見出し画像

夢追い人と時間どろぼう

本に読まれている。そう感じることが、これまで何度かあった。何気なく選んだだけの本なのに、書かれていることがその時の僕の状況や精神状態に驚くほど合っていて、まるで本が僕の心を読んでアドバイスをくれているように感じられるのである。

そんな一冊が、3月にバケーションでハワイへ行った時に、何気なく持っていって読んだ、とある児童文学だった。

最近の生活は忙しさの極致である。EELSプロジェクトのPIを引き継いで以来仕事がどんどん増える上、日増しに扱いが難しくなるみーちゃん、そして日増しにミルク🍼とウンチ💩の量が増えるゆーちゃんの世話に翻弄され、息をつく間もない毎日を過ごしていた。

毎朝4時半に起きてメールの返信を始める。ゆーちゃんが泣くと片手で哺乳瓶を口に突っ込みながらもう片手で仕事を続ける。6時に朝食の準備を始め、6時半にみーちゃんを起こす。お口を喋ることにしか使わないみーちゃんに「早く食べなさい!」と怒鳴って急かし、遅刻ギリギリに学校まで引きずって行き、タッチアンドゴーで職場へ直行。だいたいランチは仕事をしながら。夕方までぎっしりのミーティングをこなして5時前に駐車場まで走って車に飛び乗り、まず保育園でゆーちゃんを拾い、次に学校に行ってみーちゃんを拾う。夕食でもお口を喋ることにしか使わないみーちゃんに「早く食べなさい!」と怒鳴り、次に「早くお風呂に入りなさい!」さらに「早くお風呂から出てきなさい!」そして宿題をさせ、ピアノの練習をさせ、今度はゆーちゃんをお風呂に入れ、そうこうしているとみーちゃんの寝る時間が来るので絵本を読み、次にゆーちゃんの寝る前のミルクをあげ、無事にママのおっぱいで眠りに着いたら、僕も9時半にベッドに倒れ込む。

そうして一日があっという間に過ぎて、週も、月も、年も、メリーゴーランドのようにクルクル回って過ぎていった。ほんの僅かの隙間時間もスマホから流れ込んでくるニュースやメッセージですぐに埋め尽くされた。ハワイ旅行も事前にプランニングやパッキングをする間もなく、出発前日に下着と水着とスーツケースに押し込んだ。そしてスーツケースを閉める直前、はっと気がついた。まだ本を何も入れていないではないか。こんな時こそ、我が自慢の本棚が本領を発揮する時である。

僕は「積読」主義である。気になった本はその時に読む時間がなくても構わず買って本棚にしまっておく。そうしておけば、忙しい日々の中にちょっとした隙間時間ができた時、わざわざ書店まで行かなくとも、自宅の本棚を探せば何かの読みたい本が見つかるのだ。

普段の読書はだいたい、運転中かジョギング中に聴くオーディオブックである。それ以外に時間がないからだ。最近聴いた本のほとんどは科学や歴史のノンフィクションだった。久しぶりに違うジャンルの何かを読みたくなった。

そこで、本棚を探した。

小野さんの本棚

Stanislaw Lem "Solaris" - いつか読まなくてはと思っていた傑作SFだが、うーん、日常が宇宙づくしなのでせめてバケーション中は地球に戻りたい・・・ボツ。

志賀直哉『暗夜行路』- もう10年以上も本棚に積まれている気がする日本文学の名作だが、ハワイで読むには重すぎる・・・ボツ。

新庄剛志『スリルライフ』- 宇宙でもないし、重さなんて微塵もないし、我がヒーロー新庄の本なのだから読まないわけにはいかないが、しかしこれをワイキキのビーチで読んでいるのを日本人に見られたら恥ずかしい・・・ボツ。

ミヒャエル・エンデ『モモ』- お・・・。

そんなわけで岩波少年文庫版の『モモ』をスーツケースに押し込み、翌朝4時に出発して、倒れ込むようにホノルル行きの飛行機に乗り込んだ。

機内で少し眠った後、みーちゃんがテレビに夢中になっている間、僕は本を取り出して最初のページを開いた。

モモ

時間どろぼうと、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語

ミヒャエルエンデ『モモ』より

小学校の時にクラスの女子が読んでいたのを覚えていて、時間どろぼうの話というのもうっすらと記憶にあった。しかしどうやって時間を盗むのだろう?

児童文学なのですらすらと読める上、天候のせいで飛行機がだいぶ遅れたので、ホノルルに着く前に時間どろぼうが登場する第6章まで読み進んだ。

時間どろぼうは「灰色の紳士」として登場する。顔も服も灰色の男が、ごく平凡な暮らしを楽しむ床屋のフージーのもとに現れ、「時間の無駄」を追及する。たとえば彼が三度の食事に毎日二時間も使っていることを無駄だと責める。ふと、みーちゃんに「早く食べなさい!」と怒鳴る自分の姿と重なった。

灰色の紳士の追求は続く。

「あなたは、年取ったお母さんとのふたりぐらしですね。毎日あなたはお年寄りのために、まる一時間もつかっている。これはむだに捨てられた時間です。五千五百十八万八千秒ですな。」

『モモ』第6章より

僕は胸の痛みを感じた。僕が東京にいる老いた両親と喋るのは、毎週末の20分のSkypeだけだ。

「ダリア嬢は足がわるくて、一生のあいだ車椅子からはなれられないんですからな。それにもかかわらず、あなたは毎日花をもって彼女をたずねるために半時間も使っている。なぜです?」
「だって彼女はとても喜びますから・・・・」
「しかし冷静に考えれば、フージーさん、あなたにとってそれは無駄な時間だ。合計すればなんと二千七百五十九万四千秒もの損失なんですよ。」

『モモ』第6章より

そういえば最近、妻と二人で過ごす時間もほとんどなくなってしまった。赤ちゃんが産まれたこともあるが、昔時々金曜日にしていた「デート」の習慣も、忙しくなっていつの間にかなくなってしまっていた。

灰色の紳士はそうやって街中の人を尋ね、「無駄な時間」を追及し、それを奪っていく。人々はあくせくと働くようになり、街は経済的に豊かになり、そして無機質になっていった。

飛行機がホノルル空港に着陸した。ターミナルで日本から来た義理の両親が待っていた。みーちゃんはおじいちゃん・おばあちゃんに会えて大喜び。はじめてゆーちゃんを抱っこするおじいちゃんの顔は幸せそのものだった。

僕はスマホからTwitter、Facebook、メッセンジャー、Newspicksなど、いつも使うアプリを全て削除した。そして心に決めた。旅行中は絶対にみーちゃんに「早くしなさい」と怒らないぞ、と。

たった一週間の休暇だったが、その一日、一日はかけがえのないものとなった。

朝、だいたい僕は一番に目を覚ます。ホテルのベランダに出て、夜の海を見ながら本の続きを読む。すると子どもたちも起きてきてベランダにやってくる。僕は本を置き、コーヒーをすすりながらみーちゃんとお喋りしていると、ダイヤモンド・ヘッドの山麓から金色の朝日が昇ってくる。

その美しさがみーちゃんの心の何かに触れたようで、ママが起きてくるなり興奮してこう言った。

「わたし、はじめて日の出を見たんだよ!!!」

そうか。みーちゃんが生まれてもう七年も経つのに、僕はまだ、この子に朝日を見せたことがなかったのか。僕は申し訳ない気持ちになった。

7歳児の元気は無尽蔵である。昼間はひたすらプールや海で泳いだ。シュノーケリングをマスターして、ビーチやサンゴ礁でカラフルな魚を見つけて無邪気に喜んだ。そういえば趣味だったスキューバ・ダイビングはみーちゃんが生まれてから一度もしたことがなかった。潜水艦に乗ったり、ショッピングを楽しんだりした。ビーチをみーちゃんと二人で散歩している時に雨に降られて、笑い転げながらずぶ濡れで走った。

みーちゃんがおじいちゃんとプールやビーチで遊んでいる間、僕は常夏の太陽に当たりながら本を読み進めた。

増殖する灰色の紳士たちは人間たちからどんどん「無駄な時間」を奪い取り、街の人々は生活を楽しむ余裕を失っていった。

光を見るためには目があり、音を聞くためには耳があるのとおなじに、人間には時間を感じとるために心というものがある。そして、もしその心が時間を感じ取らないような時には、その時間はないもおなじだ。

『モモ』第12章より

そうか、「ないもおなじ」なのか・・・・。

夕暮れ時はみんなで夕陽を見ながらカラカウア通りをのんびりと歩き、レストランでゆっくりと食事を楽しんだ。「早く食べなさい!」と怒られこともなく好きなだけお喋りできてみーちゃんはこの上なく楽しそうだった。

そして夜はホテルのバルコニーから星や月を見た。夜明け前にゆーちゃんが泣くと、ベビーカーに乗せ、そっと部屋を出て、誰もいないカラカウア通りを波の音を聞きながら散歩した。僕の心は時間を感じていた。これほどにもなく充実した時間を・・・。

旅行中にゆーちゃんの6ヶ月バースデーがあって、みんなでお祝いをしようと言っていた。その朝、僕の電話が鳴った。Section Manager(部長)からだった。僕が休暇中なのは知っているはずだ。電話を取ると、彼は明るい声で言った。

「おめでとう。グッドニュースなのですぐに伝えたくて。」

ニュースとは、僕の昇進だった。Group Supervisor (課長)を任されることになったのである。その日の夕食は祝い事が二つになった。家族がホテルの和食レストランで盛大に祝ってくれた。

『モモ』は終盤にさしかかっていた。パパが毎日熱心に読んでいる本にみーちゃんが興味を持ち、何の本か聞いてきたので、時間泥棒の話だと言うと、私も聞きたいと言うので最後の3章はみーちゃんの前で音読した。モモの活躍で、街の人たちは盗まれた時間を取り戻した。

そしてふたりはなんどもだきあい、そばをとおりかかった人びとも立ちとまって、いっしょに泣き笑い、よろこびを分かちあいました。いまではだれにもじゅうぶんにその時間があるからです。

『モモ』21章より

楽しい時間はあっという間に過ぎ、僕たちは義理の両親と別れて帰りに飛行機に乗った。だが、あっという間に過ぎるのは普段と同じでも、ハワイで過ごした一日、一日はメリーゴーランドがくるくる回るように機械的に過ぎる時間ではなかった。僕の目は朝日の美しさを見、耳は波の音やみーちゃんの絶え間ないお喋りを聴き、そして心は時間を明瞭に感じていた。

なぜなら時間とは、生きるということ、そのものだからです。そして人のいのちは心を住みかとしているからです。

『モモ』6章より

ロサンゼルスに帰ったら、また忙しい日々が待っている。昇進したということはさらに仕事が忙しくなるという意味でもある。子供の頃から夢だった仕事だから、もちろん手放そうとは思わない。せっかくのチャンスをドブに捨てようとも思わない。毎朝の「早く食べなさい!」も、毎日遅刻してられないから言わないわけにはいかないだろう。

しかし、そうしている間にみーちゃんもゆーちゃんもあっという間に成長してしまう。心が感じぬ間に時間は過ぎ、赤ちゃんは子供になり、子供は大人になり、僕のいのちは減ってゆく。

ふと、アイデアが浮かんだ。あと5年。あと5年、必死に仕事を頑張ろう。夢を追い、プロジェクトを成功させ、人類の宇宙探査を前に進める車輪となろう。そうしたら、1年、休みを取ろう。休業か、テレワークか、どういう形かは分からないが、子供たちが大人になってしまう前にハワイにでも住んで、毎日心で時間を感じながら一年を過ごそう。

まだそれが実現するかはわからない。妻に話したらもちろん真に受けてくれなかった。まあいい。この旅行に出る前にふと本棚の『モモ』に目が止まったことにはきっと何かの意味がある。スマホから削除したFacebookとNewspicksは、再インストールしないままにすることにした。あと5年。それまで、心で時間を感じることを忘れずに、今まで通りみーちゃんに早く食べるように急かしつつ、毎日夢を追いかけていこう。

「でもジジはジジじゃなくなっちゃったんだ。モモ、ひとつだけきみに言っておくけどね、人生でいちばん危険なことは、かなえられるはずのない夢が、かなえられてしまうことなんだよ。いずれにせよ、ぼくのような場合はそうなんだ。ぼくにはもう夢がのこっていない。」

『モモ』15章より
「モモ」 / ミヒャエル・エンデ (著 イラスト)大島 かおり (翻訳) / 岩波書店


小野雅裕
技術者・作家。NASAジェット推進研究所で火星ローバーの自律化などの研究開発を行う。作家としても活動。宇宙探査の過去・現在・未来を壮大なスケールで描いた『宇宙に命はあるのか』は5万部のベストセラーに。2014年には自身の留学体験を綴った『宇宙を目指して海を渡る』を出版。
ロサンゼルス在住。阪神ファン。みーちゃんとゆーちゃんのパパ。好物はたくあんだったが、塩分を控えるために現在節制中。

宇宙の話をしよう 小野雅裕 (著) SBクリエイティブ



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?