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超極細でも芯が折れないオレンズを、超繊細で心が折れそうな僕が担当したら【#忘れられない一本 04】

誰にでも、忘れられない一本がある。
小学生の時に初めて手にしたシャープペンデビューの一本、
持っているだけでクラスの人気者になれた自分史上最強の一本、
受験生時代お守りのように大切にしていた一本。
そんな誰しもが持っている、思い出のシャープペンと、
シャープペンにまつわるストーリーをお届けする連載
#忘れられない一本 」。

ぺんてる社員がリレー方式でお届けしていきます。
第4弾は、ぺんてる入社15年目の、水口さん。
あなたの忘れられない一本は、なんですか?

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間違えても「消せる」ということが重要だ。
書き直しができるシャープペンが、僕にはちょうどいい。

学生時代は、書いて覚える派だった。
書いて頭と体に叩き込む古典的な学習法に加え、読み返したときに気持ちよくなれるノートを目指していた。今思えば、少々イタいやつだった。

書けば書くだけノートやプリントが成果物として積みあがり、これに満足していた。書き損じを許さない自分なりの完成型があった。
(肝心の成績は中の上くらいだったのだが…)

授業でカラーペンや蛍光マーカーを使用したとき、ちょっとした気の緩みで線が曲がってしまったことがある。

ポキッ…、

心が折れる音がする。
この瞬間、僕の集中力と戦闘力はゼロになる。

そのページを破いて捨てても解決はしない。ノートごと交換したい気分になる。というか、ほとんどの場合は新しいノートに変えた。本末転倒も甚だしい。

悲しいことに、社会人になってもその性格は変わっていない。
手帳に記入しているとき、書いた文字が気に入らなければ手帳を買い替えた。繊細というよりは、面倒臭い性格である。

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なお、書き損じたノートはメモ書き用として最後まで使用している。
食レポの「※スタッフが美味しくいただきました」と同じくらい怪しさはあるが、信じてほしい。


「忘れられない一本」の話を忘れていた。
「シャープペンの思い出=学生時代」という先入観で、しばらく特定の一本が思い出せなかったのだ。

しかし、僕とシャープペンは、仕事での関係の方が強い。
むしろ、そのせいで学生時代のシャープペンエピソードが飛んでしまったと言ってもいいだろう。
それならば僕の「忘れられない一本」は、オレンズしかない。

多くの会社員にとって、「シャープペンは仕事で使うもの」の一つだと思うが、僕にとっては、「シャープペンについて考えること」が仕事だ。

かつてマーケティング部で製品担当をしていたときのことだ。
営業からマーケに異動になった当初、商品企画やプロモーションなど、
華やかなイメージに気持ちが高ぶっていた。

「花形部門のマーケティング部で、ヒット商品を手掛けたい!」
自信があったわけではないが、ただ漠然とそう思っていた。

しかし、そのイメージと実際の業務には大きなギャップがあった。
このパターン、「あるある」だと思うのだが、共感してくれる人がいたら嬉しい。

当時の先輩は、うまいことを言った。
「優雅に水に浮かんでいる白鳥も、水面下では脚をバタバタしているんだよ」と。華やかさの裏側には、泥臭いことも多くあるという例えだ。
ことわざに似たようなのがあった気もするが。

その言葉の通り、素人の僕はマーケティングとシャープペン漬けの日々を慌ただしく送っていた。

当時は「オレンズ」を世に出したばかりで、シャープペンの担当は先述の先輩から引き継いだ。「超極細芯径0.2」という特徴と「芯を出さないで書く」という新しい使い方の訴求、ブランド育成…。なかなかやりがいを感じるミッションである。マーケ素人でもやっていけるだろうか。

面倒見の良い先輩は、まるで教育担当だった。僕が理解するまで何度も何度も説明してくれた。面倒臭いタイプの後輩だと自覚していたので、これには感謝しかない。
先輩は、「自分のことは置いといて、シンプルにオレンズにとって必要だと思うことだけ考えてみて」とアドバイスしてくれた。自分の得手不得手というバイアスを取り払うことで、考え方がクリアになったのを覚えている。それでも「他の仕事が手につかないなら、俺がやるから」と。

先輩からの気遣いがありがたかったのと同時に、やるしかない状況となった。もっともこの頃は心が折れる余裕すらなかった。新製品やプロモーションを矢継ぎ早に実施していたからだ。

そんな中でも特に思い出深い製品がある。「オレンズマニッシュライン」という限定企画品だ。コンセプトは「女子学生のスクールライフを充実させるシャープペン」だった。

これをアラサー男が企画する…。まてまて、大丈夫か?
いや、「オレンズにとって必要なこと」である。やるべきだ。

企画書(2)

正直、企画のキックオフから発売まで紆余曲折だらけであった。
衝突や停滞、ときには後退もあったが、今ならどれも必要な時間だったと思える。(遠い目)

(いろいろありすぎるので大幅に割愛するが)

僕は担当として、この企画におけるデザインの重要性を漠然と感じていた。ありがちな「女の子っぽい」デザインは違うと考えていたが、これだという正解を持てないまま企画をキックオフしてしまった。

仕事の進め方と各担当の関わり方が、当時としては珍しかったかもしれない。一方的な企画の提案というより、企画段階からデザイナーたちに相談するかたちをとった。

しかし、これがよろしくなかった。
ミーティングの度に様々なアイデアが生まれ、なかなか前進しなくなってしまった。優柔不断な担当が、企画をブレさせデザイナーたちを混乱させていたのだ。「オレンズにとって必要なこと」を実現するためにベストだと思ったのだが…。

デザインについて素人が意見するのはタブー感が漂っているし、プロのデザイナーに任せるのがチームとしては円滑かもしれない。イメージが固まらず悩む僕は、孤独な企画マンという気持ちだった。

迷ったときは、いつも以上に不安要素が頭をよぎるものだ。
そんなときは、先輩の言葉を思い出すことにしている。

「シンプルにオレンズにとって必要だと思うことだけ考えてみて」

あらためてコンセプトに立ち返り、マニッシュラインで実現したいことを洗い出す。上手く言葉にできないことは、「これは違う」というデザインイメージを用意した。

それでも、なかなか出口が見えなかった。

いよいよポキッという音が聞こえてきそうになった頃、僕をダークサイドから引き戻してくれたのは、デザイナーたちだった。僕の悩みとは裏腹に、彼女たちは「0→1」の進め方に、やりがいを感じてくれていたのだ。
さらに僕なりのデザインへの関わり方をも肯定的に受け止めてくれていたようだ。

資料など(2)

プロダクトデザイン担当のMさんが作ったコンセプトブックは、この企画を大きく前進させてくれた。いつも一生懸命で真摯に取り組むMさんらしい仕事だった。これまで全てのオレンズの販促デザインを担当していたYさんも、企画全体の世界観のトーン アンド マナーを整えてくれた。各担当が企画に対する思いを発信するようになり、一つのチームになったという実感があった。チーム全体で作り上げたこの企画は、僕らにとって成功体験となった。(ありがたいことに完売という嬉しい結果もついてきた)

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結果論ではあるが、プロトタイプ制作と検証を繰り返す作業の中で、
オレンズマニッシュラインは生まれた。

(当時のリリースです)

僕に自信を持たせてくれたのは、この経験を好意的に感じてくれているデザイナーの存在だ。このシャープペンを使っている姿を見たり、デスクに飾られたパンフレットを目にすると勇気が出る。

振り返ってみると、僕はシャープペン担当でありながら、オレンズばかりやっていた気がする3年間だった。


実は今年7月の辞令で、4年ぶりにマーケティング部でシャープペンを担当することになった。前任者が大きく成長させてくれたオレンズと再会だ。

オレンズ中心の仕事をしていた頃とは、様々なことが変わっている。
あの経験を大切にしつつ、僕自身の仕事もアップデートが必要だ。

手前味噌になってしまうが、ぺんてるにはオレンズをはじめ、素晴らしいシャープペンがたくさんある。
あらためてシャープペンについて勉強し、これを極めてみたい。
本気でそう思っている。

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相変わらず、手帳への記入にも細心の注意を払う日々が続いている。
繊細な性格は変わらない。むしろ年齢を重ねるごとに悪化している気さえする。

また、心が折れかけてノートごと交換したくなる時もくるかもしれない。
それでも、オレンズを通じて得た自信と勇気は、これからも僕を前向きな気持ちにさせてくれるはずだ。