加虐性服飾中毒

 歯車がどこで狂ったのかは分からないが、キッカケは新宿で見かけたあの幻想生物だったことは確かだ。あれは仕事帰りのことだった。
 ゆるやかな退勤ラッシュで沸き立つ山手線の十二番線ホーム上で、俺は渋谷方面行きの電車を待っていた。ホーム上にはサラリーマンのみならず、授業終わりの学生や、買い物終わりの主婦など、ありとあらゆる人種が混在していた。俺は帰ってからやるべきことを頭の中で整理しながら階段を昇り、ホームへ向かった。
 夕飯何にしようかとか、おつまみに贅沢しようかなどと、他愛のないことを考えながら歩いていた時に、俺は「あの人」に出会った。
俺の横を長身の女子高生が通過していく。モデルみたいな高身長を、しなやかな筋肉が程よくついた白い足で優雅に運んで行った。ホームに入ってきた電車が運んだ風が、艶やかな赤茶けた長髪をなびかせ、すごくいい香りをさせた。お菓子のような、花のような。そんな香りだった。
目線を足元から頭上へ移した時に、彼女はやってきた電車に目をやりその横顔を俺に見せつけた。俺は開いた口が塞がらなかった。彼女はそのまま長い髪を揺らしながら、可愛らしいマイメロディの刺繍の入った白い靴下を弾ませて電車へ乗っていった。
一本後の電車に乗ってから、どうにもこうにも俺は落ち着けなかった。あの愛くるしい靴下からは到底想像出来ないようなあの横顔を、脳内で結びつけるのは容易ではなかった。ふと車内を見渡すと普通の女の子たちが目に入る。自然派っぽい、いわゆる森ガール風の女の子から、キャバ嬢のような派手な極彩色の服装から、ありとあらゆるファッションが女の子を形作っている。その種類の多様性を改めて見せつけられた気分になった。しかし、不思議だったのが、車内の誰一人として、先ほど見たマイメロディの靴下のような一種幼稚的な可愛らしさを含んだものを身に着けている女子はいなかった。それがさらに俺の心を掻き乱した。どうして、キミたちみたいなのが、ああいうのを履かないでいるのだ?
車内の女子たちの会話が自然と耳に入ってくる。友人の一人がケータイで何かの画像を見せながら「ねぇねぇ、コレかわいくない? 」と質問すると、かなりの高確率で「カワイイ! 」という返事が返ってくる。そう言う彼女たちの鞄には、キノコの出来損ないのような生物やら、深海魚やら髭とメガネやらがぶら下がっている。あなた達の「カワイイ」っていったい何ですか?

 地元の駅に到着すると、改札の横にR25の最新号が出ているのが見つかった。一冊手に取って改札を出る。今回の特集は「急増中!キレイになりたい男たち! 」というものだった。勘弁してくれ、頭が痛くなる。
帰宅して、暗い室内に電気を灯す。ニャーという歓迎の声と共に、ちょびがソファの下から出てきた。
「ただいま、ちょび」
 ちょびは数か月前からこの家に居座っているネコだ。真っ白い毛並に、鼻の下の皮膚にだけ黒い模様があるから、ちょび。この愛嬌のあるひげが好きで、彼の居候を許している。野郎二人きりの部屋なのでとんでもなく汚いが、俺たちには十分すぎるくらい快適な生活空間だ。

 夕食に大根とゲソの煮込みと味噌汁を作り、猫缶を堪能するちょびと二人で夕食を始めた。テレビをつけると、バラエティ番組をやっていた。トークショーのようで、女性タレントに対しておネェタレントが毒舌でアドバイスをするというものだ。しかしまぁ、よくもこんなにおネェばかり集められたなと感心する。総勢二十人くらいだろうか。こんなにいるもんなんだなぁ。そのうちの一人が、盛りに盛った巨大な頭にマイメロディの小さなぬいぐるみを付けているのが見えた。またマイメロディ。あの頭巾をかぶったウサギをかわいいと思う気持ちは分からなくはないが、こういう遊ばれ方されているのを見ると何とも言えない気持ちになるな。
 夕食を食べ終えると、ちょびが膝の上に乗ってきた。何の気なしにさっきのフリー雑誌を手に取って眺める。男性向けのエステサロンにネイルサロン……ファッションコーディネイターまでいるのか。いやいや、世界と言うのは目まぐるしく変わるもんだな。数十年前だったら考えられないぞ。ふと、俺は自分の爪を見つめてみた。表面に艶はなく、小さな凹凸があり、根元にはささくれが目立つ。お世辞にも綺麗な爪とは言えないだろう。雑誌には、男性用ネイルサロンのお店も紹介されていた。予約が必要な程繁盛しているらしい。電話にお店の番号を入力し、声を発するまでに、何故か躊躇が無かった。

 店に行くと、俺と同い年ぐらいの男たちが爪を差し出して女性の技師に爪をいじってもらっていた。何とも言えないほんわかとした空気で、俺は予約したことに対して大いに後悔し始めていた。しかし、名前を呼ばれたらもう引き返す事なんかできないと腹を括った。
 相手の女性は「初めてなんですねー、緊張しないで肩の力抜いてくださいねー」と気さくに話しかけながら早速やすりのようなもので爪の形を整え始めた。見たことない道具やらなんやらを次々と取り出して、俺の爪がどんどんキレイになってゆく。表面の凹凸がなくなり、若々しい艶が蘇ってきた。根元のささくれもキレイに無くなり、施術が終わるとお姉さんに言われた。
「ハンドクリームつけないと、乾燥して痛くなりますし、ささくれも多くなりますから是非習慣的につけてくださいね。ウチの店で販売しているハンドクリーム、初回サービスで無料で差し上げてますので是非使ってください」
 お姉さんは机からハンドクリームを取り出し、少しを俺の手に付けてマッサージしながらつけてくれた。なんともいえない、いい匂いがした。新宿で出会ったあの人の匂いに近かったかもしれない。

 爪をきれいにしたのを打ち明けてみると、意外と職場の女子のウケは良かった。確かに以前より清潔感は出たかもしれないし、何だか若返った気分だ。ふと、職場のパソコンに写った自分の顔を見た。ここ数日間仕事で立て込んでいたため、髪の毛は伸び放題だったし、顔も乾燥してカサカサだ。手だけ綺麗になっても仕方ないんじゃないか?と思えた。

 思い立ってからの行動は早かった。髪もキレイに切ってイメチェンしたし、人生で初めてエステにも行った。肌がツヤツヤになり、出来物も減った気がする。どんどん、自分がきれいになっていくことが快感だったし、周りの反応もかなり良かった。

 三度目のエステからウキウキ気分で帰宅すると、ちょびが自分の脱ぎ散らかした服の上で丸くなって寝ているのが見えた。グレーのTシャツで、長い事着ているやつだった。考えてみれば新しい服も随分買ってない。それに、今持ってる服も似たようなばかりだ。黒とかグレーとか……無難な色の服ばかりだ。

 ファッションアドバイザーと共にショッピングモールで一通りの服を購入した。ジャケットにシャツ、パンツに靴。購入したものを着てみるともう別人のようだ。しかし、せっかく見た目を整えても部屋がこんな汚ければなんだか不自然な気がした。休日一日を使って部屋を全力できれいにした。家具の配置もすこし変えて、収納スペースを作るためにニトリやIKEAなどで買った小さめの収納ボックスをうまく配置した。デッドスペースもキレイに無くなったので、ちょびのためにベッドを買ってやった。カラフルなお魚柄のやつだ。

 大々的なイメチェンを行ったことでいい進展があった。俺に彼女が出来たのだ。実に十年ぶりに。取引先の女子社員で、歳は俺より五つ下だ。可愛らしい女性で、いつか見たキノコの出来損ないみたいな気持ち悪いキャラクターとかに、すぐカワイイ!と声を張らないところが気に入った。ちょっと信じられないかもしれないが、本当なのだ。すごくいい付き合いだし、結婚の日取りも固まりつつあった。そろそろ身を固めたいと思っていたところだし、本当に彼女に出会えて良かったと思う。ちょびも彼女を気に入ったようで、家に彼女が遊びに来た時には、珍しく人懐っこく甘えていた。

 結婚式の準備で忙しくなってきた頃のある時、俺の中で何かが狂った。彼女のウェディングドレスを選びに行った時だ。指定の店に行くと、店内には白だけでなく、黄色やピンク、ブルーなどのカラフルなドレスがフワフワとひしめき合っていた。眩暈がした。おぼつかない足取りで奥へ進むと、先に店にいた彼女がドレスの試着をして待っていた。カーテンを開けて出てきた彼女は、絵本で見たお姫様のような純白のドレスを身にまとっていた。胸元や裾は繊細に施された花柄のレースで飾られていて、袖口はふんわりと雲のように膨らんでいた。頭にはレースに合わせたかのような白い花のコサージュがつけられており、首には美しいパールのネックレスがつけられていた。カタログで見慣れたはずのベタすぎるデザインのそれを見た途端、俺の中で黒い靄が広がった。

 俺の様子がおかしくなっていたことには彼女も薄々感づいていたらしく、「あのドレスが気に入らなかったの? 」とか「どこか悪いの? 」とか心配してくれた。どれも温かい言葉には違いないのだが、そのどれもが的確な言葉では無かった。おそらく恐怖だったのだ。あの、お姫様のようなメルヘンチックなドレスに、俺は恐怖したのだ。なんてバカバカしい話だろう。頭を振って、どんどん広がる黒い靄を振り払おうとしても、あの時の感情が拭い去れなかった。

 外回りから帰るある日のこと。疲れた体を座席に預けて俺はいつものように山手線に揺れていた。結局、俺は彼女に「体調が悪いから、式を延期しよう」と話して、その後うやむやにしてしまった。彼女は何一つ悪い顔せず「待ってる」とだけ言ってくれた。胸が痛くて仕方が無かったが、そうせざるを得なかったし、実際、俺の体は、頭はおかしくなっていたと思う。新橋駅からゆられて、目黒で降りるはずが、気が付くと俺は原宿駅の改札を通過し、竹下通りの入り口に立っていた。俺の隣をパステルカラーや蛍光色で彩られた妖精のような女の子達が通り過ぎていく。人混みの中に、マイメロディの靴下を履いたあの人がいた気がした。
「そうか! 」
 俺の頭に一筋の光が差し込んだ。
「俺に足りなかったのは……」
 そこからはもう無我夢中だった。竹下通りを端から端まで、俺はありとあらゆる店に入った。柔らかい色のロリータファッション専門店では、薄ピンクやブルーのレースで彩られたフランス菓子のような服が俺の脳髄を砂糖漬けにし、ヴィジュアル系ファッション店では赤や黒、スタッズで身を固めたダークファンタジーの登場人物のような服が俺を切り裂き、ストリート系では蛍光イエローや蛍光ピンクが俺の目を焼いた。
 暴力だ。これはもう一方的な暴力に近かった。でも確かだったのは、どの店にも『マイメロディ』が生きていたということなのだ。俺はなんてバカだったんだろう。ここには絶対ないと思っていた俺に足りなかったものは、全て、ここのものに潜んでいたのだ。マイメロディだ、マイメロディが俺に暴力を振るっている!アンジェリックがなんだ!ピースナウがなんだ!アルゴンキン?フェルノパ?チェリーズ?どれも同じだ、みんな同じだ!みんなカワイイ!かわいくて仕方がない!竹下通りから人がいなくならないはずだ!レディ・ガガだって来るハズだ!
 ならば、どうして。どうして俺が着てはいけないんだ?

 新宿駅で出会ったあの人は、俺に足りないものをすでに知っていた。俺は、あの人にぐっと近づけた。今、俺の部屋は最高にカワイイ。どんな女の子よりも俺の方がカワイイ。なんて誇らしい気分だろう。俺の目の前にはパステルカラーのピンクやブルーが、マリー・アントワネットが食べるマカロンタワーのように積みあがっている。俺は、なれないと思っていたお姫様になれたんだ。
ちょびにもドレスを着せてやった。ピンク色のウサ耳頭巾だ。すごく似合っているが、いかんせんあのひげが余計だ。
 今度、取ってやらないとな。


2013年某同人誌収録
自分の出身校の文化祭に、OG有志として参加したサークルで発行した同人誌に収録した短編小説です。
同人誌を発行してから日にちが経ったので、コチラにも公開します。
核P-MODELの「アンチ・ビストロン」と、数人のTwitterのフォロワーさんのイメージから着想を得て制作しました。
普通のサラリーマンと『男の娘』という存在に関するお話。

変態度高めですが、エロではないです。
2014年9月6日
<こちらはpixivより引っ越ししてきた作品です>

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