見出し画像

中谷正義という男

 最初に断っておくが、私は中谷正義という選手を長く見てきた記者ではない。11度も防衛した東洋太平洋ライト級の防衛戦は最後の2試合(富岡樹戦、ハリケーン風太戦)しか見ていない。特別近いわけでもなく、業界を驚かせた今回の「ラスベガスで現役復帰」も米国発のニュースで知った。なので今から書くことも、このボクサーのごく一部の断片に過ぎない。

 最初に1対1で取材したのは「東洋V10」を果たした富岡樹戦の試合後。エディオンアリーナ大阪第2競技場の控室だった。ボクシング・マガジン編集部から、「無冠の帝王」というテーマで書いてほしいと発注があった。世界王者の称号はなくとも、同等の強さを認められた男たち――という企画だった。

 こちらの都合で締め切りまでの時間がなく、その日のうちに話を聞いておきたかった。快諾してくれたものの、試合に勝った後だから予定もある。「帰り支度をしながら話をしましょう」と言ってくれた。最初にいくつか質問をした後、彼はサッとシャワーを浴びた。出てくると、なぜか流れでパンツも履かないままインタビューが再開された。

 時間に焦っている取材者に合わせてくれたのだろうか。ゆっくりとタオルで体を拭き、やっと服を着始めたが、いくつかの質問には、まさに「堂々とした姿」で答えてくれた。このインタビューの様子を遠目から見たら面白い絵だっただろう。一糸まとわず仁王立ちする東洋無敵の男と、どこか恐縮しながら話を聞く取材者。正直、何を話したかよりも、その光景のほうを鮮明に覚えている。

   私も約20年の取材歴があるが、「そのような形」でインタビューしたのはプロ野球阪神の元スター選手以来だった。 

 その後、応援に来ていた近大ボクシング部の2学年上のマネジャーでライターの松本有樹(ゆき)さんに、会場近くの喫茶店で彼の人となりを聞いた。高校時代はラフファイトが目立ち、微妙な判定で敗れると「床をガンガン殴りつけていた」という。大学でも最初は人を寄せ付けなかったが、心を開くと身の上話を延々とするような「可愛げのある子でもあった」と言った。

 私は成熟した顔しか知らないが、確かに松本さんが過去にライターとして書いた記事を見たら、写真の彼は銀髪で不敵な面構えをしていた。東洋タイトルを奪取した2014年1月の加藤善孝戦の頃だ。

 顔が変わったことについて本人に聞いた。「昔は短気なところも出てました。あれも一応、僕なんですけど、この落ち着いた時間が僕が生きてる中で一番長い時間で、この状態で試合に臨むんが一番自然だと。それを最近、意識してます」と言った。

    世界的に層が厚いライト級で、東洋王座を5年以上守り続けた。なかなか世界挑戦の声がかからない中で、防衛戦のたびにテーマを見つけ、気持ちを奮い立たせてきた。自己啓発書も山のように読んだという。その結果、「そういう本って書いてることはたいがい一緒」だと気付いたという。たどり着いた一つの境地が「今の顔」にある。そう理解した。

画像2

【写真説明】2019年6月、テオフィモ・ロペス戦に向けての練習風景=筆者撮影

 最後の取材は昨年6月。アメリカでのIBF挑戦者決定戦に臨むことが決まり、その意気込みを聞くインタビューだった。相手のテオフィモ・ロペス(米国)は当時、大手プロモーターのトップランク社がイチ推しするホープという位置づけだったが、中谷にひるむところはなかった。当時のメモを見返すと、ロペスについてこう語っている。

 「1ラウンドはいい動きしますね。僕が思う組み立てというか、継続力はそこまでないんですよね。1ラウンドのスピードとあの反応の良さを続けられたら、やっぱりしんどい試合になると思うんですけど。ちょっと雑というか、KOを意識しすぎているのか。そのへんにチャンスがあるのかなと思います」

 ロペスは中谷を12回判定で破ったものの、思ったように仕留められず悔し涙を流した。今年10月には長くライト級最強を誇ったワシル・ロマチェンコ(ウクライナ)に勝ち、23歳にして世界4団体統一王者に。そしてロペスに敗れて引退した中谷への復帰待望論が沸き上がる。ついに11月末、沈黙を破りカムバックを宣言。復帰戦の舞台は米国ラスベガス。世界トップ戦線浮上をかけてフェリックス・ベルデホ(プエルトリコ)と対戦する。

 ロペス戦の前、進退についてはこう語っていた。

 「常に負けたら終わりかな、という気持ちでやっていますね。シンプルに負けたらこの階級でチャンスがなくなるかな、と思いますし。(東洋を)5年防衛して、これを逃したとして、次いつ来るか分からない。2、3年待つとなると、年も取っていく。次いつ来るか分からんチャンスを待って頑張っていけるのかといえば、分からない。負けたらもう終わりかもしらんと思いながらここまで来ましたね」

 その試合で敗れ、言葉の通り一度は引退した。しかし、負けてもチャンスが巡って来たのは、やはり「最強」ロペスと十分に渡り合えたからだろう。「負けたら終わり」と思っていたが、決してそうではなかったのだ。

 取材ではなく、最後に会ったのは引退表明後の昨年11月だった。

画像2

【写真説明】元世界王者の木村悠さん(右)の集まりで=筆者撮影

 元世界王者の木村悠さんが大阪市内で開いた「オンラインジム」の集まりにゲストで来ていた。より柔らかい表情になっていたから、ああ本当に引退してしまったんだなと実感した。その時は「ガンガン筋トレをしている」と言い、二の腕がかつての1・5倍くらいに盛り上がっていた。

 ロペス戦の直後に、彼が書いた2本の渾身のブログ記事がある。

 この2本は今、改めてじっくり読み返してもらいたい。初めてアメリカで試合をして体験した不都合や裏事情を、「言い訳ではない」「結果は全て納得して受け入れている」と断わった上で、今後の選手に向けて書き残している。

 待ち望んだ大舞台に上がり、そこで敗れた喪失感はあったはずだ。それでも、すぐに、後に続く選手のためにこれを書いた。短い時間だったけど、私はこのボクサーを追いかけてきて良かったと思った。

 そして1年が過ぎての電撃復帰。彼はブログに書いた教訓を、2度目のアメリカで自ら生かそうとしている。男だな、と思う。

 注目のベルデホ戦は日本時間12月13日(日)の昼ごろ。その日は大阪でボクシングの昼・夜2部興行があり、私はその取材に行く。場所は、彼と初めて話をしたエディオン第2だ。大阪・難波の地下にある会場から、ラスベガスでの勝利を祈っている。

(敬称略)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?