ぺりみ
ほぼ毎日なんらかの手書き日記を載せています
鬱を体験した7年間の記録。今は元気です。
読みたい記事などを置いておくところ
1Kで暮らす大学生。 ある日突然起き上がることができなくなった。 別に毎日朝が来るのを楽しみにしてたわけでもないけど、そういうのじゃなくて。 どうやって抜け出すっけ布団って、的な感覚で。 その日からか? 世界が眩しくて、他人が発光して見えたりしたのは。 なんで生きてるんだろうとか、なんかあっちこっち痛い気がするとか、そんなことを考えてた頃にはもう鬱になっていたのだろうか。 最悪だ。今日もずっと布団の中にいただけだ。 そんな時間だけ重なっていく。 スマホを見る気力は
未知のウイルスが世界で蔓延しはじめた年、わたしたちは結婚しました。 この冬、結婚5周年の記念日を迎えるにあたって、結局あげるのことができなかった結婚式であなたに向けて読むつよりで書いていた手紙をここに残します。 今私は真っ白なドレスを着て、マイクを持って立っています。その画を思い浮かべながら読んで貰えると嬉しいです。 その日に呼びたかったお友達や家族もぜひ聞いてください。 ━━━━━ 夫へ ついにこの日がやってきましたね。 私たちが交際してから 13年の月日が過ぎて
私が思っているほど 友達は私のこと愛してないんだなって思うことがある。 SNSが発達してからというもの 周りの行動が丸わかりだから 全てが露になるこの世界はかなり窮屈になったのではないだろうか。 平成を生きてきて、 その半分は人とつながるツールありきで友達関係を作ってきた。 デコログ、ほむぺ、mixi、Twitter、Instagram... その時代時代にそれぞれの楽しさや苦しさがあったし トラブルも経験した。 懐かしいよ。黒歴史も沢山ある。 それでも学校生活では
不思議だ。 私は生まれた時から発達障害で、今も発達障害であるわけだ。 なのに 発達障害の告知を受けてから あたかも"その日"から発達障害人生が始まったような気がしている。 これは想像にすぎないけれど、不治の病、たとえば癌が見つかり余命宣告を受けたとしたら、その瞬間から「終わり」を意識した生き方になるだろうと思う。 だけどそれとは少し違って。 実はこの人生、最初から地獄でした!ということが今になって明かされた感じがして、それでいて、「今まで大変でしたね」みたいなこと
うちは年収1000万以上の世帯 両親は大学のサークルの先輩後輩で 恋愛結婚、夫婦円満でした。 それだけ聞いたら 結婚大成功、人生安泰 みたいな感じがしますが。 田舎出身の母は 都会に嫁いで苦労をしたようです。 まず、水が不味くて飲めない。 大気汚染による悪臭で外で嘔吐く。 高い建物の窓の反射の光で目がやられる。 夜中でも騒音が鳴り響き、頭痛がする。 電車がややこしくて混乱する 野菜が高くて不味いなどなど.... 空気がよく、星がキラキラ見えて 新鮮な野菜が庭にあった
「もう一回お願いします!」 グリーンのテニスコートから元気な若者の声が聞こえる。 ここは家からさほど遠くない場所にある私立学校。知っているような、知らないような学校の風景を見ながら長い廊下を歩いていく。 懐かしいな・・・ イマドキの上履きは、あの変な便所スリッパじゃないんだ。制服もかわいい。私は私服の高校だったから、お揃いの制服にはなんだか少し憧れがある。 先生がよほど教育熱心なのだろうか。 ここでは土曜日のお昼頃、発達障害の子を持つ親が集う会が行われている。
数年ぶりに父と顔を合わせた。 離婚、病気、不仲 親族は 土地もろとも解散している。 祖父母も従兄弟ももう顔もわからない。 そんな家系の中で 辛うじて家族の形を保っていたうちの家族も、みんな発達障害者。 妙にセンスがある人の集まりだったから 外向きにはとても綺麗だったけれど 一生噛み合うことのない人間たちだけで 家族の形を保つことは、とても難しかったなあ。 幸い私は社交的な性格で 家の外では満足な生活を送ることが出来た。 帰ったら殴られるけど、
たまたまネットで見た画像 私はふと 「この数字読める?」なんて夫に聞いてみた 画像には大きく89と書かれていたけれど 彼は首を傾げながら 「26」 と言った 「!!」 思えば10年間 お揃いの緑のセーターをグレーだと言ったり 肉が焼けてないのに食べようとしたり 不思議に思うことは多々あった そういえば 「曇りの日って、空が暗すぎて本当に落ち込む」 なんて言っていたな 私はそんな風に思うよりも 低気圧頭痛にやられていたりしたから なんか
2018年 私は静かに終わりを迎えるため 物を整理し、行きたかった場所を巡った。 20代はうつ病に費やした。 幼少期のトラウマも 就活の失敗も友達との確執ももう遠い昔の話のことのようにふっきれたほど時間が経過しているというのに 発達障害である自分は 不確定な未来に耐えきれる気がしなかった。 正直今の感覚では 誰かに輝いた未来を約束されても それを輝いていると認識できるかが分からない。 そんなように 私の脳みそには、喜ばしい出来事さえ黒塗りして 不謹慎だと言えるよ
根本的にはADHDで飽き性の私だが " 3ヶ月やってみる " という 自分ルールを設けて暮らしている。 このルールというか信念のお陰で ダイエットも成功したし 汚部屋も片付けたし資格も取得できた。 学生時代の体験が影響しているようなので、 今日はその話をしてみたいと思う。 中学で英語の成績が伸び悩んだ時、塾講師が 「これを一冊だけでいいから隅々までみっちりやって。すぐには変わらないけど、3ヶ月後の試験で結果が出るから」 と言って、私にある教材を与えた。