連載小説「雲師」 第九話 雲をきりひらく 後編
優雨とシラスがいる場所からはるかはるか遠くの遠く……。
雲の上のさらに上の遠くの……。
つまり、めちゃくちゃ高い天上に、ソラはいた。
跨っているのはスパチュラ。魔女の空を飛ぶホウキみたいに雲師はスパチュラに乗って大空を駆ける。上空に行くにつれて風も強くなるので、雲師のローブにはフードが付いている。
光を纏ったような白色のソラのローブ。
「よし、行くよ……!!! シラス……、優雨……!!!」
フードをぐっと深く被り直し、右手に掴んだクラウドボー——今日は雲をドリルみたいに切り開きたいので、先端がナイフのように尖ったタイプ——をぎゅっと握りしめた。雲師の緊急事態に登場するような本物のドリル仕様の特化型クラウドボーはさすがに持っていないので、ソラは自分が回転しながら雲に穴を開ける姿をイメージする。
ローブの中に黒地のシャツを着込み、胸元に拳くらいの小さな巾着をぶら下げていた。巾着の中にはシラスの髪が一房入っている。「特別なおまじない」のおかげで下を向けばぼんやりとシラスの居場所を感じることができるから不思議だ。
シラスの首にはソラの髪入り巾着が。出発すれば動き始めたのもきっと分かってくれるのだろう。
ソラは大きく息を吸い込み、空色の瞳で足元の雲を睨みつけた。
足先が宙にふわっと浮かぶ。
ソラが少し上方に飛んだ後、体を旋回し下方にスパチュラの先端を向けた。
そして一瞬。
シュッと雲の中へと飛び込んだ……。
猛スピードで下降する。
棒の端にある刃先をやや斜めに構え、動かないよう固定させつつゆっくりと旋回しながら雲に丸く穴を開けていく。背中に上空の太陽の熱が当たってほんのりと温かい。
(時間が経てば、雲だから、穴が塞がってしまう……)
ソラは落ちていく。
どのくらい、落ちただろうか。
振り向いて確認している暇はない。ソラは到達点のシラスの感覚だけを頼りに一直線に下界へと向かって行った。
ゴブッ……!!!
(な、何……?)
ソラは驚いたが下降はやめない。スラリと長いクラウドボーを通して、雲の感触が少しずつ変わってきたのをソラは感じてきていた。スピードも落ち始めた。
(なにこれ……? 雲、固い……!)
旋回するスピードを早めてみて、なんとか穴を開けやすくしようと試みた。ズズ……ズ……と鈍い音がする雲が多くなってきてソラは唇を噛み締めた。
上の方はスパスパ切りやすかった雲なのに、だんだんと厚みが増したのか、力が必要になってきた。
「むううぅ〜〜〜〜〜!!!」
切れないことはない。ただ、時間がやたらとかかってしまう。
背中が温かいのが救いで、穴が塞がっていないことがソラにはありがたく感じられた。
ガッ……ツン!!!!!!
「……っ! きゃああっ…………!!!」
それはものすごく固い雲だった。
刃先が雲に突き刺さった。それまでの落下分のエネルギーも含めた力が、棒を握っていたソラの手のひらにダイレクトに戻ってきた。激しい痛みが手に伝わってきて、ソラはたまらず棒を掴んでいた手を離す。スパチュラを持っていた反対の手で痛む手を支え……つまり、ソラは雲の上でスパチュラから手を離してしまった。
クラウドボーが固い雲に突き刺さり、跳ね飛ばされたソラは一瞬で雲上に叩きつけられた。
乗り手を失ったスパチュラがポーンと弾け飛び、どこかに消えていった。
「寒くはないか?」
「……あ、うん! 上着を着てるから、わたしはだいじょうぶ」
地上では静かな庭でシラスと優雨がソラの到着を待っていた。
ピピピ……とのどかな小鳥のさえずりが時折聞こえるほかは、シン……と静まり返っていて何も聞こえない。
二言、三言二人で話をしていると、優雨のひざ上の腕置きクッションに乗せていた小さな手がピクリと動いた。優雨が耳をすませる様子を見せたので、シラスも周囲を警戒し始めた。優雨は目は見えないが耳がとても良い。
優雨の顎が少し上の方を向いた。
…………ヒュオン……ッ!
「げ! うおぉっ……!!!」
空からソラではなく長いものが落ちてきたので、シラスはとっさに持っていた彼のスパチュラで長いものを弾き返してしまった。木製の鈍い音がして、弾かれた棒状のものは遠くに飛んでいった。
「あぶねぇー! 優雨に当たらなくて良かった……!」
シラスがホッとため息をついた。
「なにか落ちてきたの?」
「あぁ、そうなんだ。ちょっと待っててもらっていいか? 一応何が落ちてきたのか確認してくる」
シラスが大急ぎで弾き飛ばしたものを見に行った。
しばらくして、大慌てでまた優雨のところまで戻ってきた。
「ゆ、優雨!」
「どうしたの?」
「さっき落ちてきたやつ……ソラの、飛ぶ時に使う棒だった……!」
シラスは胸の巾着を握りしめた、が、ソラの居場所の感覚はあるけれど動いていないようで戸惑ってしまった。
「シラスさん……! ソラさんが……ソラさんに、きっと何かあったんだわ!」
優雨は両手を胸の前で祈るように握りしめ、不安な表情で言った。
「そうかもな……」
たとえスパチュラがなくても雲から足を踏み外さない限りは雲師は落ちない。それはシラスもよく分かっている。ソラがいまだに落ちてきていないということは、たぶん無事なのだ。
(ただ、クラウドボーだけあったとして、今回の作戦はこれ以上は難しいだろうな……)
シラスは眉をぎゅっと寄せている優雨を見た。彼女に、陽光が作り出す暖かさを一瞬でもいいから贈ってあげたかった。
「ここはだいじょうぶ! シラスさん、行ってきて! そして、ふたりで戻ってきて!」
「優雨は⁉」
「だいじょうぶ。まってるから……」
シラスの本心は、一刻も早くソラのところに行きたかった。そして優雨も大事だ。シラスは優雨をここに置き去りにすることを渋った。だが優雨は、待っているから大丈夫と言ってくれている。迷っている間も、優雨は何度も「だいじょうぶ、だいじょうぶだから」と言い続けていた。シラスは決断した。
「ごめん! 優雨、すぐ戻るから!!!」
人間が近くにいたならシラスの大声に眉を潜める人もいただろう。幸い庭には優雨しかいなかった。シラスは両足で強く大地を蹴り、またたく間に空へとスパチュラを繰って飛んでいった。
(つづく)
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