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4/27水:ゼネラリストになるにはスペシャリストの経験を。

先週改めて気づかされたように、私はゼネラリスト気質であるようだ。そして、知らず知らずのうちにそのような素質を必要とする道を選び、経験を積んでいるような気もする。

それは、自分が(過去、あるいは現在に)専門として選んだ「化学工学」「安全工学」「リスク学」という分野もそうだ。

学部生のとき、私は化学工学を専攻していた。
化学工学の講義で、ある教授が「化学工学は社長学である」と言った。化学工学は化学はもちろんのこと、物質工学・機械工学・電気工学など、化学工学プラントを運転・運用するために必要な関連知識を総合的に持っている必要があるという点で、社長学なのである。

研究室を選ぶとき、私は安全工学という分野を選んだ。
安全工学の講義で、ある教授(今の私の研究室の教授だ)が「安全工学は人道主義に基づく総合工学である」と言った。安全工学の目標の1つである、工学システムの安全の実現は、化学工学を始めとする様々な工学の総合的な知識が求められる。

さらに、今現在は安全工学から派生して、リスク学という分野で研究している。
研究室のゼミで、リスク学についてある教授(先日ブログに書いた、私の頭脳の不足を感じた教授だ)が「リスク学、リスク論は、合唱や楽器の演奏のピアノの伴奏のように、他の学問分野に寄り添うような存在であるべきだ」と言った。リスク学では、工学システム自身のみならず、社会への影響までも考慮に入るという点で、およそほとんどの学問分野に関する知見が必要となる。

私は無意識的に、これらの学問分野のゼネラリスト的側面に惹かれてここまでやってきたのだと思う。

しかし、これらの学問分野が共通して抱える悩みは、各分野のプロにはなり切れない、というものである。学位を取るには、ある分野で突出して高度な専門的知識をつけるべきだが、こと安全工学・リスク学においてはそれが難しいのである。

一方で、考え方を変えるとすれば、各専門分野はその道のプロに任せてしまえばよく、安全工学者・リスク学者は、全体を統括する役割を担えればよい、ということになる。しかし、最終的にそれを担うためには、短期的にはある部分にフォーカスして一定の専門性を身につける必要があると思うのだ。だから、その最終終着地を目指すとすれば、自分が今抱えている課題を何としても乗り越えなければならないのである。

しかし、それは苦手だ。苦手だからやりたくないと思ってしまい、いつまでも経験がたまらないという悪循環に陥っている。

ゼネラリストになるためには、一定のスペシャリストを経由する必要があるのだ。

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