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がじゅまるの樹には妖精が宿る

がじゅまるの樹には妖精が宿る。
そんなことを聞いたことがありませんか?
Wikipediaでがじゅまるを調べると、次のような記述があります。

沖縄県ではガジュマルの大木にはキジムナーと言う妖精のようなものが住んでいると伝えられる。


わたしが20代前半の、大学卒業したくらいで、当時付き合っていた人と別れて実家に戻り、多少傷ついていた頃。
とある雑貨店で、がじゅまるの樹を買った。
その一年ほど前に沖縄に行ったときは特に買おうとも思わなかったのに、その時見たがじゅまるに何かを感じたのかもしれない。買った時の詳しい経緯とか気持ちは一切覚えていないのだ。
手入れがとても簡単で、水を毎日はあげる必要もなく、とにかく手がかからないのに部屋に緑がある。なんかいいな、みたいな。

がじゅまるがわたしの元に来て何年経った頃のことで、これまた詳しいことはさっぱり覚えていないのだけど。ある日母がわたしに、「この木はあなたの木だね」と言った。それは所有者がわたしであるという意味ではなく、この木はわたしの分身のようなものだという意味だった。彼女がなぜそう思ったのか、それも定かではないが、その言葉はわたしの中に残った。

 結婚して実家を出るとき、もちろんがじゅまるも一緒だった。
リビングに飾り、定期的に水をやり日向に移動させていたら、ぐんぐん枝を伸ばすようになった。それまで力を温存していたかのように、突然、ぐんぐんと。時期が来ると緑の葉をしっかり携え、それはそれは生き生きとしていた。
枝が伸びたということは根っこも?となり、知人のお母さんが園芸関係の仕事をしており、植え替えをしてもらった。窮屈なもともとの小さな鉢から解放され、広い棲家を手に入れたがじゅまるは、さらに生き生きと枝を張り、その元気な姿をわたしに見せてくれた。
クリスマスにはツリーの代わりに、枝にオーナメントを飾ることもあった。
いつしかこの木のことを「がじくん」と、安直な呼び名で呼び、水をあげたり日向に出したりするたびに話しかけていた。わたしはもともと人間以外の、無機質なものに対しても話しかけるタイプの人間で、植物は生きているから意思疎通が取れると思うと、話しかけてしまう。

そんながじくんと、数年前にお別れをした。
数年前、わたしは当時の職場の上司によるパワハラで数ヶ月間休職をしていたことがある。春先から夏まで、4か月ほど。その年の夏はとにかく暑く、エアコンを毎日歯つけっぱなしにしないと溶けてしまいそうな日々だった。
抑うつ反応と診断されたわたしは、朝起きることもままならず、なんとか重い身体を引き摺り出してリビングに移動しては日向ぼっこをし、空腹を感じたら食事を摂り、その日その時できそうな家事をし。夜は薬の副作用で眠れない日々を繰り返していた。
 そんな日々の中でがじゅまるのお世話が疎かになった。自分自身のこともままならず、同居人からの救いの手もなく、苦しいなか、ベランダで陽に当てられたままのがじゅまるを見るたび、水をあげなくちゃとか、そろそろお部屋に入れてあげなくちゃとか。思うのに行動が伴わず、時々気まぐれに水をあげる程度になってしまっていた。よくないとは百も承知だった。

そしてある日、そのときはもう病の元凶の職場を去り、新しい場所に行くことが決まっていた頃かもしれない。
がじゅまるの幹が空洞であることに気づく。
いや、そこまで行く前から、うすうす気づいてはいたのだ。その度に樹木医を検索したり、気にはかけていたけれど、行動に移せなかった。
こころを病むことは、想像以上に苦しくて、今まで出来たことがすんなりできなかったり、頭と身体がバラバラになるなんてしょっちゅうだった。だから、がじゅまるが壊れていくのが分かっていても、うまく対処出来なかった

がじゅまるの幹は空洞で、でも、なぜかとてもきれいに思えた。わたしが病みはじめたタイミングと、がじゅまるが枯れはじめたタイミングが似ていて、がじゅまるの枯れが進むと、わたしの体調が落ち着いていった。
「(この)がじゅまるは、わたしの木」
がじくんが身を挺して、わたしに元気をくれたのだと、そう思った。幹が空洞になったのは、妖精が去ったからだ。なぜかそんなふうに思えた。ふしぎなことに。
わたしはがじくんに、何度も何度も、ありがとうと言った。そして、泣いて謝った。

わたしはモノにも命が宿ると思うタイプなのですが、がじゅまるのがじくんほど、その力を感じた植物はまだほかに出会っていません。
育てるのが簡単と言われたハーブも枯らしてしまったのに、このがじゅまるだけは10年以上わたしのそばに居てくれて、最後にわたしに命をくれました。
これを書きながら、がじゅまるの最後の光景を思い出し、泣きそうになりました。
それから、部屋に緑があるといいなと思いつつ。まだぴんとくる出会いはありません。
またがじくんみたいな、すてきな緑に出会える日が来ますように。

おしまい

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