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外出自粛生活のおかげで解放的な気持ちになれたのです。

最近は、日本社会もやっとコロナ禍からやっと徐々に解放される傾向にあるように感じる(主観的にだが)。

そこで、このおよそ3年間のコロナ禍における自分の感覚や心境を振り返ってみようと思う。

正直に言えば、このコロナ禍において、私の生活に対する不都合や悪影響はほとんど無かったと感じている。

このように書くと、そうでない境遇だった人々にとっては印象が悪かったり、批判の対象になる可能性があるかもしれない。

でも、自分の感覚としてはそれが事実である。

しかしこれは、コロナ禍によって何かしらの物理的・身体的・精神的な影響やダメージを受けた人々を軽視しているものでは全くないし、そうであってはならないと思っている。たまたま自分にとっては運よくそうだった、ということに過ぎない。

2020年の3月、私が修士課程を修了するのに伴って行われた諸先生方への謝恩会の直後に、外出自粛規制が出された。その結果、博士課程に進学直後の4月からしばらくの間、大学への登校規制がかかって、ほとんどの時間を自宅で過ごすことになった。

そういう外出自粛ムードが漂う時期に私が何を感じていたかというと、とてつもなく解放的で清々しい気分だった。

それは、この2月までは毎日のように夜中まで修士論文と向き合い、3月はその内容を学会誌に投稿するために英語論文と向き合い、少し疲弊していたからかもしれない。

それらを済ませた後で必ずしも学校に行かなくてよいことになったことで、その間にやりたいと思っていながらなかなか手がつかなかったことに対して、周りの目を気にせずに好きなだけ取り組むことができたからではないかと思う。

生活習慣を早寝早起きの朝型に戻し、起き上がったらすぐに布団の横の机に座って英語学習を含むルーティンをこなし、AMは研究作業、PMは研究作業をしつつ、飽きたらピアノを弾いて、夕方は体力作りのためにランニング、夜は適当にやりたいことをやる。

元々、外に遊びにいきたいアウトドア派の人間ではないということも作用したが、とにかく自分の持てる時間を最も合理的に、使いたいように使えたことが、清々しい気持ちの源泉だったのだろうと思う。

それと同時に、私は集団で同じ空間で何かを同時にやっているよりも、1人で勝手に黙々と取り組むやり方のほうが好きだということにも気づくことができた。

ちょうどその時期に、日本学術振興会の特別研究員(DC2)の申請書類を書いていたのだが、何とかギリギリ採用に至ったのは、私にとってはその状況が功を奏したと思っている。

そこから徐々に分散登校が始まって徐々に元の登校体制に戻っていったが、正直なところ、自分にとっての個別最適化をはかるのであれば、私は完全に自宅作業にする方が幸福度の高い生活が送れるだろう、と思った。

ただ、先生方とのコミュニケーションとか、後輩たちの研究指導の都合などを考えると、居室にみんなで集まっている方が良さそうだ、と思ったのも事実だ。

この辺りから、オンラインとオフラインを上手に融合させるにはどうすればよいか、ということを考えるようにもなった。

そして、1年後の2021年からは、私としてはコロナ禍以前の生活と全く変わらない感覚で過ごしていた。興味の変遷や心境の変化があったことは確かだが、それはコロナ禍に関係なく起きたことだ。

以上のような感覚を持っていたから、私はコロナ禍によってこの社会や人々の意識や認識がどのように変わっていったのか、実感としてわからないところがあって、それが弱みでもあると思う。

だからこそ、今現在の社会情勢への理解を進めるためにも、いろいろな人々とコミュニケーションをとって、自分の中に新しい感覚を入れ続けていかなければ、と思うのである。

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