感謝の心の研究
「人類の道徳的な記憶」とは、人類の進化の過程で、人類が助け合いながら生きることを保証できる社会制度が未発達であったため、人間同士が互いに助け合うことを忘れないように、感謝という概念が存在しているそうだ。現代においては、例えば、日本の「勤労感謝の日」や,アメリカの「感謝祭」(Thanksgiving Day)などの感謝する日が定められているように、人類は互いを助け合うことを忘れさせないようにするために、感謝という概念が今も存在しづつけている。
「感謝」という言葉
「感謝」という言葉は日常用語として使われている。日本語での「感謝」が意味する内容と英語の「gratitude」が意味する内容を確認すると、日本語での「感謝」の意味は、「ありがたいと思う気持ちを表すこと。また、その気持ち」と説明されている(https://dictionary.goo.ne.jp)。感謝を意味する英語の「gratitude」の意味は、「親切・好意などに対する/人への感謝の念」と説明されていいる(https://dictionary.goo.ne.jp)。“gratitude”の語源は、ラテン語の“gratia”(好意を意味する)と“gratus”(喜ばしいことを意味する)である。このラテン語の語源から派生したものは、優しさ、寛大さ、贈り物、与えることの美しさ、受け取ることの美しさ、または何もしないでも何かを得ることに関係している。
感謝が学問的に研究され始めた理由
感謝は、ポジティブ心理学の研究対象の一つとして、研究されてきた。感謝という概念は、私たちの経験に身近なものであるにも関わらず心理学的に研究されてきた歴史は浅いが、ポジティブ心理学の興隆に伴って、その研究価値が見直されたのである。
ポジティブ心理学
ポジティブ心理学は、アメリカ心理学会の元会長マーティン・セリグマン(Seligman, Martin E.P.)が1998年に提唱した。その後、セリグマンや米国の心理学者を中心に研究が推進されて(Seligman, Steen, Park, & Peterson, 2005)、2007年には International Association of Positive Psychology(国際ポジティブサイコロジー協会) が設立された。
これまでの心理学は人間のネガティブな側面を研究してきた
従来の心理学は、うつや孤独感などの人間が生きる上でマイナスな部分に目を向け、それを解決していく姿勢が強かった。このような流れに対して、セリグマンは人間の短所(弱み)と同じように、長所(強み)にも関心を向けるべきであると主張し、心理学は「人間の人生をより充実させること」に貢献できると説いた(Seligman, 2002)。
従来の心理学は、人間の心理状態をマイナスからゼロにするものであった。これは、心理学が人間が生きていく上で生じる問題を解決していく学問として貢献していたことを意味する。このような歴史があり、21世紀の心理学は人間の心理状態をゼロからプラスにするものとして考えられるようになった。これは、心理学が人生を楽しむ上で必要なものを提供していく学問として貢献することを意味するのはないか。筆者は、21世紀にポジティブ心理学が流行ったことに対して、人生を生きるための心理学から楽しむための心理学への転換期だと考えている。
ポジティブ心理学は21世紀の心理学
ポジティブ心理学とは、「人間が生まれてから死ぬまでの間に起こるあらゆる出来事において、当人にとって人生が望ましい方向に向かうことに対して、人間が持つ強みを明らかにし、ポジティブな機能を促進してゆくための科学的かつ応用的なアプローチのこと」である(Peterson, 2006)。
ポジティブ心理学は、新しい研究領域ではない。ポジティブ心理学という観点、立場、運動のことを意味する。その研究対象は、自己認知、対人関係、社会環境など多岐にわたっている。
ポジティブ心理学の枠組み
Peterson(2006)によれば、3つに分類して説明することができる。
①ポジティブな主観的経験
幸福感、満足感、充実感、快感を意味する。
②ポジティブな個人特性
人間の強みとなる心理特性や能力を意味する。
③ポジティブな制度
家族、学校、職場、コミュニティにおける肯定的な環境を意味する。
感謝の心理学的分類
感謝は、大きく分けると、「特性感謝」と「状態感謝」に分けられる(Watkins, Gelder, & Frias, 2009)。
感謝特性
特性感謝とは、個人が得たポジティブな経験や結果において、他者の善行の役割に対する感謝感情を抱いたり、気がついたりする傾向である(McCullough, Emmons, & Tsang, 2002)。つまり、特性感謝は、感謝感情を抱く個人差の程度を表す認知特性を意味する。
感謝感情
感謝感謝は、「個人に何らかの良いことが起きたときに,そこで得られた利益は他の存在のおかげであると、個人が気づくことで生じる感情である(Watkins, 2007)。つまり、感謝感情は、個人が特定の状況下で抱く感情状態を意味する。
人間関係における感謝感情については、少なくとも「ありがたさ」と「申し訳なさ」の2つの感情状態があると報告されている(蔵永・樋口, 2011)。「申し訳なさ」は、「ありがたさ」に付随する感情であり、他者から援助を受ける被援助場面で生じやすい感情状態である(蔵永・樋口, 2012)。
「申し訳なさ」は、Greenberg(1980)が提唱した「心理的負債感」であると考えることができる。心理的負債感とは、「被援助者内に生じる援助者に対する返報の義務がある状態」である(相川・吉森, 1995; Greenberg, 1980)。日本人は特に、他者から援助を受けた時、ありがたいと思うと同時に、申し訳ないと思う傾向がある(Naito & Sakata, 2010)。
感謝は測定できる
感謝を測定する尺度はいくつか開発されている。以下にいくつか紹介する。
GQ-6(Gratitude Questionnaire-6)
GQ-6は、6項目から特性感謝を測定する尺度である(McCullough et al., 2002)。この尺度は、人生満足感、主観的幸福感、楽観性、ポジティブ感情、共感性との間には正の相関関係を示している。一方で、不安、抑うつ、ネガティブ感情との間には負の相関を示すことが実証されている。
GQ-6は、相川・矢田・吉野(2013)や白木・五十嵐(2014)が邦訳しているが、相川他(2013)では、GQ-6の因子的妥当性を検討しておらず、白木・五十嵐(2014)では、因子分析の結果、特性感謝の1因子が5項目で成り立ち、1項目が不採用になることが示されている。ゆえに、GQ-6の邦訳版は研究者間で一貫した結果が得られていないのが現状である。
GAC(Gratitude Adjective Checklist)
GACは、感謝感情を測定する尺度である(McCullough et al., 2002)。GACでは、3つの形容詞語(「grateful」「thankful」「appreciative」)に対して尋ねる尺度である。この尺度は、ポジティブ感情と人生満足感との間には正の相関関係を示している。一方で、ネガティブ感情との間には負の相関を示すことが実証されている。
「GRAT」(Gratitude, Resentment, and Appreciation Test)
特性感謝を一因子で捉えるGQ-6に対して、特性感謝を多因子で捉えた尺度もある。それは、Watkins, Woodward, Stone, & Kolts(2003)が開発した「GRAT」と言われるテストである。
GRATでは、「豊かさの感覚」「単純な感謝」「他者への感謝」の3因子から成る尺度である。この尺度は、ポジティブ感情と人生満足感との間には正の相関関係を示す。一方で、ネガティブ感情と抑うつとの間には負の相関を示すことが実証されている。なお,GRATは、児童青年を対象とした短縮版が開発されている(Froh, Fan, Emmons, Bono, Huebner, & Watkins, 2011)
対人的感謝尺度
感謝研究では、GQ-6が用いられることが多い。ただし、GQ-6は、人間以外の対象も含めた総合的な「特性感謝」を測定している。つまり、人間関係における感謝を測定することには特化していない。これに対して、対人的感謝尺度(藤原・村上・西村・濱口・櫻井,2014)がある。この尺度は、小学生の人間関係を対象として特性感謝を測定している。この尺度は、ポジティブ感情、共感性、友人関係の良好さとの間には正の相関関係を示し、攻撃性との間には負の相関関係を示す。
感謝の理論
心理学では、人間関係における感謝の機能を説明する理論がある。ここでは、①拡張−形成理論,②Find-Remind-Bind理論を取り上げる。
拡張-形成理論
拡張−形成理論は、Fredrickson(2001; 2004)が提唱した理論である。拡張−形成理論では、ポジティブ感情が、人の「思考−行動レパートリー」を一時的に拡張し、身体的、知的、社会的な意味での様々な「個人資源」を継続的に形成すると説明している。感謝感情は、ポジティブ感情であるため、人は感謝感情を経験すると「思考−行動レパートリー」を拡張することが予想され、「個人資源」を継続的に形成すると考えられる。
Find-Remind-Bind理論
Find-Remind-Bind理論は、Algoe(2012)が提唱した理論である。Find-Remind-Bind理論では、感謝感情には、現実の人間関係に気づかせる「Find機能」、他者に感謝した出来事を想起させる「Remind機能」、他者との関係性を強める「Bind機能」という一連の機能があることが説明されている。つまり、感謝感情は、自分にとっての恩人の存在に気づかせ、その出来事を思い出させる。この2つの認知過程を経た結果、感謝感情は行動として表出されることで、恩人との関係を強める(Yoshimura & Berzins, 2017)。
感謝感情は表出して初めて意味をなす
人間関係においては、感謝感情は行動として表出することで初めて、相手との関係に影響を与えることができる。つまり、感謝の気持ちは伝えることが大事なのだ。当たり前のことを言っているのは重々承知だが、私たちは日頃から「ありがとう」を伝えることを疎かにしていないだろうか。
Kumar & Epley(2018)は、人間には「利己的バイアス」と考え、他者に対して感謝感情を抱いている場合、相手に「ありがとう」と言わなくても伝わると思い込んでしまうと主張している。つまり、感謝する側は、「ありがとう」と言わなくてもいいだろうと過小評価する傾向がある。一方で、感謝される側は、「ありがとう」と言ってくれることを期待している場合があるとのことで、両者に食い違いが生じる可能性がある。
Kumar & Epley(2018)の知見を踏まえると、感謝の気持ちを伝えることは、感謝する側と感謝される側の双方に利益をもたらす効果があるにもかかわらず、私たちが思っている以上に実行されていないのではないだろうか。
感謝コンテンツ案
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