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「ゆっくり」生きることで、あなたの視野は広くなる


人生が変わる「ゆっくり力」とは?



ある日、朝刊の一面広告が著者の目にとまった。
そこには、一生を平和運動に捧げたインドの哲人マハトマ・ガンジーの足跡とともに、「善きことはカタツムリの速度で動く」と書かれていた。
ガンジーの運動を象徴しているのは「塩の行進」である。イギリス人による塩の専売に反対し、ガンジーらは自分たちで塩を作るために385キロを24日かけて歩いたのだ。
そのゆっくりとした歩みは、やがて数百万もの人が参加する奇跡の大運動になった。
ゆっくりでも積み重なれば、必ず大きな力になり、いい結果に結びつく。それが著者のすすめる「ゆっくり力」である。
芳醇なワインを作るためには、長い時間が必要である。人間も同じだ。急いでばかりではゆったりとした豊かな人間は育たない。人間は、促成栽培することができないのだ。
効率よく早く結果を望む気持ちは、誰にでもあるだろう。しかし本当にいい結果を生むためには、焦らず、急がないことが求められる。
焦りは余計なプレッシャーを生み、そのストレスは悪影響をおよぼす。たとえば、興味深く熱中できるはずの勉強であっても、焦りはそれを苦しいものにゆがめてしまうのだ。
ゆっくりと時間をかけると、最初は努力をしてもなかなか結果は出ない。しかし、やがて思いがけないほどの成果になっているのだ。


まわりがモタモタと段取りが悪いと、著者は人一倍にイライラするという。せわしない気持ちになり、息が浅くなってくる。体はセカセカと動き、頭の中がクルクルとまわりだす。
そんな気持ちは他人にも伝染してしまう。セカセカした人がひとりいるだけで、そばにいる人までセカセカしてくる。
それにより、さらに段取りが悪くなるという悪循環に陥ってしまう。
そんな時は、「急いでもしょうがない。ゆっくりやろう」と自分に語りかけることをすすめている。
深呼吸をし、肩の力を抜く。ことさらにゆっくりと動くようにし、テキパキをやめてみるのだ。
すると、いつのまにか気持ちがゆったりとしてくる。緊張から寛(くつろ)ぎへと変化し、表情がやわらいでくる。やがて焦る気持ちは消えていく。
その気持ちはまわりの人にも伝染し、ゆったりとしてくる。そうなると、いいアイデアが生まれるようになり、失敗が減る。物事がスムーズに運ぶようになる。
そのため、著者は人に余計なプレッシャーを与えないように心がけているという。生来、セカセカした性格であっても、心がけしだいでモタモタできるのだ。


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人生後半こそゆっくり力


年をとると、自然とゆっくり力が身につくと考えるのは大きな間違いだ。それどころか、せっかちに拍車がかかり、ますますせっかちになっていく。
たとえばレストランで注文した品が出てこないと、すぐに催促したくなる。さらに、店員から「お待ちを」と言われ、後回しにされると腹が立ってくる。
せっかちは年齢とともにエスカレートしてくのだ。人の性格は年をとるほどに本来の性格が強く出てきて、極端になっていく。
思考に柔軟性がなくなっていくのだろう。ゆっくり力を養うためには、日常的なアタマの柔軟体操が必要である。
「一怒一老」といって、怒るたびに老化が加速する。怒るとがんこじいさん、いじわるばあさんにいたる道も早くきてしまう。老いるのは、「カタツムリ速度」でありたい。
アタマの硬直化を予防する柔軟体操のひとつが「楽しいこと」への好奇心を旺盛にしておくことだ。
子供のころの明日の遠足を待つような「わくわくする気持ち」を忘れない。
そのためには「もの好き」なり、楽しそうなことをなんでもやってみよう、見てやろうという心意気が大切だ。

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は、過去に大病をしたり、病院が丸焼けになったりと、さまざまな苦境があった。
しかし「どうにかなるだろう」のゆっくり力により、悲観的にはならなかった。楽しみをたくさん持っていたことが心に余裕をつくりだしてくれたのかもしれない。
「一怒一老」を手放し、「一笑一若」でいよう。

健康のためには心のゆとりが大切だと説いたのは、『養生訓』の著者・貝原益軒だ。
貝原益軒は、「自然を楽しむ」「読書を楽しむ」「人と共に楽しむ」「旅を楽しむ」の4つの楽しみをすすめている。
著者は、この4つの楽しみに「趣味を楽しむ」ことをつけ加えている。
患者を診ていると、趣味がある人はうつ病になりにくく、うつ病なったとしても立ち直るのが早いことに気がついた。
趣味に熱中する時間が心のもやもやを取り払い、ゆとりをもたらすのだ。
さらに、貝原益軒は『養生訓』のなかで、「養生の道は気を調ふるにあり。調ふるは気を和らげ、平かにするなり」と説いている。
「気の養生」のためには、「急がない」「怒らない」を心がけておくことが大切だという。



かつて著者の車の運転手は、「急ぐ」「怒る」人だった。頼んだわけでもないのにすごいスピードで飛ばし、急加速、減速を繰り返す。
駐車場では、どちらが先に出るかで他の車の運転手と口論になることも多かった。乗っていた著者は、いつもひやひやして怖かったそうだ。
イライラし、急ぐわけでもないのに、先を急ぐ。怒ることでもないのに怒声を上げる。「気を和らげ、平かにする」とは正反対だ。
著者がこの運転手のような人に言いたいのは、急がなくても目的地には着くし、怒らないほうがエネルギーの節約になるということである。

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中高年に多い心の病に、「上昇停止症候群」がある。それまで、役職も給料も右肩上がりだった人でも、いつか上昇が止まるときがくる。
そんな「そろそろ先が見えてきた」と感じた頃に、同僚が自分を通り越して取締役になったり、独立して成功したりする。
もしくは、自分がリストラや早期退職をすすめられる。そうなると焦りと憤りから、生きる意欲を失ってしまうのだ。
これと似ているのが「空(から)の巣症候群」である。家庭の主婦が、わが子が独立して家から出て行ったときに、生きがいを見失い、茫然自失の状態になってしまうのだ。
そんな心に焦りを感じたら、深呼吸をしよう。心を落ち着けて、仕事や子育ての他に、生きがいや自分ならではの時間をつくることを考える。
大切なのは、夫婦で理解し合い、協力することだ。たとえば、今まで妻に任せきりだった家事を、妻と分担する。
妻を家事から解放することで、妻は自分の時間を持てるようになる。妻は、くだらないと思えるような夫の趣味でもあまり怒らずに受け入れる。
夫は「仕事人間」をやめ、妻は「子供が生きがい」をやめるのだ。妻を「空の巣症候群」から救える夫は、自分が「上昇停止症候群」から救われる。
焦らず、ゆっくりでいいのだ。やがて、別の景色が見えてくる。

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ゆっくり力でいい人間関係を築く

暮らしの中でもっともイライラさせられるのは、「他人のこと」だろう。
妬んだり、口論したり、憎しみ合ったりと他人のことで頭を悩ませていると、良寛のような人生を謳歌することはできない。
人との良い関係があってこそ、「ゆうゆうと遊ぶ」生き方ができるようになるのだ。
著者による「戒語」を2つ紹介する。



まずは、「分け隔てなく、誰とでも仲良く」つきあうことだ。人間であれば、気が合う、気が合わないことがあるのはどうしようもない。
しかし毛嫌いをしたり、陰で悪口を言ったりするのは品がない。やがてそれは自分に返ってくるだろう。
気が合わない相手でも、仲良く礼儀を忘れずにつきあう。これが成熟した人づきあいであり、大人の「ゆっくり力」である。
2つめは、「相手のいいところを見つけて、つきあっていく」ことだ。うまくやっていくためには、その人を好きになることが大切だ。
そうはいっても、気の合わない相手は、イヤなところや悪いところばかりが目につくものである。
しかし、もっとよく見れば意外な一面があるはずだ。そしてどんな人でも「いいところ」だけを見てつきあっていく。人と人の関係は、それが一番いい。

「私は人づきあいがへたで困る」という人がいる。一方で、初対面でもすぐに打ち解けて仲良くなれる人もいる。
そんな「すぐに仲良くなれる」人が人づきあいがうまいとは限らない。どんな人とも円滑な関係をつくれたとしても、それは浅いつきあいかもしれないのだ。
相手の中心核に自分が食い込むこともなければ、相手が食い込んでくることもない。そんな状態が人間関係といえるだろうか。むしろ人間無関係といったほうがいいかもしれない。
心が通い合う関係をつくっていくには、長い時間をかけて、お互いを思いやることが不可欠である。
人づきあいがへただと自覚している人は、その分、人を大切にできる。ゆっくりと関係を熟成させていくため、人数は少なくても「心を許し合える友」をつくれるのだ。
人づきあいがうまそうに見える人にかぎって、真に頼りにできる友がいないと悩んでいる可能性もある。
どちらが人づきあいがうまいとは簡単には言えない。もし、「この人とは、生涯つきあっていきたい」と思う相手がいたら、「すぐに仲良くなろう」と焦る必要はない。
もし自分が暗い性格でも、話題にとぼしくても、不器用にゆっくりとつきあっていけばいい。気がつけば長いつきあいになっているものである

ケンカをしている人は、あきれるほどお互いに一歩も譲らない。自分は完全に正しく、相手はことごとく間違っていると言いたいのだ。
相手のちょっとしたミスをあげつらい、あらゆる理屈を持ち出して相手を責める。まるでどちらが長く「ごめんなさい」をいわずにがんばれるかという根競べのようだ。
たまには、我慢して相手に譲ってみたらどうだろうか。もしかしたら、一歩譲ると歩みが一歩遅れるように感じるかもしれない。それでいいのだ。ゆっくりいけばいい。
お互いに一歩譲れば人間関係はよくなり、物事も進展していく。その一歩をケチっても、何の得もない。
ケンカしたときの仲直りの秘訣は、相手を「長い目で見ること」である。成長するには時間がかかる。
たった1回のイヤなことで関係を断ってしまったら、相手の成長を奪い、自分も成長できない。
半年、一年と見守るうちに、相手も自分も、少し変わって、関係が変化してくのだ。
もう一年たつと、もっと変わっていくことが予測できるようになる。そうなると、長い目で見ることが、苦痛ではなくなってくるはずだ。
人間は、ある年齢に達すると、昔のことが美しく感じるようになる。
当時のイヤなこと、苦労や苦痛は薄らぎ、良かったことだけを思い出す。つねに長い目を持って生きる人は、幸せ者である。


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