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3/2水:月報には褒め言葉を。

この1年間で自分に課したことの1つに、毎月の月末に研究室の学生を褒めて励ます文章を送る、というものがあった。

我が研究室では、毎月の研究活動やその他の活動について、研究室全体に向けて月報を作成し、提出する習慣がある。その月報に対してのコメントと共に、彼らの1ヶ月の活動を見ていて、良いなと思ったところと、頑張ってほしいところを私なりに書き出して、文章に残してメールで送っていた。

これを始めたのは、人は褒められると嬉しくてやる気が出るのだ、ということに気づかされたからだ。

昨年に学位を取られた博士課程の先輩に、「お前はもっと人を褒めた方がいい」と言われたことがきっかけだった。そのときは、私はあなたからしっかり褒められたことは無いのだが、と思ったところもあったし、その真意もわからずにいた。自分自身が、先生や先輩に褒められることに対して大きな喜びを感じないタイプの人間であったから、それがほとんど実感としてわかっていなかったのだ。

しかし、よくよく考えて見れば、普段の子育て団体の活動で、子どもたちに対しては寛容な心を持って、褒めたり評価したり、適切に助言したり応援したりしているにもかかわらず、なぜ研究室での活動になるとそれができていなかったのか、疑問が残る。

結局は、自分の人間性として、人に対する「愛」や「情」などの感覚が乏しい人間だからこそ、意識的にならなければそれを人に与えることはできなかった、ということなのだ。

子育て団体の活動の中では、様々な学習と長年の経験で、もうほとんど無意識下になるほど、そのような感覚が身についているとは思う。しかし、研究室活動ではそれを無意識化のレベルまで落とし込めていなかった、ということだ。

もっとシンプルに言えば、単に自分自身に余裕が無かったのかもしれない。常に何かに追われる感覚で仕事をしていて、逆に子育て団体の活動のときには、研究のことを忘れて自由度高く、余裕を持って子どもたちと接することができたからなのかもしれない。

この1年間で、その毎月の褒め活動をして、学生たちからは好評の声が比較的上がってきた。こうした地道なコミュニケーション(本当は直接言えば良いのだが、私は会話よりも文章の方がどちらかというと得意だ)の積み上げが、信頼関係を築くことになるのだろう。

そうして信頼関係を築くことができた相手に対して何かを伝えたときには、たとえ話がうまくなかったとしても、確かに届く、と実感した。

この活動を通して、また少し人間的な人間に近づけた気がした。

ちょっと応援したいな、と思ってくださったそこのあなた。その気持ちを私に届けてくれませんか。応援メッセージを、コメントかサポートにぜひよろしくお願いします。 これからも、より精神的に豊かで幸福感のある社会の一助になれるように挑戦していきます。