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相徳恒彦(鹿児島・橋口ジム)という男

 11月29日、愛知県刈谷市の「あいおいホール」に崖っぷちの男が乗り込んでくる。

 JBC(日本ボクシングコミッション)の定めるボクサー定年は37歳。1983年4月生まれの相徳は、もうすでに半年以上が過ぎてしまっている。コロナ禍で試合が流れたことによる特例で、今はギリギリで踏みとどまっている状態だ。

 今回、相徳はSウェルター級6回戦で日本同級13位の丸木凌介(天熊丸木)と対戦する。相手はランカーだから、勝てばランキング入りして延命が可能になる。負ければ強制終了だ。そんな試合を2週間後に控えた日、電話口で崖っぷちボクサーは笑っていた。

 「実は、何も思ってないですね。勝ったら上を目指します。負けたら、あきらめがつく。この折れ曲がった鼻を直しますよ。がはは」

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 【写真説明】相徳恒彦=ジムのフェイスブックより、掲載許可あり

 追い詰められた男がどんな心境で刈谷のリングに上がるのか。私はそれを知りたかった。まずジムに電話した。橋口勇樹会長は「相徳ですか? ぶっ飛んだ男です。オブラートに包んでしゃべったりできませんが、それでもいいですか?」と言った。すぐに相徳から折り返しの電話があった。冒頭の言葉から短いインタビューが始まった。

 語り口は明るく、開けっ広げな人柄が伝わってきた。彼は何と、これまでに「10回はボクシングを辞めている」と言うのだ。長短の休養を挟みながら、29歳のデビューから16戦5勝9敗2分けという戦績を残してきた。

 ボクシングは別のジムで16歳で始めた。中学では柔道部に入ったが、すぐに辞めてしまったという。「スポーツは大嫌いだった」というが、なぜかボクシングだけハマった。橋口ジムに入門したのは22歳の時。「趣味は酒です」と言い、20代前半までは仕事も転々としていたそうだ。「元ニート」とも名乗ったが、23歳からはずっと鹿児島市の「小金太ラーメン」に勤めている。「そこは友達の実家なんですよ。ボクシングへの理解もまあ、あるっちゃありますから」。

 なぜボクシングを続けてきたのか。そう聞くと、「他にすることもないですから」と笑った。続けて「熱い性格じゃないんで、ボクシングがなければ酒ばっか飲んでダメになる。腐っていくんです。それが嫌だから、じゃないですかね」。付け加えた言葉のほうが本心に近いのだろう。彼なりにボクシングをすることの意味を見つけ、中央からは遠い地で黙々と続けてきた姿が浮かんだ。

 2012年10月21日、29歳で迎えたデビュー戦。相手も新人だったが、いきなり「とんでもないパンチ」で倒された。立ちはだかったのが別府優樹(久留米櫛間)。後に「九州のタイソン」と呼ばれる、現WBOアジアパシフィック王者だ。「緊張しすぎて覚えてない。気がついたら倒れていた」。わずか95秒でKO負けした。

 12、13年は1試合ずつで、いずれも負け。14年は3試合して初勝利を含む1勝1敗1分け。15年は32歳で新人王戦にエントリーし、2連勝で西部日本新人王に輝いた。自分はプロボクサーだと胸を張れる初めての肩書きを手にした瞬間だった。中日本新人王との対抗戦で敗退したが、ここで初めて刈谷のリングにも上がっている。この年は自己最多の4試合。16年は試合なし。17年2試合、18年2試合、19年3試合と続く。この間、ブランクが何度かあったという。

 冒頭の「10回はボクシングを辞めている」の真意だが、手ひどい敗戦の後などに、会長に「もう辞めます」と言うことがよくあったのだという。それでジムから足が遠のくのだが、後日、会長から「引退届を出すぞ」と電話がかかってくると、急にボクシングが恋しくなる。「待ってください」と慌ててジムに顔を出し、また練習と仕事に明け暮れる日々が戻ってくる。その繰り返しだった。

 今は実家で「母ちゃん」と2人暮らし。父はすでに亡くなっている。母に「あんた、センスがないならやめろ」と言われながらも、ここまで来た。

    口調は常におどけているのだが、「今回、気合は入ってます」と言う。今年に入って「趣味の酒」を断つことに決めた。コロナ禍で試合が流れ、その時は少し飲んだが、この2カ月は一滴も飲まずに練習に励んできたという。

 ラストマッチか、延命か。刈谷のリングが運命の分かれ道になる。「相手はタイトル挑戦もしている強い選手ですからね。きれいなボクシングをする選手。勝つイメージですか?   あるっちゃありますけど…」。刈谷では過去1勝1敗。「九州より盛り上げてくれるイメージで、テンション上がりますね」と語った。

     これから練習に入る、ということだったので、私は「会場のどこかで見ています」と言って会話を終わらせようとした。相徳は最後にこう言った。「結果はどうであれ、全力でやれば後悔はしないと思うんです」。妙に実感がこもり、悟ったような口調に聞こえた。

(敬称略)

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