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母を偲ぶ川柳

みかん剥き 「お食べ」と差し出す 母懐(おも)う おかあさん。もうすぐ2年になる。ふつうなら3回忌をするところだろうけれど・・。何にもしない。お葬式もやってないんだから。 それに、だれといっしょにお母さんを偲ぶ? 私しかいないんだから。お母さんのこと、知っているのは。 毎日、ずっとお母さんのこと考えているよ。 恥ずかしくて、恥ずかしくて、仕方がないよ。 大人になれず、精神的に自立できず、お母さんを粗末にしてしまった。 誰かが言った。墓場まで持って行くしかないと。この情けない

    • 母を偲ぶ川柳

      お母さん だいだいだいだい だいすきだよ お母さんは自己肯定感が高かったのか、低かったのか・・ 小学校しか出ていないことをずっと悔やんでいた・・ 小学校しか出てなくても、ちゃんと国家公務員になったやん お母さん、すごいよ お母さんは、手先も器用だったよ 自慢のお母さんだよ 優しくて、人を傷つけることができずに、いつもがまんしていた ほんとうに心がきれいだった お母さんの家族は私だけなのに・・ なのに・・ お母さんが作ってくれた服・・どうして捨てちゃったのかな どうしてお母さ

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        なぜ生きる という題名の 本が売れ 新聞の広告欄にしょっちゅう出てる「なぜ生きる」。みんな好きで生まれてくるわけじゃないから、悩むよね。 お母さんも会えば「早く死にたい」と言っていた。動けなくて、施設に入れられて、気持ちはわかるけど、聞かされる私もつらかった。 私は生きる目的にならないんだね・・、とか、自分で楽しみを見つけてほしい、とか思って、寄り添うことができなかったね。 人に迷惑かけるから死ねないって、結局、人のこと考えて。 でも、最後は、ナースコールのコードを首に巻い

        • 母をしのぶ川柳

          赤ちゃんよ 2年目なんて まだまだよ もう2年たつのに、お母さんの死が信じられなくて悲しいと、ある人にぐちると、まだ2年目じゃない‥と言われた。 その人のお母さんはもうずっと前に亡くなった。 この歳で、もう2年もたつのに・・・、そんなこと関係ない。 悲しみたいのなら悲しめばいい。 誰に遠慮がいるだろうか。 きっと、きっと、私と同じ気持ちの人・・ きっと、きっと、私の気持ちを分かってくれる人がいる・・ 精神的に自立せよ、大人げない‥と言われそうと、いまだに周りを気にする自分の

        母を偲ぶ川柳

          母を偲ぶ川柳

          捨てられて 今また娘に捨てられる 幼児期の解決できないトラウマが繰り返しその後の人生にも表れるらしい。 大切な大切な宝物。いとこ兄にもらったペンダントと、友達にもらったお土産のブローチを綿でくるんで、てづくりの箱の中にしまったおいた。 それを母はごみとして捨ててしまった。 信じられないことだ。明らかに子供の工作と分かる箱を捨ててしまうなんて。母が謝っても許せなかった。悲しみだけが残った。母はその後も、ひっそりと隠していたスターのブロマイドも捨てた。 一言も「捨てていいの?」

          母を偲ぶ川柳

          お母さんをしのぶ川柳

          手を引いて おとうさん起こす 夢見たよ お母さん。わたしたちを苦しめたお父さんの夢を見たよ。ひっくり返ったお父さんの手をとり、起こしてあげる夢だった。 酒乱で、酔って帰った日は、顔つきも変わり、目が座って怖かった。私の幼児期から安心安全な場所を奪った父。実の父ではなく再婚した父だったから私は母を憎んだ。 校長でありながら、二日酔いの次の日は家で寝ていた。趣味はギャンブルで、まじめな人なのだろうが、まったく尊敬できなかった。退職後は、じっと家にいて、何をすることもなく、あいか

          お母さんをしのぶ川柳

          お母さんを偲ぶ川柳

          おかあさん 96歳 おめでとう 言いたかったなあ。同じ日に生まれた娘の誕生日を家族で祝った。おかあさんの誕生日、何回一緒に過ごしたかなあ。 おかあさん、なんでも持っていたから、プレゼントも選べなかった。でも、それでも、一生懸命考えたらよかった。お母さんの誕生日、私しか祝ってあげられないのに。ずっと知らん顔しててごめんね。 娘を生んだ日が、お母さんと一緒の誕生日でうれしかった。 お母さんはうれしかった?一度もうれしいという言葉は聞かなかった。 娘も「おばあちゃんと同じ誕生日で

          お母さんを偲ぶ川柳

          おかあさんを偲ぶ川柳No.27

          母逝きて 包装紙たたまれ 残りおり 何でも捨てずにきれいに整理して残していたお母さん。 断捨離本を見て、何もかもごみだ、と、捨ててしまえ、と、捨ててしまった馬鹿な私。断捨離なんてしなければよかった。 判断力が鈍っていて、ごみではないものも全部捨ててしまった。 たたまれた包装紙はほんとうにごみだったのか。 断捨離提唱者たちは、せせら笑いそうだが、大切に再利用していたいじらしい母の気持ちを踏みにじったようで後悔している。 まあ、とにかく自分を責める日々が残ったということ・・・

          おかあさんを偲ぶ川柳No.27

          母をしのぶ川柳No.25

          哀しみが ない人生は ないという 人生って苦しいものなんだね。そうなんだ・・

          母をしのぶ川柳No.25

          お母さんをしのぶ川柳

          さびしいな  にぎやかだろな あの世では 会いたいよ。お母さん。お願いだから今幸せでいてね。

          お母さんをしのぶ川柳

          母をしのぶ川柳N0.24

          お手伝い 叱られた日が 最後の日 父はよく同僚を何人も狭い我が家に連れてきた。そのたびに母はごちそうを準備した。自分の部屋などなく、行き場がない小学生の私は、手伝おうと思った。はりきって、てんぷら粉を食材にまぶそうとした瞬間、粉がひっくり返って、私は粉まみれになった。狭い台所で、粉が入った器も不安定だったから。忙しいさなか失敗した私を母は𠮟りつけた。客に対して恥ずかしく、悲しく、それ以来お手伝いはしないと決めた。 それにしても、父は自分の仕事のために母にどれほど世話になった

          母をしのぶ川柳N0.24

          母をしのぶ川柳 No.23

          母の日の 思い出もなに一つなく カーネーションは渡したことがありそうです。でも、母の表情など思い出せないのです。母は喜んでいたでしょうか。母はいつも眉間にしわをよせていました。猛烈に忙しくて、情けない父に腹を立てながらも、何も言えなくて、ただ馬車馬のように働いていました。 私は何の役にも立てませんでした。 母の笑顔のために努力したかったけれど、できませんでした。 りっぱな子供になりたかったです。でもそのときは、自分を守ることで精いっぱいで、何もできませんでした。 大人になっ

          母をしのぶ川柳 No.23

          母を偲ぶ川柳No.22

          さよならと 脅かす母に 涙あふる 幼いころ、母はよく頭痛で寝込んでいました。そのとき必ず言うのです。「おばあちゃんは、死ぬとき、さようなら、さようなら、と言ってたんだよ」と。「さようなら~って、こんなふうに」 どうして、死ぬまねをしたのでしょうか。死にたいほどつらかったのでしょうか。私はいつも悲しくなって、部屋を出て泣いていました。 今も覚えているほど、どんなに私が傷ついたか、母はわかっているでしょうか。 誰でも、大なり小なり、傷ついた心を抱えているのでしょう。こんなことを

          母を偲ぶ川柳No.22

          おかあさんを偲ぶ川柳 No.21

          誕生日 母に感謝を 告げぬまま 私の出産は大変だったと聞いたことがある。私の誕生日に電話もない母を冷たいなどと思ったりした。私が「産んでくれてありがとう」の電話をすべきだった。私の誕生日は国民の休日だから忘れるはずはない。母の家計簿を見ると「産まなければよかった」と書いてあった。私が怒らせることをしてしまったのだろう。何も言わず、何も聞かず、かといって以心伝心できるはずもなく、悲しい親子関係だった。

          おかあさんを偲ぶ川柳 No.21

          おかあさんをしのぶ川柳No.20

          りんを打つ 届いた?かあさん 返事して 美しい音色の「りん」を旅行先の金沢で買いました。路地の一角に小さな店がありました。金色の小さい球体で、たたくと上半分がゆらゆら揺れます。 残響が長く残ります。お母さんは、喜ぶと思います。

          おかあさんをしのぶ川柳No.20

          おかあさんを偲ぶ川柳No.19

          失ってしまったあとの 悟りかな お母さんが死んで悟った数々の人生哲学。これから生かすにも、お母さんはいない。「生かすことができる」と思考を転換できない。誰かも言っていた。懺悔の傷を一生背負っていくと。 残された人生、辛い道のりだ。

          おかあさんを偲ぶ川柳No.19