被害者でもあるし加害者でもあるような気がする
しばらく書いていませんでしたが復活します。
今、福島県南相馬市にいます。東日本大震災で甚大な被害を負った地域です。
そこで今考えているのが自分が被害者なのか、加害者なのか、明確に決められない問題が起こった時にそれについて人はどうやって語り得るのか?ということです。そして、そのことから大きな問題ほど風化して先送りになるという問題へと繋げていきたいと考えています。(もしかするとその先までダラダラと行くかもしれません、、)
とにかく、長くなりそうなので分割して書きます。
被害者/加害者としての記憶
震災時、僕自身は中学校2年生でしたが家の中の物が倒れて壊れたり、
なんらかのイベントが中止になったり、
計画停電でいつもと違う日常を過ごしたり、
いつも見てたTVが見られなくてつまらない日々を過ごしたり、
あの震災によって多かれ少なかれなんらかの被害を受けていると思います。
※ただ、誤解がないように記載すると亡くなった方や身内をなくした方、家が壊れた方、避難を何年も続けている方と同じ苦痛だと言うわけではなく、無数にある被害のうちほんの少しを共有しているのみです。
また、福島第一原発は東京電力の建物でしたので当然、関東圏に住んでいる僕の家もそこで作られた安い電力で豊かな暮らしを送れていました。
中学生の僕でも放射能を浴びることによって人体に被害があることや過去のチェルノブイリ原発事故などは知識として知っていましたので、当然原子力発電所で働く作業員さんが被曝しながら働く可能性や万が一が起きた時に人が住めなくなる可能性もなんとなくわかっていたつもりです。
そのリスクをある人々にだけ押し付けて豊かな暮らしを送っていたことは、中学生に何もできないことを差し引いても罪悪感や加害の一端を担っていたのではないかと感じざるを得ませんでした。
ここまで簡単にまとめると、震災について考える時は常に自分が被害者でもあるし、加害者でもあるような気がする、ということです。
ここで重要なことは読んでいる方でも、その程度では被害者とは言えない、被害者面するな、というご批判もあるかと思いますが、
今回は自分が被害者か、加害者なのか、をロジカルに分析するのではなく、
自分も被害者や加害者だと思ってしまった感情を問題にしています。
自分は被害者でもあるし、加害者でもあるような気がする、という感情があることで、原発事故について語る時の立場が不明瞭になります。
被害者の一人として自分もあの時大変だった、、という立場で話をすればいいのか、原発事故については原発で利益を得ていた一人として、、という立場で話をすればいいのか、話す相手や話の文脈などを汲み取りながら繊細に言葉を選んでいく作業が必要になります。
したがって、次第にその話題に触れないようにしながら生きていくようになります。
そしてプロセスは人それぞれ違うとは思いますが、多くの人が震災について話すとしても本当に話しやすいことしか話せない、次第に触れないようになるという結果は共有しているのではないかと感じています。
パンデミックとの類似
新型コロナウイルスへの考え方も似たようなところがあります。
まず、自分は東京の広告業界で働いていたため、イベント自粛などによって仕事がキャンセルになったり、余計な仕事は増えたりとある程度の被害は受けました。
ただ、賃金自体は減ったわけでもありませんし、テレワークに切り替えて仕事を継続できたことによってかえって自分の時間が増えて得をしたと感じさえしました。
一方で社会の文脈を見ると、エッセンシャルワーカーと呼ばれる業種・業態の疲弊する現場や忙しいのにも関わらず賃金はそれほど上がらない状況など、彼ら・彼女らに重要な仕事を押し付けて自分は何をやっているんだろう、、という罪悪感や加害の一端を感じずにはいられませんでした。
ここでも自分は被害者でもあるし、加害者でもあるような気がするのです。
何年か経って新型コロナウイルスの話題を話すときは、おそらく言葉を選んでしまうと思います。話す相手はその当時何の仕事をしていたのだろうか、聞いていいこと悪いことがあるのではないか、自分のエピソードをどこまで語っていいものか、など考えながら話す自分が想像できます。
そして同時に現代においてはこの葛藤と長きにわたって付き合っていかなくてはいけないのではないかとも思うのです。
(続く)
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