孤独と戦った末にみつけたもの
孤独と戦った末にみつけたもの、それは小さな幸せである。
今から、20年ほど前に、持病を発症した。
当時も孤独であっただろう。
もともと、一人っ子の鍵っ子で、一人は慣れているが。
成長過程で弱音を吐く、頼る人はいなかった。
しいていえば、祖母と同居していた伯母だけだったかもしれない。
持病を発症して、家庭では、空気になった。
狭いアパートの2段べっとで、ひとり寝たきりで、家族3人は、外へと揃ってお散歩で、ひとりお留守番が恒例であった。
3か月の緊急入院をし、家族の反対を受け、自宅に外泊が許されず、実家で闘病生活を行った。
でも、やっぱり家族のもとに帰りたくて、2段ベットの住人となった。
自宅に戻ると同時に、週2回、リハビリ施設に通う事で、生活リズムを取り戻す練習を行う。
リハビリ施設に通うのだけれど、当時の思い出は、行きかえりの歩道のタイルの模様を見ながら往復していた事だけである。
リハビリ施設は、同病の集まりであるが、通常、若い頃に発症する人が多く、結婚して、子供がいるのは、自分だけだった。
だから、家での出来事は、リハビリ施設では、話せなかった。
高齢の独身女性の人が、嫉妬深かったからである。
リハビリ施設では、会話も少なく、もくもくとハンドメイド商品を手掛けていった。
唯一、会話が出来たのは、ハンドメイドに詳しい職員さんである。
その職員さんは、本屋大賞などの単行本を貸してくださった。
どのくらいたったであろうか、自分の病気の事が知りたくて、同病の電話相談員の活動を始めた。
そこで、唯一、結婚をしていて、子供がいる人と繋がる。
発病当時は、何もできなくなってしまったが、少しずつ、亀の歩みで、小さなハードルを越え続け、出来る事が増えていった。
相も変わらず、家事は、進歩は無くヘルパーさんのお世話となる。
12年前、ブログを書くためにPCを触り始めたら、仕事のスキルは、目まぐるしく回復していき、アウトソーシングを始める。
しかしながら、自分に自信がもてなくて、今にも消え入りそうなのは、変わらなかった。
一念発起をして、WEB制作の職業訓練で、同病の人とふれあって、体調を崩す。
これ以上、家族の負担になってはいけない。
同病の人の症状に振り回され、リハビリ施設にもどっても、トラブルが続き、体調を崩す。
リハビリ施設には、10年近く通ったであろうか。
リハビリ施設では、時空を超えて、浦島太郎のように時を忘れていたことに気が付いた。
同病の人の中では、息が出来ない。
だからと言って、普通の社会でも生きられない。
今日もリビングの片隅のPCに向かってタイプを打つ。
自分だけの空間。
それは、小さな幸せ。
リハビリ施設では、人に囲まれていても孤独であった。
孤独の末に、自分で見つけた小さな幸せに現在、満たされている。
いただいたサポートで美味しいものを食べて、次のnoteに活かします。