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もっと遠くに

2024.06.18
ぺぎんの日記#77
「もっと遠くに」


今年になって、いつもの通学路にやたらと鹿やキツネが姿を現すようになった。

今日の帰り道、自転車で夜の闇の中を走っていると、アスファルトの道の奥に何やらキラリと光るものがある。

何かと思い、そっと近づいていくと、それは1匹の子ギツネであった。

歩道に座り込んで、何かを求めるような目でこちらを見る。

自転車に付けてけていたライトを外し、子ギツネを照らす。子ギツネは腰を上げたものの、しかしその場を動かない。

怪我をしているのかと思い、自転車を降りて近づいて、「わっ!」と驚かす。

子ギツネはビックリしたように道路脇の畑の小道に、数メートル離れていった。動きもしっかりしていたから致命的な怪我は無いようだ。

でもその子ギツネは、その道路から数メートル離れたところで、またこちらを見つめてくる。

この子は誰かに人間の食べ物を貰ってしまったのだろうか。はたまた親をこの近くで亡くしたのだろうか。

心は痛むが、ちゃんと怖がらせてあげた方が良い。足元に落ちていた石を拾い上げ、子ギツネに向かって投げる。

石は子ギツネの目の前に落ちる。その瞬間、子ギツネは跳び上がって逃げていく。

そうだ、遠くに行け。
振り返らないで、もっと遠くに。

私たち人間は、野生動物にはしっかりと嫌われていなければならない。そうでなければ、野生動物が人間の生活圏に侵入して、人間の生活に押しつぶされてしまうから。

もっと遠くに、もっと遠くに。
人間と動物の共存って何だろう。


【追記】2024.06.19 22:00
うすずさ さんのコメントへの返信

「観光ギツネ」と言って、道路脇に出現したキツネに対し、可愛いからと、観光客が餌付けをしてしまうケースがあるんです。道路脇にいると餌を貰えるということを学んだキツネは、車が通っていてもお構い無し。人間を怖がることもありません。簡単に道路に飛び出してくるようになります。そして車に轢かれて死んでしまうんです。
自然・動物との共生と聞いて思い浮かぶ「動物も人間も仲良し」のイメージ。でも本当は、お互いがお互いを本気で嫌ってこそ成り立つ「共生」という関係性なのではないかと思い、その矛盾を日記にしてみました。

ちなみに、鹿についてはキツネとは少し状況が異なりますが、キツネ同様、車など(鹿の場合特に汽車との衝突事故が多い)との衝突事故は増えています。
まず第一に、生息数が増えていること。冬の温暖化により、冬を越せずに死んでしまう個体が減ったため、年々鹿の数が増えています。
第二に、畑の野菜を食べに下界へ降りてくる個体が多くなったこと。耕作放棄地の増加で、人の生活圏に入り込みやすくなったり、森林伐採による生息地の減少で下界に降りてくるようになったりしています。

人の世界に踏み込み、そして殺されていく動物たち。そんな動物たちに私たちは何ができるのか。今日の日記にも書こうと思っている、「優しさ」と「知識」の関係。ちゃんと知識を得た上で、何が「優しさ」なのかしっかり考えて、彼らと向き合っていきたいなと思っています。

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