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優しくできる俺は優しい

2024.05.21
ペぎんの日記#51
「優しくできる俺は優しい」


公共の時間にクラスメイトの1人が言った
「優しくできる俺、最高に優しくね?笑」
という言葉をずっと考えてる。

4月のはじめ頃、公共の本格的な授業に入る前に、「青年期の君たちと社会のつながりって何だろう」というようなテーマでいくつか活動をした。
その一つが、自分の性格を知ろうというもの。

設定された項目に1〜5で答えていき、最終的には答えた数字の和をとって、性格を診断する。

よくある性格診断だった。

全員が回答し、性格の分析が終わってから、フリートークの時間になった。好きな友人のところに結果を見せに行ったり、一人で黙々と性格の深い分析をしたりする。

そのときに、私の机のそばで固まっていた男子たちの会話。

A「いやwお前優しさの項目見栄はりすぎだろw」
B「どこがさー」
A「小学生が転んだら進んで助けます?」
A「はいだろ、どう考えたって」
B「いやお前そんなことしないだろw」
A「いやするって!だって周りに人がいるんでしょ?」
B「まぁ通学中とかだったらな」
A「だから、俺いい奴だと思われたいから小学生助ける」
B「それを『小学生を進んで助ける』で5にしちゃダメだろw」
A「なんでw現に助けてるんだから合ってるしょや!」
B「行動は優しいけど性格は優しくねえじゃんかw」
A「いやいやいや、よく考えてみ。この性格の悪い俺が、ころんだ小学生を助けるんよ?優しくないのに優しくできる俺、最高に優しくね?笑」

優しさとは、普段の優しくない自分を押し殺して、優しいふりをできることなんだろうか。

外面だけ優しくあり続けたら、内面は優しくなるんだろうか。
いや、そもそも内面が優しいとはどういう状態なのだろうか。

彼は、私は、優しいのだろうか。

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