masaya ito

プロボクシング(主に西日本の選手)を書きます

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最近の記事

元日本王者・奥本貴之、11日に引退式 今後はトレーナーの道へ

 2018年に関西でボクシング取材を始めた私が、最初に親しくなったボクサーの一人が奥本君だった。    初めて取材した日のことは忘れられない。    その年の暮れ、記事を寄稿していたボクシング・マガジンの編集者さんから「人物モノの新連載を始めたい」という電話があり、一発目を私が書かせてもらうことになった。  編集部からのリクエストは、いったん引退した後にカムバックし、WBO‐AP・Sフェザー級王者になった仲村正男君(渥美)だった。ただ、仲村君は進退に悩んでいた時期で、結局、

    • 岩屋卓史(寝屋川石田)という男㊦

       先日、帰郷間近の岩屋君に寝屋川で会い、改めてベストバウトを聞いてみた。すると「初勝利の試合(3戦目)」「試合1週間前にオファーを受けた東京の試合(5戦目)」、そして「やっぱり木村蓮太朗戦(8戦目)っすねー」。  プロのリングで戦った全9試合のうち、3試合もブッ込んできた。  そばで見てきた私の「ベスト」は9試合の中にはない。2020年9月の木村蓮太朗(駿河男児)戦は、確かに岩屋君のボクサー人生のハイライトではあったと思う。私が思い出深いのは、その木村戦が決まってから試合

      • 岩屋卓史(寝屋川石田)という男㊤

         11月初旬のある晩、大阪・北新地の「おにぎり竜」で食事した後だった。店を出たところで、岩屋君が切り出した。  「自分、引退することにしました。12月30日に福岡に帰ろうと思っています」  えっ何言ってんの。またいつもの、お決まりのやつかよ。「彼女できましたー」って冗談は何回も何回も聞いてきた。はいはい。またですか。そんなラリーを何回かしたけど、今日はいつものニヤケ顔に戻らない。  あっ本当なんだ。この楽しかった時間も終わるのか。彼がプロボクサーとして戦う姿を見られなく

        • 福永宇宙という男・後編

          「コロナ禍の新人王戦記」 2020年2月、西日本新人王の組み合わせが決まった。4戦全勝(1KO)でエントリーした福永の初戦は4月19日、大阪で行われる予定だった。  その後、世の中の情勢は大きく変わった。  新型コロナウイルスの感染拡大により、国内のプロボクシングは3~6月の試合がなくなった。  各地区の新人王予選も大幅にスケジュールが変わり、年末の全日本新人王決定戦は翌年2月にスライドされた。医療関係で働くボクサーも多く、東日本を中心に辞退者が出た。  福永の初戦も

          福永宇宙という男・中編

          「私が見た福永宇宙」 2018年秋に地元・高知でのデビュー戦に勝った福永は、翌年4月に大阪で2戦目に臨んだ。  相手の岩崎圭祐(オール)はその後、Sフライ級で同年の全日本新人王決定戦まで勝ち上がる選手だ。  頭をくっつけて打ち合い、ジャッジ3者とも1点差で福永を支持する辛勝だった。福永が普段より1階級下、岩崎が1階級上のバンタム級契約で、お互いにベストではなかった。  私が初めて福永と会って話したのが、この2戦目の後だった。「大阪に出稽古に来ている」と聞き、じゃあ食事で

          福永宇宙という男・中編

          福永宇宙という男・前編

          「高知の星、誕生前夜」 新人王史に残る、特別な年の決勝戦のゴングが鳴る。  2021年2月21日、東京・後楽園ホール。当初は昨年末に予定されていた全日本新人王決定戦が無観客で開催される。  コロナ禍の今回は開幕が春から夏にずれ込み、日程は過密になり、選手も陣営も感染対策に神経をすり減らしながら戦ってきた。勝ち残った全12階級の東西24選手には敬意を表したい。  大阪在住の取材者の私は、西日本新人王の初戦から追いかけてきた。  新人王ウォッチは毎年のことだが、今年は特に

          福永宇宙という男・前編

          中谷正義という男

           最初に断っておくが、私は中谷正義という選手を長く見てきた記者ではない。11度も防衛した東洋太平洋ライト級の防衛戦は最後の2試合(富岡樹戦、ハリケーン風太戦)しか見ていない。特別近いわけでもなく、業界を驚かせた今回の「ラスベガスで現役復帰」も米国発のニュースで知った。なので今から書くことも、このボクサーのごく一部の断片に過ぎない。  最初に1対1で取材したのは「東洋V10」を果たした富岡樹戦の試合後。エディオンアリーナ大阪第2競技場の控室だった。ボクシング・マガジン編集部か

          中谷正義という男

          相徳恒彦(鹿児島・橋口ジム)という男

           11月29日、愛知県刈谷市の「あいおいホール」に崖っぷちの男が乗り込んでくる。  JBC(日本ボクシングコミッション)の定めるボクサー定年は37歳。1983年4月生まれの相徳は、もうすでに半年以上が過ぎてしまっている。コロナ禍で試合が流れたことによる特例で、今はギリギリで踏みとどまっている状態だ。  今回、相徳はSウェルター級6回戦で日本同級13位の丸木凌介(天熊丸木)と対戦する。相手はランカーだから、勝てばランキング入りして延命が可能になる。負ければ強制終了だ。そんな

          相徳恒彦(鹿児島・橋口ジム)という男

          宮崎裕也(薬師寺ジム)という男

           関西でボクシング記者をしている40代の私と、名古屋のジム所属の4回戦ボクサー。何の接点もなかったが、一度会っただけで、それも数分の短い会話で何か惹かれるものを感じてしまった。      9月26日、神戸市立中央体育館。23歳の駆け出しのボクサーは2階席にいた。ボクシングの師匠である大場浩平(Sun-Rise)の6年ぶりの復帰戦を見るためだった。  大場は5月に家族を名古屋に残し、単身神戸入り。私は「元日本王者が現役復帰へ」という話題で取材に行った。かつて世界を嘱望された

          宮崎裕也(薬師寺ジム)という男