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【連載小説】「心の雛」最終話

(第一話はこちらから)
https://note.com/pekomogu/n/ne7057318d519

※この小説は、創作大賞2024「ファンタジー小説部門」応募作品です。


(本文 最終話 6,262字)


 トプトプトプ……。
 先生が私専用のティーカップにハーブティーを注ぐと、あたり一面にふんわりと香りが広がった。鼻を動かしてめいっぱい吸い込んだ。

 かのう様……先生と同じく人の「心」に触れることができる性質たちを持つ女性が帰ってから数週間が過ぎた。
 妖精シルフ狩りのために開発された「捕獲ちゃん」という道具で私を襲い、代わりに先生が大怪我を負う事態となったあの日のことは、今でも時々夢に見る。鎌が食い込んだ先生の肩から首からごぷりと溢れ出る鮮血……。歯を食いしばり出血のせいか震えている先生の真っ白な顔……。あんなことはもうたくさんだ。
 何日もかけて先生が私を整えてくださった。中指、人差し指、手のひらでなでながら身体のリズムを整える。何日も、何日も、ゆっくりと焦らずに治療を続け、今の私は昔のように心穏やかにこうしてハーブティーを楽しめるまでになっていた。

「本当にもう私を襲ってこないんでしょうか……?」
 私は疑問に思い先生に尋ねた。先生は首肯する。
「まぁ、私も腹をくくりましたので。少々手荒な真似はしましたが、叶様の大切なモノには触れておりませんし、時間が解決してくれるといいのですが……」
「手荒な真似って……?」
「脅しのようなものです」
 この優しい先生が? 私は驚きのあまり目をまんまるにした。

 事件の日から今日までに、叶様は二度、来院した。
 私はすっかり彼女に敵意を抱いているので睨みつけた。意図してないかもしれないが先生を殺そうとしたのだ。そんな人間を許せるはずがない。
 先生はいつも通りだった。まるであの事件などなかったかのように、急な来訪の理由わけと驚いたということと、これからおやつの時間なので診察はできないと普通に対応していた。
 なんとその日は彼女もおやつの場に同席した。
 私は先生の首元にぴたりと身体をくっつけてずっと彼女を凝視していた。監視してやる。
 事件の最後にお出ししたカモミールのハーブティーがとても美味しかったとのことだったので、その日も先生は同じティーを淹れた。彼女がそこにいる以外はいつも通りのおやつの時間だった。
 叶様は飲み終わってすぐに帰っていった。

 次もまた彼女はアポもなく急にやってきて、一緒におやつの時間を過ごした。
 この日は老舗店らしい高級プリンを手土産に持ってきた。
「高そうですね」
 先生の感想はそれだけだったので、私はつい吹き出してしまった。叶様は肩を竦めた。
「あまりこのような手土産は喜びませんか」
「いただけるのでしたら受け取りますが、僕にはもったいない代物です」
「プリンがお好きでしたら、世の中のいろんなプリンを召し上がりたいとは思わないのですか? これはなかなか手に入らない貴重品ですよ」
 叶様がもっともな意見を言った。先生は首を横に振る。
「僕の家は貧しかったので。高級なものでなくても構わないのです」
 私が、先生はいつもプリンを自分で作っているのだと言うと、彼女はかなり驚いていた。

 *  *  *

 それから何度も叶様は突然おやつの時間に現れた。手土産はプリンではなく牛乳が多かった。街で先生と私がよく買う安いやつだ。そっちの方が先生は喜んでいるみたいだった。
「先生」
 今日の先生はいつもの白衣と、その下にモカブラウンのYシャツとクリーム色のニットの重ね着スタイル。首の横にひきつれた傷跡がある以外はいつものかっこいい先生だった。私は小さな手で先生の首をさすった。
「どうしました? ひな
 大きな首にぎゅっと顔をうずめた。何でなのか。理由は簡単だ。叶様がここに来ると先生は彼女とばかり話をするからだ。
 先生が私に触れるけど、詳しい気持ちまでは分からないはずだ。
「いつ来ても仲がいいわね」
 叶様がため息をつきながら私達を見て言った。
「えぇ。毎日穏やかに楽しく暮らしておりますよ」
「そのようですわね。羨ましい限りです」
 私が睨んでいると、彼女とふと目が合った。
「そちらの彼女さんは不安でしょうね。私がここに来るたびに睨んでくるんですもの」
「そりゃそうです。また先生にひどいことするかもしれません」
「もうしませんよ。あの道具は捨てました」

 先生が淹れたてのハーブティーを彼女の前に静かに置いた。私の前にも、そして先生の前には珈琲といつものプリン。
「あ、今日の花の蜜はクローバーなんですね」
 六月のクローバーは蜂蜜でも有名だ。蜂が選ぶほど美味しい蜜が今日の私のおやつ。ちゅっちゅっちゅっとありがたくいただく。

 蜜を飲み、先生と叶様の会話をそれとなく聞く。彼女の手元——指先がほんのり桜色に塗られつやつやと光っていた——が美しく手入れされているのに気づき、私はしょんぼりとしてしまう。出会った頃からは想像もできないくらい叶様は美しくなった。心に余裕が出てきたのだろうか。悪魔のような表情はなりを潜め、目も穏やかで仕草も丁寧だ。きっと病院の院長として働いている間もこんな風に大人の女性らしく振る舞っているに違いない。
 私とは大違い……。
 クローバーの花を持つ自分の手を見た。小さくて、まぁ可愛いかもしれないが、先生を包んだりめいっぱいハグできるような手じゃない。足も貧弱。しかも裸足。服も質素で彼女と比べたらあまりにもみすぼらしいと思った。

「私がここに来たら困るでしょう」
「さぁ。僕は別に。貴女のことですから誰にも見つからない方法でここにやって来るとは思っておりますが……」
「そうですね。信用できる秘書にこちらまでの移動をお願いする以外は、誰にも」
 どうしてこっそりここに来るのかと疑問に思っていると、どうやら心の病院の院長が心の治療をしている事実は伏せておく必要がある、とのことだった。
「私はここに来るたびに気持ちが楽になるのです」
 目を伏せ、ゆっくりとティーを啜る彼女に私は言ってやった。
「……先生は貴女に治療はしてません」
「えぇ。ですが、ここは本当に落ち着くのです」
 私は複雑な心境だった。華奢なカップで優雅にティータイム嗜む彼女はとても美しい。ソーサーをそっと持ち上げながら飲むなんて、患者様でもしている姿を見たことがなかった。
「本当に、もう何もしません。落ち着いてきたら思考もきちんと動き出しました。今は冷静に今後の対策をいろいろ考えているところです」
「対策ですか」
 先生が無表情で尋ねた。
「えぇ。私だから、できることを、です」
 彼女は言い、先生は静かに珈琲を口にした。

 *  *  *

 またある日のこと。

「雛。どうしました? 今日はおやつは一緒には食べないのですか?」
 またまたまぁた、叶様がやって来た。私は拗ねて台所の蛇口にしがみつき、先生におしりを向けていた。
「あら、まぁ」
 叶様が口に手を当てて驚き、先生は私と彼女を交互に見て途方に暮れていた。
「雛? 具合が悪いのなら二階に行きましょうか」
「んー」
「雛……連れていきますよ。ほら、手に乗ってください」
「……一緒に二階に行ってくれるんですか?」
「……雛。叶様を見送る必要もありますし、一度は戻りますがその後は」
「名前だけで上手に感情を表現しないでください! しかも私が子供みたいじゃないですかぁ!」
 蛇口の上で足をバタバタさせて抵抗した。しばらく動かし、疲れたのでぐったりと蛇口に干されてみた。まるで布団かタオルになった気分だ。

「雛さん」
 ガサガサと何やら音がしたので振り向いた。
「雛さん。これ、今日のお土産はこちらです」
 牛乳ではなく茶色の紙袋を持ち上げ、叶様が私に言った。
 先生が私の代わりに受け取って良いか尋ね、私は了承したので先生がもらい、袋の中を開けた。

 見ると、可愛らしい女の子の服が入っていた。

「わ……わぁあぁーっ!」
 両手で服を持ち上げると、ちょうど私にピッタリのサイズだった。肩はむき出しで首の後ろでリボンを結ぶタイプ。キュッと絞られた腰から丈の短いスカートがふんわりと広がっている。三色の薄手のチュール生地が重なり合って絶妙な色合いを醸し出していた。
「素敵……‼」
「これは……叶様が?」
 先生が尋ねると彼女は言った。
「いいえ、私の知人に人形作家の方がいらして。その方に特注で作っていただいたものです」
「……怪しまれないものでしょうか」
「えぇ、まぁ。妖精の存在は医学会では証明済みですが一般にはおとぎ話の中だけの話ですからね」
「……そうですか。ありがとうございます」

 素敵だった。夢にまで見た、着たいと思っていた通りの服だった。
 前から、後ろから、リボンにもスカートにも触ってみた。


 私の空色の瞳から一雫の涙が溢れた。
 涙がまっすぐにテーブルに落ち、カランと乾いた音を立てた。
 妖精の涙は結晶化する。人間たちはそれを拾い、薬として飲むらしい。

 カラン、コロン、涙がどんどんこぼれ落ちていく音がする。


 歓喜の涙だった。


「雛にすごく似合いそうですね」
「先生……」
「私も雛にはいつも我慢ばかりさせてしまっておりますね。申し訳ない。こういう服を着てみたいと思っていたんですね」
 私がコクリと頷くと、先生が指の腹で優しく私の頭をなでてくれた。
「雛」
 私と目線を同じくらいになるようかがんだ先生が、静かに囁いた。
「これからは雛がうちにやって来た誕生日の日に、服をプレゼントすることにしましょうか。花でもいいのですが、もう裏庭にけっこう植えてしまったので……」
 天にも昇る気持ちだった。
 ――これから、がある。
 唯一残っていた背中の下羽も干からびて落ち、魔法を使いすぎれば鼻血とともにぶっ倒れるような私でも、これからを望んでいいということか。
 私はぎゅっともらったばかりの『妖精のような』服を抱きしめた。
 カラン、コロン、カラン、コロン。


「あ、先生」
「はい、何でしょうか」
「涙、拾っといてくださいね。薬になりますから」
 そう私が忠告すると、先生はキョトンとした。
「えぇと……拾いはしますが、保管はしませんよ?」
 えぇ⁉ と私はびっくりした。前は小瓶に集めて窓のところに飾っておいてくれていたのに!
「ま、前にいっぱい集めてたのは……?」
「あぁ、僕には不要なものですし、万が一残していて危険になることがないようにと、前に庭に撒きました」
 撒いたんかい! そんな、肥料じゃあるまいし!
 私が仏頂面になっていると、叶様がくすくすと……それから声を上げて笑い出した。
「撒い……。そうですか。庭に。……全く、貴方という人は……」
 彼女がこんなに笑っているのを初めて見た。治療はしていないのに。
 彼女はずっとくすくすしていた。

「あ」
 突然、穏やかに微笑んでいた先生がフッと真面目な顔になった。
 どうしたのか尋ねると、
「何だか、今、分かったような気がするのです」
 と呟いた。私も彼女も不思議そうに先生を見た。
「叶様がどうしてここに来るたびに穏やかになるのかが不思議でした。僕は彼女を整えておりませんし、していることといえば、ただこうしておやつを一緒に食べるくらいで」
「そうですね」
「でも、叶様はここでハーブティーを召し上がっています。そのハーブは裏庭から摘んできたものです。そのハーブの糧となるのは、水と土、それと太陽でしょうか」
 うんうんと私も彼女も頷いた。

「僕は庭に雛の涙を撒きました。それが、巡り巡ってハーブに溶けて、叶様が飲む。
 叶様が治っていっているのは、雛のおかげ、なのかなと思ったのです」

 叶様が目を瞠った。
「……そうですか。誰も……妖精ですら私を救うことはできないと諦めておりましたが。……知らず、雛さんには助けられていたのですね……」
「そうかもしれませんね」

 コトリ、と彼女はカップをソーサーに置いた。しばらくの間、皆黙っていた。

「雛さん。ありがとうございます」
 彼女が深々と私に一礼した。こんなにも人間って短期間に変わるものなのだろうか。二重人格か、と思うほど彼女の変わりようは凄まじいと思った。

「心先生も。感謝しきれないほど、いろんなことを教えていただきました」
「そうですか。僕は何もしておりませんが」
「私は……疲れていたのですね」
 出会ってから先生は何度も彼女に話していたと思うのだけど、彼女はようやく思い出したようだった。そんな彼女に私はきっぱりと言った。
「でも私は、貴女のしてきたことを許すことはできません」
「…………」
「全部を知っているわけじゃないけど、それでも、貴女は先生を傷つけました」
「……そうですね。それは事実です。私がしてきたことはなかったことにはなりません」
「この服……すごく素敵だけれど、それでも私は……」
 ギュッと服を握りしめ、眉根を寄せる。嬉しかったけど、苦しい、許したいけど、許せるものじゃないと心の奥底で私は囁く。

「……それで、良いのです」

 そう呟いた彼女はハーブティーを飲み干し、退席すると言った。
 椅子から立ち上がった時に彼女はちらりと小さな冷蔵庫の上にある写真立て――日焼けした大柄な男性と心先生が写っている――を見た気がしたけど、次の瞬間には下を向いていたのでよく分からなかった。

 私と先生が見送るために玄関までやって来た。

 もうここに来るのは最後にしますと言っていた。私は十分ハーブティーのおかげで救われたから、と。
「雛さん。許してもらうつもりなど毛頭ありません。……私にできることを、これから先、残りの人生をかけてやっていこうと考えております」
「はぁ」
「手にかけた妖精たちはしっかりと供養いたします。その上で、貴方達妖精に頼らない方法を模索するつもりです。あと少し、あと少しだけ私に猶予をください」
「……でも、私の仲間はもう戻らない……」
「えぇ……。それは、そうです……」
 私は先生の肩に座って首にしがみついていた。そっと添えている手が温かくて、嬉しかった。
「ハーブティー、ご馳走様でした」

 叶様がまっすぐに私を見て、そして帰って行った。


 私はさっき、一体何と言えばよかったのだろうか?
 先生の肩で揺られながら、ぼんやりと私は先ほどの一幕を反芻した。
 いくら考えても答えが出ない。優しい心先生なら許してあげるのだろうか……? 先生は何も言わなかったけど。

「これ、色が少し違いますね」
「え?」
 物思いに耽っていると、ほら、と先生が私の目の高さまで手を持ち上げ、見せてくれた。おやつの部屋でさっき私がテーブルに落とした涙の粒だった。色なんて全然気にしていなかったので分からなかった。先生曰く、いつものは青みがかった粒で、これは薄紅の色だという。

「雛が嬉しくなると、涙の色まで幸せな色になるんですね」

 先生が柔らかな笑顔で私に言った。
 一粒の色まできちんと覚えていてくれた先生、粒に優しい言葉を添えてくれる先生、この先も一緒にいていいと言い、私に寄り添ってくれる先生。

 何もかもが嬉しくて、愛しすぎて……。

「ちゅ」


 私は、心先生の唇に自分のミニサイズの唇を触れさせた。
 接触面は数ミリ。
 その小さな表面に、ありったけの愛を込めてキスをした。



 ここは心の病院。
 森の奥にひっそりと佇む、心の病を治すための場所だ。
 爽やかな風が時折吹く裏庭、木漏れ日の中で先生自ら淹れてくださるハーブティーを飲むと心が軽くなるとか。
 そんなのは気のせいよって? さぁ、どうでしょうね。嘘だと思うならここに来てのんびりしてはいかがでしょうか。
 ティーを飲まなくたってきっと何かが変わるはず。ここには貴方を傷つけるものは何もない。

 何もないから、それで充分。


(おしまい)


前の話へ / あとがき


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