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深い感動が得られたときにそれが記憶に残るのです。

私は小学生のとき、「蒸発」と「沸騰」という現象の違いがよくわからなかった。

水の温度が上がると気体になって目に見えなくなる、ということは理解していたので、積極的に水に熱を加えることで起こる「沸騰」という現象については納得ができた。しかし、常温下に置かれている水滴が、周辺の温度が特に変わっていないのにいつの間にか消え失せてしまう「蒸発」という現象については、全く納得ができなかったのである。

そうした小さな疑問を抱きつつ、時は流れに流れて、高校3年生になった。

部活動を引退した後の夏の時期、化学の授業で分子論について扱っていた。
そこで、気体と液体の界面で生じている気液平衡についての説明を聞いて、私の頭に稲妻が走った。

これだ!そういうことだったのか!

「沸騰」は、水に積極的に加熱を行い、水の内部も十分に温度が上昇して気化する現象であるのに対して、「蒸発」は、気液の界面における水分子の運動エネルギーや分子間相互作用によって、常に生じている気化・液化現象が不均衡になっているから生じるのだった。

これで、やっとあの頃からの謎が解けた。昼下がりの授業中、私以外の学生のほとんどは机に突っ伏して寝ているかスマホをいじっていたが、一番後ろの席で私だけがその勝手な発見に興奮していた。

思えば、こういう感動が訪れる瞬間こそが、何かを学んだときの快感なのである。

  • 数学:どんな関数でも多項式展開してしまうテーラー展開の威力に気づいたとき。

  • 理科:種子植物の分類がこんなにも体系的に行われている美しさに気づいたとき。

  • 社会:近代憲法とは、国民を縛る法律ではなく、国家を縛る法律なのだと気づいたとき。

  • 英語:英語話者の世界観とキリスト教的世界観がなんとなく重なっていることに気づいたとき。

などなど、色々な瞬間があるのである。

こうした感動を味わったとき、その記憶は決して忘れることのない領域へと保存される。それに気づいたときの感覚や光景を、いつでも思い出せるのである。

真に体得できる学びとは、「心を動かす」ような学びかもしれない。

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