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インドのひとたちとわたくし。(167)ーよい大家とわるい大家

 8月末に近所に引っ越した。引っ越し先は、築1年でまだ誰も住んでいないアパートメントだ。最上階に大家一家が住んでいて、1~3階(日本だと2~4階)が賃貸になっている。最上階を含め間取りはすべて同じ。地上階は駐車場になっている。
 3ベッドルーム・2バスルームというのは、それまでの住まいと同じ。家族二人には十分な広さである。
 嵐の後の長い停電で、近所のみんなが暇つぶしにベランダに出てきたとき、はす向かいのここの大家である紳士に手を振ってベランダ越しに電話番号を教え合い、物件を見せてもらうことにしたのがきっかけだ。
 家主ディマン氏とは何度か打ち合わせをして、備え付けの家具や家電は何が必要か、どちらがどこまで負担するか、などを細かく打ち合わせした。誠実で、きちんとしたひと、という印象だ。

死んでない。寝ているだけ

 インドでは新築物件への入居は避けたほうがよい、とよく言われる。電気系統や水道、ドアや窓の建て付けなど、工事の仕上げが雑で不備が多いから、いちど誰か住んで手を入れた物件のほうが安心安全だというわけ。
 しかし、8月まで住んでいた物件は新築じゃないのに問題だらけであった。直前まで住んでいた前の住人が丁寧に使っていたとはとても言えず、最初からソファの凹みや壁の傷、電球切れなどがあり、いちおう管理人を自認するヴィプールにいちいち訴えてはいたものの、この人物が「やる」と言っておいて何もしないというタイプだっただけに、次第にこちらも根気が続かなくなり、生活に大きな支障がない限り放置することになってしまっていた。
 家主のプージャは、最初こそ愛想がよくて、同じ女性と思ったからか、会うなりこちらの手を取って「困ったことがあったらなんでも電話してね」と言っていたが、それも口だけで、しばらくすると電話にもなかなか出なくなった。
 管理人ヴィプールは我が家の上、屋上にある離れのような部屋に住んでいて、その離れの小屋とこちらのアパートメントがプージャの所有なのであった。
 あるときふと疑問に思って、屋上の部屋とうちは電気代が一緒にされていないかとプージャに尋ねたところ、「なんでそんなこと聞くの!」と逆ギレされてしまった。それで確信した。我が家が払っている電気代に、上の分も含まれているに違いない。後日、近所のひとに電気代の話をしたら、我が家が異様に高いということが判明し、疑念はますます確信に変わった。プージャはわかっていてそのままにしている。悪質だ。

 半年間の『ロックイン・ピリオド』(解約できない期間)が終了するのを待って、契約どおり1カ月前の告知を送り、引っ越すことにした。
 驚いたらしいプージャからは矢継早に、「何でだ?」、「すぐに会って話したい」というメールが来た。
 顔をあわせて、淡々と退居する旨を告げると、プージャはしきりに理由を知りたがった。「階下の住人たちに何か言われたのか」などと言う。なにかやましいことでもあるんだろうか。とにかく契約どおりですから、で通す。「あのアパートを貸すのにブローカーにいくら払ったと思うのか」、「入居してもらうために室内にたくさん投資したのに」とあれこれ並べ立てるが、それはそちらの都合でこっちの知ったことではない。ほどなくして『投資した』という話も嘘っぱちであったとわかる。

近所で開かれていた衣料品と雑貨の市

 後日、2か月分の敷金を、これも契約通り、10日以内に返金するよう催促すると、おやまあ。返金どころか、家賃2.5カ月分の原状復帰費用の請求が来た。手書きの怪しげなリストにはヒンディーで、エアコンの清掃修理、壁の穴補修、ソファのほつれ補修とクリーニング、などなど、どう見ても以前からの不備や故障でさんざんヴィプールに訴えていた事項までが列記されているようだった。
 プージャと直接、話すときは、『叔父』を名乗る中年男性がくっついてくるのだが、大方このひとの入れ知恵で、この機会にアパートの修理代すべてをこちらに持たせようとしているのだ。それだけでなく、価格そのものがべらぼうに高い。エアコン修理に45,000ルピー(1ルピー=約1.8円)なんて、新品がまるまる買えるではないか。もう嫌がらせとしか言いようがない。

 冷静に議論できる相手ではさらさらないので、入居するとき世話になったスミットに、ちょっと可哀そうだが後始末を頼んだ。全額は無理でも8割方は返してもらいたい。
 スミットは最初、説得役にふさわしいからと、弁護士資格を持つ弟のロヒートを寄越したのだが、弁護士の理屈をもってしても、プージャとその叔父を納得させることなどできない相談というもの。それどころか若くて性格も優しいロヒートは、完全に二人の勢いに気おされてしまっていた。申し訳ないけどスミット、あなたが責任とってちょうだいよ。

露店の店先


 
 反面、引っ越した先、ディマン氏のアパートメントは極めて快適だ。

 なにかあればすぐ、上からディマン氏が降りてきてくれ、入居して間もないので電球切れやスイッチ不備などはすべて家主負担で対応してくれる。プージャとその叔父にはディマン氏の爪の垢を煎じて飲ませたい。
  先日は家主家族が全員でウチを見に遊びに来てくれた。同じ間取りだから、どんな風に使うのか興味があるみたいだ。ディマン氏夫人のサントシュと、息子の嫁さんの二人は目をくりくりさせてキッチンをのぞき込んでいた。かわいらしいひとたちだ。

 私たちがプージャ一味とのバトルを繰り広げている間に、世界ではひとつの時代が終わるという大きな出来事があった。 
 英国のメディアは連日、エリザベス女王の葬儀とチャールズ国王の動静を伝えている。亡くなった当日はインドでもトップで報じていたが、英国よりはかなり冷静で淡々とした伝え方だった。ツィッターはもっと過激で、いっときは『# コヒヌールを返せ』という、女王の王冠にはめ込まれた巨大なインド産ダイヤモンドに関するハッシュタグが盛り上がっていた。
 こちらに来てから知るようになった1947年の『印パ分離独立』は、どう考えてもインドの民のパワーに恐れをなした英国が大いに慌てて実行に移したために起こった史上最大の悲劇である。いくつかの映画やドキュメンタリ番組でもそのことは描写されている。ときの総督マウントバッテン卿が、そもそも現英国王室のウインザー朝であるから、インドのひとたちが女王と王室に対して辛辣なのも理解できる。
 しかし職場の若いひとに聞いてみると、「えっ女王が亡くなったの?」となんとも拍子抜けするような反応だった。ニュースとか見ないのか。
 『パーティション‐サイレント・ヴォイセス‐』を著したジャーナリストのカヴィータ・プーリが言っていたように、1947年当時のことを実際に体験して記憶を語ることができる世代のひとたちの多くはすでに存命でない。これは日本でも同じことだ。

 エリザベス女王自身がどのように記憶していたのかを知る術はないけれど、巻き込まれた市井のひとびとが記憶を語り継ぐのはとても大事なことだと思う。
 それにしても2021年GDPで、インドは英国を抜いて世界第5位の経済大国となった。存在感が増したこの大国が、かつての宗主国に対して本気で『コヒヌール』どころか、大英博物館と英国王室が保管するすべてのインド産財宝を返せと鼻息荒く迫る日も来るのではないかと思ってしまう。

イギリス連邦、過去と現在、エリザベス女王後の未来( The IndianExpress, 9th Sep. 2022 )

女王の死がインドで『コヒヌール』返還を呼び起こす( The TimesofIndia, 9th Sep. 2022 )

印パ分離独立の傷跡と遺産( BBC, 18th Aug. 2017 )

インドが英国を抜いて世界第5位の経済大国に( WionNews, 3rd Aug. 2022 )

( Photos: In Delhi, 2022 )

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