも苦手でもない。

恒久的チームワーク
→会社での仕事、シフト制のバイト、チームスポーツの部活動

非常に疲れるし、全て途中で逃げ出した。もうやりたくない。

自己決定権が大きく、拘束感が弱い物事ほど意欲的に取り組める。「いつ」「なにを」「どのように」やるか、できるだけ自分で決定したい。単に決定権があれば良いわけではなく、その決定が他者に与える影響が小さいほど良い。例えばチームの長は決定権を有するが、自分の決定が他者にも影響するので「拘束感」は強い。

チームワークのここが嫌い

一言でいえば人間関係だ。そして、その原因は私の対人能力の低さにある。

しかし、チームワークに適合できるよう対人能力を鍛える意欲はない。自分の無能さを棚に上げて、チームワークに特有な人間関係の嫌な点を語る。

人間関係の距離感

人間関係にはさまざまな距離感がある。人間関係の距離感を「近い」「中間」「遠い」に大別して考える。

「近い」人たちは家族や親しい友人だ。良くも悪くも、素直に振る舞える。人数としては1〜10人で十分だ。

「遠い」人たちは店員やゴミ収集員など、お金を介してつながっている人たち。名前も知らぬ人々だが、彼ら彼女らのおかげで生活できている。

そして「中間」の人たち。私はこの「中間」の距離感が最も嫌いだ。素直に振る舞えないが、お金の関係として割り切ることもできない。

  • 本音を言えない

  • 特に話したいこともない

  • そのくせ、沈黙だと気まずい

こんな中途半端な関係が一番疲れる。脳に認知負荷をかけるだけの存在なので可能な限り減らしたい。

しかし、多くの賃金労働は「一人でやり切ること」を前提とはしていない。結局「中間」の距離感の知り合いが多いほど仕事をしやすくなるのだ。

一人でやろうとすれば、気持ちは楽だが、仕事はしんどい。
チームでやろうとすれば、仕事は楽だが、気持ちがしんどい。

このジレンマに陥るので、チームワークが嫌いなのだ。

なぜ、チームワークが苦手なのか

私がいくらチームワークを嫌っても、この世からチームワークは消えない。「社会不適合者」として一蹴されるだけだ。

かといって、チームワークに適合しようと努力する気もない。ここでは、私がチームワークに適合できない理由(言い訳)を考える。

気質

気質は確実に関係している。昔からマイペースと言われることが多かった。チームに貢献しようと活動するのではなく、あくまで個人の欲望を満たす場としてチームを捉えている。

青少年の頃にスポーツチームに所属していたが、勝利や団結に興味はなく、単にスポーツを楽しむ場としか考えていなかった。部活は放課後のお遊び、バイトは金の稼げる暇つぶし、仕事は自己満足でしかなくチームへの帰属意識や貢献欲が薄い。

自己中心的と言えばそれまでだが、チームとしての取り組みに関心を持てないのだ。チームのため、あるいは誰かのために意欲的になれない。

私が「自己中心的な無能」であることは百も承知。しかし、そんな自分が嫌いではないので、言い訳のひとつとして採用する。

コロナ禍での気づき

コロナ禍では人間との接触を最小化し、家に引きこもる「巣ごもり」が推奨された。

私は「巣ごもり」の快適さに味をしめた。中途半端な距離感の人間関係がなくても平気であることを確認できたのだ。

基本は一人で内省し、たまに気の合う人と会話をする。これが非常に心地良かった。気の合う人とは必ずしも対面する必要はなく、zoomやLINEなどのオンライン交流だけである程度は満足できることにも気づいた。

「巣ごもり」がスタンダードとなり、わざわざ巣から出て不要不急の人間と交流することが鬱陶しくなったのだ。

会社員の経験

最後は、会社員の経験だ。私は新卒1年目で休職&退職している。休職に陥った原因はハッキリしないし、一つに絞れるものではないが「チームワークへの不適合」は関係している。

この経験を経て、賃金労働とチームワークの関連性を強く認識させられた。チームワークないしは賃金労働を恐れる原体験となっている。

幼少期から醸成されていたチームワークへの不適合感を、一気に恐怖感へと昇華させたのが会社員経験だった。

あとがき

現状抱えているチームワークへの負の感情は、長い目で見れば一時的なものかもしれない。しかし、現時点でチームワークを忌避しているのは紛れもない事実だ。

当面の間は、チームに属さずに暮らしていきたい。私のワガママを言うと、ごく少数の「近い」人たちのみに認知された状況で、無数の「遠い」人たちとお金を介してつながっていたい。

そんなワガママをどれだけ持続させられるかは不明だ。しかし、驚くべきことに、1年前に主夫になってからは実現できている。主夫、サイコー。

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がまくん専業主夫
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