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5/19 【ちゃんと、周りを頼るということ。】


幼少期からやってきたサッカーで、なぜかずっとキャプテンを務めてきた。中学の顧問に呼び出されたあの日のことを今でも覚えてる。そんな柄でもないと思っていたし、人をまとめるということを子どもだった自分はよく分かっていなかった。キャプテンシーなんてものは、よく分からなかった。

海外サッカーが好きだったので、そこで活躍するキャプテン(当時はジェラードとか長谷部とかよく見てた。熱い漢って感じ。)から学んできた。強烈なリーダーシップが人を惹きつける。そう思っていた。弱い部分はとにかく見せない。仲間の傷さえも己の背中で引き受ける。とにかくリーダーはそういうものなんだと、自分にずっと言い聞かせていた。

高校でもキャプテンを任されると、いよいよダサい自分を演じられなくなっていた。そんな姿は御法度だと、自分からよっこいしょと背負った十字架はどんどん重くなっていて、いつしか前に進めなくなっていた。中高で形成されたこのリーダーシップとやらは、大人になるにつれて役に立つどころか、自分の足を引っ張るようなものになってしまっていた。いや、リーダーシップというものを理想像だけでまとめ上げてしまっていたことが良くなかった。かっこよくないと、とにかく弱いところは見せてはいけないと、俺はジェラードにならないと。そんなことばかり考えた。


で、お察しの通りその後バタンと倒れた。倒れるべくして倒れた。急に倒れたんじゃない。十字架が象くらいでかくなり潰れてしまった。歩けない自分を俯瞰して上から見ていた。「おいおい、ジェラードはそんなところでくたばらないぜ?」なんて、自分の声で聞こえてくる。でも動けなかった。まるでチェルシー戦でやらかしてしまったジェラードのように。


このままでは生きていけない、そう直感的に思った。思ったは良いものの、なかなか小さい頃の感覚というのは抜けるものでなくて苦労した。変なとこでイキってしまう。中途半端なリーダーシップを持った中途半端な漢。笑える。もっとこのままでは生きていけないって思った。

で、武井壮さんのYouTubeを見て、自分は一旦死んだことにした。キャプテンとしての自分は、死んだ。てか殺した。その感覚を持ってからというもの、十字架がストンと落ちていき、足は軽くなり、なぜか頭もスッキリした。もう演じなくて良いんだ、その安堵感で涙が出た。


頼ろう。とことん頼ろう。で、ちゃんと返そう。それしかないんだと、また生まれてきた自分はこう生きようと思った。それで無理ならしょうがない。今までの逆で、ちょっと恥ずかしいんだけど、SOSを出せる男になろう。そう決めた。塩梅は見極めながら。

俺がまとめ上げる!じゃなくて、支えてください!にシフトチェンジしてみたら、不思議なことに今までよりも多くの人と関わりが持てた。丹後での生活が物語っている。大したことなんて何もできなかったけれど、これだけは決めてた。知り合いもいない地で生きていくための唯一の選択肢でもあったのかもしれないけど。笑

ジェラードだったあの頃の自分は、自立できていなかったと思う。今もできているかと言われればすごく怪しいが、あの頃より、だいぶマシ。タイトル画像にもあるけれど、自立は、まず頼るところからだなって本気で思えた。

頼ろう、俺らみたいな弱虫わ。どうせ1人じゃなんもできないんだ。実力ないんだよ。そこを認めよう。すごく楽になるよ。うつなんて、ほぼこれだよ。弱いんだよ俺らわ。これ読んでる君も弱い、OK?だから頼ろう。良いから頼ろう。でもちゃんとお返しはしよう。倍返しでもいい。その繰り返し。

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