家族に感謝しないと
今日は、お仕事が入りました。
安定した仕事の契約があると嬉しいですね。
やっと、その境地へ踏み込んだような気がします。
体力が削られる山のようなデーター入力や、調べ物が山のように時間がかかるライティングなどに比べて、現在の仕事は、なんて、ラッキーな仕事なのだろうかと、今回のクライアントさんとの出会いには、感謝しかありません。
さて、皆さんは、現在、幸せでしょうか?
アジフライは、幸せです。
でも、その幸せは、皆さんの1/10ぐらいの価値しかないかもしれません。
本当に、小さな、小さな出来事で、心が満たされるのです。
大きなことを成し遂げないととか、これでもか、これでもかと満たされない過去には、わからなかった感覚です。
40歳で持病を発病し、すべてを失ってからのリハビリの日々で、本来の幸せの形をみつけたからです。
でも、家族はどうなんだろうと、今日、あるドラマを観て思いました。
自分は、小さな幸せを感じているのは、過去の何もできない不自由な経験からくるものですが、家族を以前のように、守れなくなった現実もあるからです。
普通の母親だったら、もっと、もっと、手厚く家族に対してフォローが出来ていたでしょう。
家事どころか、外でバリバリに働いて、お金の余裕のある生活を家族に与える事が出来たかもしれないと思うと、何もなしえていない現実を指摘されると、それは、いたたまれない事でもあるわけで。
息子福山は、やさしい。
でも、ときどき切れて、今までどれだけ我慢してきたか、現在もすごく我慢して生活している事を言われることがあります。
言われれば、直そうと努力をしますが、それを継続するのは難しく、なかなか改善されない問題でもあります。
自分が生きる為に必要な幸せだけでは、家族は、満たされないのです。
それらは、お金で解決できるもろもろもありますが、そのお金を十分稼ぐ体力は、アジフライにはないし、自分の提供できる範囲でしか対応できない悔しさが継続できない思考回路しか持ち合わせていません。
持病の脳の働きを抑える薬が処方されている影響なのか、持病の症状からくるものなのか、定かではありません。
だから、家族は、我慢をする事しか出来ない。
持病の影響で、家事全般のリハビリがちっとも進まない中、なぜか、パソコンを使った作業が現役に近いぐらい復帰して、どうにか生きるのをやめなくて済みました。
でも、体力はないので、仕事の継続性は見込めないので、ばりばりとお金を稼ぐことは無理なんですけどね。
家族に感謝しないと。
いただいたサポートで美味しいものを食べて、次のnoteに活かします。