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インドのひとたちとわたくし。(123)-ご近所づきあいとソーシャル・キャピタル

 毎夕、日課のウォーキングを終えると8時近くになる。あたりはすでにじゅうぶん暗いのだけれど、公園内にいくつも灯っている白いLED照明と、周囲の民家の門灯で足元はよく見える。この時間でも、まだまだ公園内を歩いているひとは多い。インドの家庭の夕食はだいたい9時くらいからなのだ。

 ご近所のリタの家の前を通ったら、いつもかっちりとオートロックで施錠されている表のゲートの分厚い鉄扉が半開きになっている。客人でもいるのかしらん、などと思いつつ通り過ぎようとしたら、この家で飼っている2頭の犬たちが、何食わぬ顔で扉から外に出てきた。前からいるハスキーのミックス犬ミアと、最近家族に加わった黒ラブのパピーだ。
 2頭ともよく知っているので、出てくるなり飛びついてじゃれかかってきた。散歩の時間だから、あとからメハックか誰か家のひとが出てくるだろうと思ったら、誰も出てこない。よく見ると2頭とも、ハーネスも首輪もついてない。これは家の中で遊んでいるときの恰好だ。
 扉から中を覗き込むも真っ暗でひとの気配がない。あれれ。彼らが出てきたこと誰も知らないのか。まだ幼いパピーのほうはいったんぐるぐると駆けたあとすぐ、臆病なのか家の庭のほうへ戻って行ったが、ミアはスタタタっと道路沿いに家から離れて走っていく。「ミア!」と私が声をかけても知らんぷりだ。

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 この家は作りがたいそう個性的で、ゲートを入って庭を設けた先にある母屋のグラウンド・フロアにはドアも窓もない。石段を数段上がったところが直接、客間とテラスになっていて芝生の庭と一体なのだ。建物にドアがないものだから、ゲートの鉄扉がその役目を果たす。その扉が開いていると、それこそ犬も逃げればひとだって誰でも入って来られてしまう。それが開いているとは誠に不用心だ。
 上階に明かりがついているのが見えるので、インターフォンを鳴らす。その間にミアはどんどん走って行ってもう姿が見えない。
 「ハーイ」とスピーカーからのんびりしたリタの声がする。「あらーしばらく、元気だった?」と屈託がない。「うん、元気だけど、ゲートの扉が開けっ放しで、犬が外に出た」と告げると、「#$%&?!!!」と、よくわからない叫び声をあげて、「すぐ回収に行く!」とのこと。
 ほんとにすぐさま、お手伝いのお嬢さんが走って出てきた。このひとは英語ができないので、身振りであっちあっちと指さす。お嬢さんは華奢な身体に見合わない鋭くて大きな声でミアの名を呼ぶ。さすがだ。あのくらいの声の大きさでないと呼び戻せないよなあ、と妙なところに感心する。が、探すほうはそれどころではない。
 あとからメハックもやって来てみんなであたりを捜索するが、公園の塀沿いにはずらりと自家用車が停めてあることもあり、下のほうは陰になってよく見えない。
 メハックとお手伝いさんが二手に分かれて捜索に向かったので、私はひとまず家に帰ることにする。どのみち私ひとりでは連れ戻せない。

 シャワーを浴びたあと、気になってリタに「見つかった?」とテキストしてみた。
 そうしたら30分ほどして返信があり、家の裏と表通りで2頭ともつかまえたらしい。どうやらミアだけが脱走したのではなかったようだ。パピーも後から出てしまったのだ。

 ミアはほんとうに人懐っこくて、誰にでもすぐお腹を見せる。大学で建築を教えるリタの夫君が設計したこの家は、床がガラス張り(!)の中2階とその上2フロアが家族の居住空間、さらにその上の階に小さいが機能的なゲストルームが3つあって、そこをB&Bとして提供しているから、ロックダウン前は、外国人ツーリストや留学生がよく利用していた。私も何度も泊まったことがある。リタが本業でプロデュースしているオーガニック・コットンのリネンを使っていてとても清潔で快適な部屋なのだ。

 ミアは、そういう一見の泊り客であっても何の警戒もしない。のんびりと庭に寝そべって客を迎え、気が向けば足元にもまとわりつく。あんたそれじゃあ簡単に誘拐されるよ、といつも思う。表通りは遅い時間でも車やバイクが走っているから、事故にだって遭いかねない。やれやれ、とりあえず無事でよかった。リタからは「教えてくれてほんとうにありがとう!」と続けざまにテキストが来た。

 以前にも、停めてある車のカバーが雨と風でずり落ちていたり、家の前に「見慣れない」黒牛が座り込んでいたりしては、いちいちその家に知らせてあげている。

 東京の家に住んでいたとき、そんなお世話を焼いたことはない。「家の前に牛」はもちろん日本で起こりえないが、東京では普段から、できるだけご近所とは距離を置いて暮らしていた気がする。インドに行くから引っ越すのだと周りの数軒に挨拶に行ったものの、彼らがどんなひとでなにを生業としているかなど、10年住んでいてまったく知らないままだった。当然、向こうもこちらの素性は知らないわけだから、突然やってきて「インドに」と言われてさぞびっくりしたことだろう。
 向かいの家には、70代くらいのご夫婦が暮らしていた。挨拶に行ったら奥さんが出てきて、「まあ、インドへ!日本からもたくさん高齢者が移住されているそうねえ。テレビでやっていたの見たわ」と述べられた。あのそれ『インド』じゃなくて、『インドネシア』だと思います。わざわざ訂正はしなかった。

 デリーのこの界隈は、何世代にもわたって住んでいる家族もあり、町内会も機能している。公園では毎朝、大声で腹から「わっはっは」と笑いながら体操する『笑いヨガ』のグループがいるし、夕方は『婦人部会』と『老人会』のような井戸端会議が開かれている。だから、仕事や生活ぶりなど、ある程度のことをお互いに把握しているようだ。
 うちの隣のアパートメントが上階に増築工事を始めたときも、事情通のシャァムは「あれはね、違法建築をやろうとしてるんだよ」と明かし、妻のサヴィータから「それはここで言わなくてもいいでしょ」と窘められていた。

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 公園では小さい自転車を乗り回している姉弟がたまにいて、ウォーキング中のひとの後ろから「チリンチリン」とベルを鳴らしては追い越していく。お姉ちゃんが先に私を追い越すときには「後ろからもう1台くるから」と弟のことを教えてくれる。その弟はまだ補助輪つきのに乗っていて、カーブを曲がり切れず、植え込みに頭から突っ込んだりしているが、すかさず歩いている大人が「手を貸したほうがいい?」と声をかけてあげている。

 隣のアパートメントの上階のひとは、バルコニーでタバコを嗜んでいるが、私がたまたまこちらで窓を開けていると必ず、「吸っていて構わない?」と聞いてくれる。

 もちろん中には口さがないひとたちもいるから、ご近所づきあいの難しさはあるに決まっている。家の改築工事を巡って、三世代にわたる隣家どうしが仲たがいしてしまったところもある。
 それでも顔見知りが多くて、目が行き届く。ゲート・コミュニティということもあるが、基本的に治安はよい。知らない相手でも目が合えば挨拶するし、なにかあったらすぐに近寄って声をかけるというのは、日本の都会ではあまり見られなかった光景だ。もうひとつ感じるのは外部から来たひとを排斥したりしないということ。私のような外国人でも町内会には参加するし、彼らからも声をかけてくる。
 パットナムの指標のひとつにある「選挙の投票率」がこの地域でどうであるかは知らないが、それが希薄であった社会から来た身としては、ここには『ソーシャル・キャピタル』の蓄積があると感じられる。
 ロックダウンとソーシャル・ディスタンシングで、この種のご近所づきあいのよさが失われるのではないかといっときは思ったのだが、公園でのコミュニケーションは以前とほぼ同じように行われるようになってきた。ただ実は、デリーの陽性率は再び上昇に転じているので、『ロックダウン疲れ』で社会的距離が保たれなくなっているとしたら、喜ばしいことでは決してない。

デリーで陽性率が再び上昇している5つの理由( India Today, 2nd Sep, 2020 )

コロナ後は「商売のしやすさ」より「暮らしやすさ」を( Indian Express, 26th Jun, 2020 )

( Photos : In Delhi, 2020 )

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