見出し画像

子どもたちとの出会いによって変わった私の思い込み

小学6年生の頃、「小学校の先生になりたい」という思いを抱いた。周りの仲間たちが悩んでいた進路希望調査も「小学校教諭になるために○○大学を志望します」と書けば肯定的に評価され、「良いねぇ!向いてるよ!」と周りの大人たちから褒めてもらえた。「何がやりたいか分からない」「受験に失敗したら生きていけない」と吐露する友人たちを横目に「自分は進路が決まっている」という安心感と優越感を抱いていた。今思えば、当時の自分は相当イヤなヤツだった。

希望通り教員養成系の大学に入学することができた私は、放課後の子どもたちと関わる場でのアルバイトを始めた。「自分はセンセイなんだ!」「センセイとして子どもたちに教えるんだ!」ー。そんな意気込み…というより、今思えば危うげな思い込みに浸っている自分がいた。子どもたちと関わり始めた初日。特別支援学級に在籍する子と遊んだ。当時の記録を読み返すと「すごろくを通して数の概念を身につけさせる」などと書かれている。なんて烏滸がましいのだろう。果てしなく「センセイ」だった当時の自分。恥ずかしく情けない限りだ。

そんな私の思い込みを変えてくれたのは「学校一の問題児」というレッテルを学校の先生たちから貼られてしまっている小学2年生のケイタだった。ある日、ケイタと彼の同級生のショウマ、そして私の3人で野球をして遊んでいた。ケイタはピッチャー、ショウマはバッター、私はキャッチャー。ケイタは野球が上手いわけではなく、なかなかストライクが入らない。故にショウマも打つことができずにいた。そんなショウマに対してケイタは

「何やってんだよ!」「下手くそ!」「辞めちまえ!」「バカヤロウ!」

と、あらん限りの罵声を浴びせ始めた。

ケイタに対して私は「この罵声をやめさせなければ!」という使命感で、「なんでそういうこと言うの?」と尋ねることにした。「まずは一旦『受容』した上で『でもね』と伝えると良い」と、何かで読んだ小手先の「テクニック」を使おうとしていたのだ。「自分はセンセイなんだ!」「センセイとしてケイタに『やってはいけないこと』を教えるんだ!」ー。

しかし、ケイタから返ってきたのは、思いがけない言葉だった。

「だってオレ、野球で先輩たちにいつもこういうこと言われてるんだよ!だからアイツ(ショウマ)にも同じことを言ってやるんだ!」

「…!そっ…かぁ…」

私は返す言葉を失い茫然と立ち尽くしてしまった。「学校一の問題児」というレッテルを貼られてしまっているケイタ。けれど、7年間生きてきた中で様々な苦しみや傷付きを体験してきたのだろう。そう考えると「教える」とか「諭す」とか「『正しい』方向に導いてあげる」などはオトナのエゴでしかないのだと感じてしまった。また、私自身も少年野球をしていた頃にコーチから受けた様々な暴言や「体罰」レベルで引っ叩かれたことがあり、そのトラウマ的な体験が蘇ってきた。もはやケイタとの間には「センセイ」と「コドモ」などといった序列関係ではなく、同じような苦しみや傷付きを受けてきたことを契機とする新たな関係性が生まれているようにさえ感じた。ケイタの言葉をきっかけとして、これまでの自分の思い込み(ケイタを「コドモ」、自分を「センセイ」と思い込んだ上で関わっていた)が崩れたと同時に、「学校一問題児」としてしか彼を捉えていない周囲のオトナたちに対する憤りが込み上げてきた。

「ドゴッ」

突然鈍い音とともに、背中に衝撃が走った。驚いて振り返ると「石」と呼ぶには大き過ぎるくらいの「岩」が転がっていた。そして「岩」が飛んできた方向に視線をやると、ショウマが鋭い視線で私を睨み付けているではないか。ショウマは言葉を発さなかった。しかし私には「オレは守ってくれないのかよ!」「ちゃんと〝オレたち〟を見ろよ!」という無言のメッセージが伝わってきた。そうだ。これまで私は十把一絡げに「コドモ」として捉え、あたかも「正解」となるルートに導いてあげることが「善」であると考えていた。それに対して「そうじゃないだろ!ケイタはケイタで、オレはオレだぞ!お前はそれが見えてるのか?見えてないだろ!」とショウマは伝えたかったのではないだろうか。ショウマの意図は今となってはわからない。けれど、少なくとも当時の私はこのように受け止めた。

「大丈夫?怪我はない?あぁいう時はガツンと言って良いんだからね。男性職員なんだから!」

一日の振り返りの場面、先輩スタッフが心配して声を掛けてくださった。物理的な痛みなどなんともなかった。それよりも私は、ケイタとショウマによって「思い込み」が打ち砕かれたことによる衝撃を受けていたのだった。「オトナの圧力を使って『ガツン』となんて言えるわけがない」「『男性』たるものかくあるべきという思い込みって怖いなぁ…」ー。心の中でそんなことを思いながら聞き流していたことを覚えている。この日を境に、私は毎日子どもたちと過ごした出来事や心が動いたことをA4のルーズリーフ表裏3枚以上書くようにした。少しでも自分の中の「思い込み」を排すため。そして、目の前の子どもたちの姿を捉え、共に揺れ動くための感性を忘れないためー。

この出来事から10年以上が経ち、私は小学校、学童保育、保育園といった様々な現場を経験してきた。ケイタとショウマとの出会いがあったからこそ、私は思い込みを変えることができた。

子どもたちを取り巻く環境を見てみると、未だに様々な「オトナ」の思い込みに溢れている。「べき」論が見え隠れする保育観や、予め定められた「正解」を教える−教わる十把一絡げな教育観。そこに「マニュアル化」「スタンダード化」「メソッド化」などの波が押し寄せる。ともすれば、私の進路希望調査のように、「思い込み」に気付かないほうが「センセイ」として苦しまず最短距離で楽に進んでいけるのかも知れない。けれど、だからこそ、あの日ケイタとショウマから受け取ったメッセージを絶対に忘れてはいけないと思う。

「自分は目の前に生きる子どもたちと同じ人間なんだ!」「人間として子どもたちと一緒に感じ、考えながら学びや遊び、知を共に創り続けていくんだ!」ー。

#思い込みが変わったこと

この記事が参加している募集

#子どもに教えられたこと

32,880件

#振り返りnote

84,890件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?