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福永宇宙という男・前編

「高知の星、誕生前夜」

 新人王史に残る、特別な年の決勝戦のゴングが鳴る。

 2021年2月21日、東京・後楽園ホール。当初は昨年末に予定されていた全日本新人王決定戦が無観客で開催される。

 コロナ禍の今回は開幕が春から夏にずれ込み、日程は過密になり、選手も陣営も感染対策に神経をすり減らしながら戦ってきた。勝ち残った全12階級の東西24選手には敬意を表したい。

 大阪在住の取材者の私は、西日本新人王の初戦から追いかけてきた。

 新人王ウォッチは毎年のことだが、今年は特に力が入った。10年前、私がボクサーとして汗を流した高知の黒潮ジムから、スーパーバンタム級の福永宇宙(そら、現23歳)がエントリーしたからだ。

     黒潮ジムは高知県唯一のプロ加盟ジムで、現在活動しているプロ選手は福永しかいない。スパーリングの相手もいない。それが地方ジムの現実だ。

 そこに新人王候補が現れた。私の肌感覚では奇跡に近い。

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【写真】黒潮ジムの風景。高知市中心部から車で10分ほど。ジムは小川純平前会長が開設し、2018年に息子の竜司会長が受け継いだ=筆者撮影

    全日本新人王決定戦は1955年に始まり、まだ四国のジムから優勝者は出ていない。福永はエントリー時点で4戦全勝(1KO)。私は「四国初への挑戦」を最初から最後まで見届けると決めて2020年を迎えた。

 と、先輩風を吹かせて書いてみたが、私は元プロでもない。32歳の時に高知県の支局に転勤。地方記者をしながら、黒潮ジムでプロを目指した時期があっただけだ。

 当時はプロテストの年齢制限が32歳で、私は9月のラストチャンスで玉砕した。受かったら秋の地元興行でデビューするはずだった。合格前提で写真入りのポスターも刷られ、町中に掲示されてしまった。興行が終わるまでどこかに雲隠れしたくなった。

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【写真】筆者の幻のデビュー戦のポスター。例年、地元興行「黒潮ダイナミックファイト」は秋に開催される。この8年後に福永がデビューする

    ただ、黒潮ジムは、こんな「期限切れ前ギリギリ」のプロ志願者にもやさしかった。テスト前は私を中心に練習を回してくれたし、当時30代の小川竜司チーフトレーナー(現会長)にはスパーの相手もしてもらった。選手として大切に扱われた温かい感触が残っている。その後、高知を離れても、私はずっとこのジムを「古巣」だと思っていた。

     転勤後はプロ野球記者をしていたため、毎年秋はシーズン佳境で忙しかった。なかなか年に1度の地元興行を見る機会がなく、やっとタイミングが合ったのが2018年10月21日。その日にデビューしたのが福永だった。

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【写真】2018年秋の福永のデビュー戦のポスター。筆者と同様、プロテスト前に合格前提でポスターが刷られたため「※予定」と書いてある

20歳のスタート

    高知県西南部の四万十町出身の福永は1997年11月4日生まれ。中学時代は野球部で、ヤンチャもそれなりにしたという。

 女手一つで育ててくれた母・園さんの言葉が今も耳に残っている。「一度でいいから良いことで目立ってほしい」。いつものように学校に呼び出されたある日の帰り道。母はそう言った。だが、当時の福永には、母を喜ばせ、心から打ち込めるものが見つからなかった。

 高知工業高では柔道部に入った。その後は資格の勉強をしたこともあったが、何一つやり遂げられなかった。

 そんな人生が20歳を境に変わった。

 一緒に夜遊びをしていた仲間たちが将来を考え始めた。家庭を築き、仕事に打ち込む者も出てきた。

 福永は言う。「田舎ほど成人式は派手にやりますけど、そこで遊びに区切りをつけて、人が変わったように真面目になるヤツもいるんですよ」

    中途半端に生きてきた自分には「何もない」と焦った。

 そんな時に浮かんだのがボクシングだった。

 特定の選手のファンだったわけではないが、あこがれに似た思いがあった。

 最初は高知市にあるアマチュアの「パープルボクシングジム」で手ほどきを受けた。会長の中山智善さんは黒潮ジムの元プロ選手。後の世界王者・八重樫東さんのデビュー戦の相手を務めた人だ。

 普段は温和な中山さんの立ち居振る舞いに接し、自分もプロになりたいと思った。タバコもやめた。中山さんの紹介で同じ市内の黒潮ジムに入門した。

「宝物」のような選手

 2018年春。黒潮ジムは小川純平・前会長から息子の竜司会長に代替わりしたが、ついにプロ選手が一人もいなくなるピンチに陥っていた。

 看板選手だった竹内周さん(16年西日本新人王Sフェザー級準優勝)が引退を考え始め、上京してトレーナーになる道を模索していた。

 さすがに地元選手がいなければ興行を続けるのも苦しい。そんな時に現れたのが福永だった。

 当時は株式会社広松工業に勤め、建設現場で働いていた。ボクサーとしては素人同然だったが、力仕事で自然と鍛えられた見事な背中をしていた。

 小川会長には「宝物」のように見えた。

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【写真】入門初日の福永。素人同然だったが、プロボクサーになるという覚悟を持って現れた。やはり今とは顔つきが違う=黒潮ジムブログより

   スパーで胸を貸した竹内さんは 「確かにパンチ力はありました」と言う。

 その一方で「正直、センスは感じなかったですね。だから今の活躍に驚いているんです」。福永は竹内さんにボコボコにされ、年下の選手には鼻骨を折られた。

 それでも、人生で初めて「燃えるもの」を感じたという。

    9月、福永は大阪でプロテストに挑んだ。

 小川会長は「合格の確信はなかった」と言うが、この若者には腹が決まると実力プラスアルファを出せるところがあった。「宇宙は本番に強い。それを最初に思ったのがプロテストやった」。一発合格を果たし、その1カ月後の地元興行に間に合った。

 福永は言う。

 「それまでの自分は、何をやっても本番に弱かったんです。野球も、柔道も、勉強も。本気でやってないから自信が持てない。ボクシングは初めて本気でやっているから、腹がくくれるのかもしれません」

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【写真】入門から半年で迎えた地元でのデビュー戦。インターバル中に小川竜司会長(左)が語りかける=黒潮ジムブログより

   地元でのデビュー戦は終始攻め、4回判定勝ちだった。

 客席から見た私の第一印象は「内山高志みたいな立派な体やな」。パンチは重そうだったが、攻めは単調で相手を詰めるまでには至らなかった。

 私は取材で東京や大阪の選手を数多く見てきた。その基準でいえば、特別に光っているとは思わなかった。

 この2年後に新人王戦を勝ち進み、「四国初」へ突き進むボクサーになる予感はなかった。

(敬称略、中編へ続く)

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