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英語を話せるとは

英語を学び始めて何年だろう。数字を言おうとするとゾッとするぐらい長い。それでも、努力のおかげで自分の考えを英語で発言できるまでに至ったが、これで勉強が終わるわけではない。次から次へと壁が現れる感覚だ。

英語に興味を持ったのは小学一年生くらい。幸運にも英語ネイティブの方と話す機会があった。もちろん当時の私の能力といえば、自己紹介をするので精一杯だが、それでも違う母語話者の人に私の発した言葉が理解してもらえた感動はいまでも忘れられない。

中学・高校と学校の英語の授業には力を入れた。でも学校で使っていた教材にはワクワクしなかったし、覚える単語が多くて疲れさえした。それでも「話せるようになりたい」と言う確固たる目標の為だと、頑張った。

そして、何度かの留学経験を経て、英語がある程度話せるようになった。

挨拶、店での注文、日常会話、オフィスでの先方とのやりとり。
きっと最初は挨拶ができて、相手が笑ってくれて。それだけで、英語が話せていると思った。そしてお店で自分のオーダーが通って、質問もできる。米国のオフィスでも2年間働いた。話せている。

でも、話せないな、と常に感じたまま、今に至る。最初の感動はとっくに忘れてしまい、自分がどれくらい成長しているか今では分からない。現状維持なのか、右肩上がりなのか。。。

というのも、やはりアメリカという地でコミュニケーションを取る際も、日本語や日本で育ったという環境が自分の中から抜け切らず、英語を発する時にもやはり影響してしまうと感じることが多い。性格も影響するとは思う。でも、大勢の前で自分の意見を求められる機会が著しく少ない日本。一般人レベルで政治に対して会話をし合う機会が少ない日本。そんな中で生きてきていたら、上席の人が何人もいる中で私個人の意見を聞かれること自体が異例だし、答えなくていい環境に慣れてしまっていたのだ。

でも、アメリカではその逆。上司やトップの人から会議中「あなたはどう思う?」と聞かれるのだ。嬉しい反面、日本的価値観を持った私はいつもタジタジしてしまっていた。これが、話せない、と言うことだ。日本で、そういう上司が出席している会議では、少なくとも私の経験した日本的(伝統的)な会社だと、下からの意見を元に上が決める。私が上の決定にとやかく言える立場ではない環境だ。そうすると、自動的に「発表という私の役割は終えた、あとは上の方々お願いします」という人任せな姿勢になってしまう。でも、アメリカの会議では「全員一緒に会議の流れについて行き、自分の意見を持ちながら、最終的決定に向けて議論を交わす」という姿勢なのである。

加えると、会話には自治ネタや流行り物、文化的側面も大きく含まれる。芸能界に疎い私は、恐らく超有名スターの名前だろうという名前が出てきていても、その人が分からず、話にはついていけない。もちろん、会話の相手が本題に入る前に、その人はどんな人かを聞くことも良し、話を聞きながらその人について知っていくのもありだ。ただ、その会話において圧倒的な空虚感は否めなかった。

言葉が話せても、話せないのだ。

だから、英語を学ぶのに終わりはきっと来ない。そのほかの言語でも同じだ。それでも、違う文化・違う言語の人と話す事で今まで持っていた視点とは180度違う視点を見つけられるのは、人の人生を10倍も、20倍も、30倍も、もっともっと豊かにすると思う。そうやって沢山の知識を得てきた。年齢層幅広い友人も沢山できた。だから、この先も長いけれど、めげずに頑張って行かなければならない。