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毒親だと思っていた母の正体は、リトルプリンセス

 ゴールデンウィークに、両親と実家の犬と、夫と娘とチューリップ畑に行った。

 一番の目的は、娘と私たち夫婦の家族写真を撮ってもらうことだった。事前に母にも「娘が生まれてから、実は親子3人の写真撮ったことがないの。今日はお願いね」としっかりお願いしていた。
 しかし、いざ帰って各自が撮った写真を見返すと、まあ母の写真の多いこと多いこと。しかもどれもいい写真ばっかりだ。写真を取られるのが上手いというのだろうか、色とりどりの満開のチューリップの中、小さな孫を抱き寄せて、小首を傾げて満面の笑みを浮かべる姿は本当にチャーミングだ。
 確かに思い返すと、母は隙あらば孫を抱っこし、父、夫、私がチューリップを撮ろうとする度にスルッとその間に入り込んで来ていたような。我が家の3人写真を撮るようお願いしていたにも関わらず、そういえば母がカメラを自主的に構えた瞬間は一度もなかったような…。
 結果、肝心の我が親子3人の写真は、その日たった二枚だけだった。閉園間際、そういえばまだ3人の写真がない、ということで慌てて母に撮ってもらったやつで、画面の中央に笑えるくらい引きの絵で、私と夫がポツンと立って、大泣きしている娘をなんとか抱っこしている写真だった。しかも周りのチューリップはしぼみかけ。

 母は後から写真を見返して「素敵な写真をたくさんありがとう♡」と喜びつつも、一応私との当初の約束も気にしていたのであろう、「ママの撮った写真はダメダメね…またリベンジするね!」としょんぼりしていた。

 今回、しみじみ思った。
私の母は、いつまでも末っ子の甘え上手、永遠のリトルプリンセスなのだ、と。

 実際母は4兄弟の末っ子で、しかも上の3人とは比較的歳が離れている。その分両親は自分に関心がなかった!というのが幼少の母の悩みだったようだが、やはりそうは言っても、大家族の末っ子というものは大層可愛がられる存在だったに違いない。可愛い可愛い新品のテディベア(孫)は自分が抱っこしていたいし、その上で一番の注目の的(写真の被写体)は自分なのだと、一分も疑っていない。

 リトルプリンセスの子育てがあくまで自分中心なのも、至極自然なことなのだろう。王子様と結婚して幸せになった主人公。そして、可愛い子供に恵まれる主人公。彼女の中で、主人公が子供たちに代替わりすることはあり得ないのだ。母の無邪気なシンデレラストーリーに花を添えることに必死だったけど、そうじゃなくて、私は、プリンセスの子供が主人公のサイドストーリーを走らねばならなかったのだ。
 母のことを恐ろしい毒親だと思っていたけど、そうじゃない、永遠に小さな可愛いお姫様なんだなあと、そう思うとなんだか拍子抜けした。“お母さん”だと思って、理想的な“お母さん”の役割を期待するから辛くなるのだ。母のことを“リトルプリンセス”だと思うと、感情的なところも、猪突猛進で頑固なところも、自分に都合よく物事を解釈するところも、何だか可愛らしいなあ、仕方ないなと思えるようになってきた。


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