家族
数年ぶりに父と顔を合わせた。
離婚、病気、不仲
親族は 土地もろとも解散している。
祖父母も従兄弟ももう顔もわからない。
そんな家系の中で 辛うじて家族の形を保っていたうちの家族も、みんな発達障害者。
妙にセンスがある人の集まりだったから
外向きにはとても綺麗だったけれど
一生噛み合うことのない人間たちだけで 家族の形を保つことは、とても難しかったなあ。
幸い私は社交的な性格で
家の外では満足な生活を送ることが出来た。
帰ったら殴られるけど、 友達にも彼氏にも恵まれた。
勉強もとても好きだった。
勉強さえしていれば、両親は何も言わなくなった。
だから良い大学に入れた。親はほっとしていた。
中、高、大と、外の世界が広がってゆくにつれ
自分がアダルトチルドレンだということには気づいてきていた。
そして20歳
思い切って家を出た。
楽しい日々だった。
25歳
結婚して、苗字も変わって
式も挙げず
自然と親とは距離を置いて
心の中では縁を絶った。
連絡先もブロックした。
絶縁してからは
それはそれは身軽で あたたかな春のような心地で
夫婦生活がただただ楽しかった。
そんなある日
父親から一通の手紙が届いた
"これから毎月、借金を返します"
これは私が父に貸していたお金のことだ。
覚悟の文章と、印鑑が押してあった。
なんかその時
膝から崩れ落ちて半日泣いた。
しばしの錯乱状態が続いたあと
鬱のモヤみたいなものが ブワッと脳みそから出ていった感覚を得た。
あれはなんだったのだろうか
体調がどんどん良くなった。
次の春には、ふらっと墓を参ることもできた。
許せたのか…?
家族のLINEのブロックは解除した。
そして昨日、久しぶりに父と話した。
以前とは違う感情が芽生えていた
私は大人になったな。
偉いな。
全てを 全てを受け入れたい。
それでいて、楽しく生きていたい。
そういう人間になりたい。
そういう想いが今は一番強い。
愛しているとは言えないけれど 受け入れている。 父も、母も、ひとりの人間として 必死に生きている
私もそれは同じだ、その感情と苦労を知っている。
お元気でね
他人のようにそう言って帰宅した
これでいいさ。
今はそんな気持ちでいる。
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