ミズノアキコ(sei)

アマチュア打楽器奏者|"あおなやみ"direction/words…

ミズノアキコ(sei)

アマチュア打楽器奏者|"あおなやみ"direction/words( as sei)|聴覚と嗅覚で生きています。基本直感。

マガジン

  • haru drum

    名古屋を中心に活動中のドラマー・春日井直人さんのドラムブランド"haru drum"に関する記事です。 宣伝担当として、書いたり、まとめたり。

  • SKY-blue pink

    わたしが10代後半(高校生くらい)から20代前半(大学生)の頃に書いた、小説と呼んでいいのかと思うくらい短い文章たちを置いています。 タイトルは、ルーズリーフに書いた小説をファイリングしていたファイルのタイトルです。意味は「空色のピンク=あり得ないこと」。辞書に載っている英単語。

  • music and me w/percussion

    わたしの音楽生活など。

記事一覧

たんぽぽわた毛のひとりだち(1996)

この話は私が中学3年の時に24日で書き上げたもので、小説のようなものを書き始め「まとも(なも)ので」3作目とノートの表紙裏にメモ書きがあった。本当は人と人で書きた…

haru drumを愛でる会 in AICHI 20210808

「一生エイトビートいける。すごい気持ちいいです!」 「ずっと叩いていてほしい。ずっと聴いていたい」 これらのフレーズを聞いたとき、最高すぎる褒め言葉だと思った。 …

コンプレックスと生きている

「なんとなく学歴コンプレックスがあるんだよね」 ある日、友だちが別れ際10分程前に言った言葉が耳に残った。彼が身を置いている世界では学歴は重視されていないけれど、…

haru drumを愛でる会 in TOKYO 20210329

「なんか料理番組見てるみたいな感じです」 つっちーさんのチューニング風景を見ていて、思わずそうこぼれた。 去る2021年3月29日、東京・吉祥寺にある江戸前レコーディン…

ワードローブの入換と心境の変化と

最近ワードローブの大半が無印良品のものであることにふと気づく。 サイズ感、色、デザイン。三拍子揃っていて、値段も手ごろ。品質もよいとなると、つい手が伸びる。 全…

共鳴~Kyo-mei

先日、愛知県立芸術大学サテライトギャラリーにて開催中の 『共鳴~Kyo-mei』の展示観覧と、芸術講座に参加した。 芸術講座の内容はこうだ。 「共に鳴り、共に在る」〜拍…

I always wait for something new(2001)

これは大学2年になる春に、30分足らずで書いた、小説というか、エッセイというか、のようなもの。しかも講義中に書いたらしい。 当時いつも電車を待っていた私を「待つ女…

Please give me a Family(1998)

これは今のsei(青星)という名前になる前のペンネーム、滴露 泪(しづく るい)の時に書いた、ノート35ページのお話。 この頃はまだ大学ノートに書いていて、長さによ…

あおなやみ/Let's find something bright

わたしがdirection/wordsを担当している "あおなやみ"の1st Single 「Let's find something bright」の ミュージック・ビデオが完成しました📹 咲良里さんを起用し、 歌詞…

『door』(1999)

この話は高3の秋に書きはじめ、卒業前には書き上げていた、ルーズリーフ9枚のおはなし。 あとがきによると、プロットは前のペンネームの時にすでにあったらしく、すごく…

『NO MUSIC, NO LIFE』(2000)

これは、あとがきによると、2000年初執筆だった(らしい)、30分ほどでさっと書いたもの(らしい)、ルーズリーフ2枚のおはなし。 日付的に、センター試験の結果も出て、…

『wonderful world』(1999)

この話は、わたしが愛してやまないバンド「スーパーカー」の同名タイトル曲からインスパイアされ、高3の時に書いた、ルーズリーフ7枚の小説。 登場人物名も、メンバーの…

『Let's find something bright』(2000)

わたしが18、大学1年の時。 日付によると5日で書いた、ルーズリーフ3枚の小説です。 文中に登場する詞は先に別で書いていたらしい。(記憶があいまい) この頃のわたし…

がじゅまるの樹には妖精が宿る

がじゅまるの樹には妖精が宿る。 そんなことを聞いたことがありませんか? Wikipediaでがじゅまるを調べると、次のような記述があります。 沖縄県ではガジュマルの大木に…

The Answer is always quite Simple:こたえはいつだってシンプル

わたしが写真を撮るようになったきっかけは「ことばの敗北」を感じたからだ。 わたしが「きれい」と思った瞬間、モノだったり景色だったり、それらを言葉を介して伝えよう…

Over the Tears:なみだを越えて

泣くこと=涙を流すこと。 人間の生理現象のひとつなのに、わたしにとっては課題というか、越えられない壁みたいなものだ。「ここで泣けたらいいのにな」という場面で涙が…

たんぽぽわた毛のひとりだち(1996)

この話は私が中学3年の時に24日で書き上げたもので、小説のようなものを書き始め「まとも(なも)ので」3作目とノートの表紙裏にメモ書きがあった。本当は人と人で書きたかったけれど、考えていたらこうなったらしい。 まだペンネームもなくて、浮かんだままにペンを走らせていた頃の作品。 あと、この年の夏休みの自由研究みたいなもので、『かもめのジョナサン』の日本語翻訳にチャレンジし、五木寛之さんの日本語訳を読んだのですが、2章立てになっているのはその影響だったことを思い出した。 15歳のわ

haru drumを愛でる会 in AICHI 20210808

「一生エイトビートいける。すごい気持ちいいです!」 「ずっと叩いていてほしい。ずっと聴いていたい」 これらのフレーズを聞いたとき、最高すぎる褒め言葉だと思った。 去る2021年8月8日、愛知・日進市にあるJ'z Studio Westにて開催された「haru drumを愛でる会 in AICHI」の模様を、haru drum宣伝担当・ミズノがお届けします。 1.はじめに3/29の「haru drumを愛でる会 in TOKYO」を終えた帰りの新幹線の中で、次は地元・愛知で何

コンプレックスと生きている

「なんとなく学歴コンプレックスがあるんだよね」 ある日、友だちが別れ際10分程前に言った言葉が耳に残った。彼が身を置いている世界では学歴は重視されていないけれど、『○○さんは△△の出身で』みたいな話題の時などにふとよぎるのだろう。実際この時もそうだった。だからと言って、そのコンプレックスを抱くことに特に意味がないとも言っていた。 その数時間前まで、彼を含めて楽しく素晴らしい時間を過ごし、とてもいい気分が身体中を包んでいたけれど、帰りの電車の中で頭を占拠したのは、彼のつぶやきの

haru drumを愛でる会 in TOKYO 20210329

「なんか料理番組見てるみたいな感じです」 つっちーさんのチューニング風景を見ていて、思わずそうこぼれた。 去る2021年3月29日、東京・吉祥寺にある江戸前レコーディングスにて開催された「haru drumを愛でる会 in TOKYO」の模様をお届けします。 1:「haru drum」について最初に「haru drum」について、簡単にご説明します。 haru drumとは、愛知県・名古屋市を中心に活躍しているドラマー・春日井直人さんが2020年に設立したドラムブランド。

ワードローブの入換と心境の変化と

最近ワードローブの大半が無印良品のものであることにふと気づく。 サイズ感、色、デザイン。三拍子揃っていて、値段も手ごろ。品質もよいとなると、つい手が伸びる。 全体的に、黒の服が増えてきた。 もともと黒い服は好きだ。 子どもの頃、洋服に特にこだわりはなかった。 スカートを履きたくないということを除いては。 草むらの中をズンズン進むのに、スカートは適さなかったから。 木を登るにも、フェンスを乗り越えるのにも、適さなかったから。 小学生の時のお気に入りの服で唯一覚えているのは、

共鳴~Kyo-mei

先日、愛知県立芸術大学サテライトギャラリーにて開催中の 『共鳴~Kyo-mei』の展示観覧と、芸術講座に参加した。 芸術講座の内容はこうだ。 「共に鳴り、共に在る」〜拍子木の音色を見つめ、社会を考える 講師:深町浩司先生(愛知県立芸術大学教授) 誰でも簡単に音が出せる打楽器「拍子木」を用いて打楽器の高度な音色変化のメカニズムを体験しながら、私たちの身近な課題や問題への気づきに導いていく、ユニークな講座です。拍子木の木と木が触れあい「共鳴」してひとつの音色になることで、そ

I always wait for something new(2001)

これは大学2年になる春に、30分足らずで書いた、小説というか、エッセイというか、のようなもの。しかも講義中に書いたらしい。 当時いつも電車を待っていた私を「待つ女」と命名した人がいるらしく(それが誰なのか、全く思い出せない・・・)、「待つ」について自分なりに考え、書きはじめたらなぜか乙女チックな方向にいったらしい。 今でも待つことは苦ではないし、待ち合わせに遅れてくる人を最大5時間くらい待ったこともある。よく待てるねって、よく言われるけど。わたしは基本「待つ女」なので、平気な

Please give me a Family(1998)

これは今のsei(青星)という名前になる前のペンネーム、滴露 泪(しづく るい)の時に書いた、ノート35ページのお話。 この頃はまだ大学ノートに書いていて、長さによっては書きあがると半分白紙ページが残ることも。本文のあとに必ずあとがきのようなものを書いて、そのあとの残りのページに、読んでくれた人に感想を書いてもらっていた。 この年、両親が離婚した。家族が壊れていくのを数年間見ていたわたしの願望や実体験が含まれているかもしれないし、そうではないのかもしれない。 note掲載にあ

再生

あおなやみ/Let's find something bright

わたしがdirection/wordsを担当している "あおなやみ"の1st Single 「Let's find something bright」の ミュージック・ビデオが完成しました📹 咲良里さんを起用し、 歌詞、曲の世界観のひとつを表現してくれました。 とっても素敵な作品となっていますので、 ぜひご覧ください☻ "あおなやみ" are… Direction & Words : sei Vocal & Music : no11room Drums : 春日井直人 Arrange & Music : Swimming Sheep Arrange, Music, Produce, Mix & Mastering : IEDA (One Day Diary) Artwork Photo : キンダイチアキ Actress : 咲良里 Sarari Camera & Editor : Junki Mikami (FUIGO) #あおなやみ #ミュージック・ビデオ #sei

『door』(1999)

この話は高3の秋に書きはじめ、卒業前には書き上げていた、ルーズリーフ9枚のおはなし。 あとがきによると、プロットは前のペンネームの時にすでにあったらしく、すごく書きたかった話(らしい)。 ただ、プロット書いた時も、書き上げた後も、タイトルがなかったらしい。 いつもはプロット段階で仮タイトルがあって、それが本採用になるか、書いている途中で浮かんで決まるのに、この話だけはそうもならず。 読んでもらった友達からの感想にあった、「とびら」を英語にしてつけたので、自分で決めたといえない

『NO MUSIC, NO LIFE』(2000)

これは、あとがきによると、2000年初執筆だった(らしい)、30分ほどでさっと書いたもの(らしい)、ルーズリーフ2枚のおはなし。 日付的に、センター試験の結果も出て、授業が自由登校になるくらいの時期のようだ。受験勉強の息抜き? 浮かんだら、書かずにいられなかった頃。 某レコードショップのキャッチコピーとしても有名なこのフレーズ。 わたしの生活、人生においても、執筆当時も今も。音楽は欠かせない。 BGMにこちらをどうぞ。 基本的に執筆当時の原文ママです。 まだこの世界に音楽が

『wonderful world』(1999)

この話は、わたしが愛してやまないバンド「スーパーカー」の同名タイトル曲からインスパイアされ、高3の時に書いた、ルーズリーフ7枚の小説。 登場人物名も、メンバーのお名前から拝借しています。 フルカワミキさんにファンクラブ(現在は廃止)を通じて読んでもらい、 感想をもらったのはいい思い出。 執筆当時17才だったわたしの、”誰も知らない遠くに行ってリセットしたい”願望を書いたのかもしれないし、そうでないのかもしれない。 *基本的に執筆当時の原文ママです。            

『Let's find something bright』(2000)

わたしが18、大学1年の時。 日付によると5日で書いた、ルーズリーフ3枚の小説です。 文中に登場する詞は先に別で書いていたらしい。(記憶があいまい) この頃のわたしは”輝くこと”を自分のテーマにしていて、 それを前面に出した作品。 これを書いたころの自分は、じぶんが輝いてるなんて思えなかったけど。 きっと輝いていたと、今のわたしは思う。 この話は、今のわたしの考えにも通じるところがあるし、 自作の中で、もしかしたら一番すきかもしれない。 よろしければ、感想をコメントにてお伝え

がじゅまるの樹には妖精が宿る

がじゅまるの樹には妖精が宿る。 そんなことを聞いたことがありませんか? Wikipediaでがじゅまるを調べると、次のような記述があります。 沖縄県ではガジュマルの大木にはキジムナーと言う妖精のようなものが住んでいると伝えられる。 わたしが20代前半の、大学卒業したくらいで、当時付き合っていた人と別れて実家に戻り、多少傷ついていた頃。 とある雑貨店で、がじゅまるの樹を買った。 その一年ほど前に沖縄に行ったときは特に買おうとも思わなかったのに、その時見たがじゅまるに何かを感

The Answer is always quite Simple:こたえはいつだってシンプル

わたしが写真を撮るようになったきっかけは「ことばの敗北」を感じたからだ。 わたしが「きれい」と思った瞬間、モノだったり景色だったり、それらを言葉を介して伝えようとすると、受け取り手の語彙力や想像力など、言語外の様々な要因で、本来伝えたい「きれい」が伝わらないと感じた、いや悟ったに近いもかもしれない。これをわたしは「ことばの敗北」と名付けた。 そこで、目の前の「きれい」をそのままパッケージできる手段として写真を選んだ。10代後半、18くらいのことだ。  最初に買ったカメラはミ

Over the Tears:なみだを越えて

泣くこと=涙を流すこと。 人間の生理現象のひとつなのに、わたしにとっては課題というか、越えられない壁みたいなものだ。「ここで泣けたらいいのにな」という場面で涙がでることは皆無に等しい。「しくしく」という擬音語は、わたしにとっては痛みを表すことばに分類されているくらいだ。 そんな、泣くこと、涙について、ふと書きたくなった。 みなさんはどんな時に泣きますか?泣けますか? 家族をのぞく人前で最後に泣いたのはいつだろう。思い出そうとしても思い浮かばないくらいだ。おそらく、小学校低学