臍の緒切れちゃったから充電。
幼い頃、お祭りで売ってる蛙のおもちゃが好きだった。
その蛙はチューブに繋がっていてチューブの反対のポンプを握ると、足が伸びて蛙がジャンプする。僕はポンプを握り、蛙はぴよこんと、宙を舞う。
でも、チューブにヒビが入ったり、ポンプが破れたりすると、とたんに蛙は飛ばなくなる。何度握っても、どれだけ強く握っても蛙は動かない。動かなくなった蛙は、いつどこでなくしたんだろう。いつのまにか、どこかへ消えてしまった。
でも、人間は不思議。
へその緒が切れても、動き続ける。
いや逆に、へその緒が切れてからが、スタートなのかもしれない。
さて、シモーヌ、なんてね姉妹の、あんこ来訪記。
noteで知り合った姉妹が車でやってきて、1泊2日の小旅行なのである。
2日目の朝の物語のはじまりはじまりー。
翌日、僕は6時頃に目覚めた。そそくさとキッチンへ行き、まだ紫色の東の空を眺めながら野菜を切る。
地元の、
かぶ
にんじん
ネギ
丁寧に出汁パックの出汁をとって(西友 みなさまのお墨付きブランド 出汁パック)、切った野菜をじんわりと茹で、丁寧に味噌をといて味噌汁を作る。あとは、後入れの焼きネギをこんがり焼いうぎゃぁぁぁ!!!ふと目を離した隙に、どちゃくそに味噌汁を沸騰させてしまった!!!!ぐぎゃっ!
味見すると、やっぱり沸騰させた味噌汁の、豆が強く全面に出ている感じ。うーーー!!出汁の香りが飛んでしまっている。
でも、なんか、そこが逆に、田舎っぽくていい。と、開き直りの舞を舞う。ふたりは東京育ちなのである。
蕪の葉を茹で、刻んで塩と和えて、米と混ぜて菜っぱ飯をつくる。梅干しや漬け物などを用意して、木皿に盛る。
朝のゆっくりやわらかで穏やかな時間。
今日も晴れ。予報では雨だの曇りだの言ってたけど、晴れてくれた。いつもやってくるヒヨドリがなぞの鳴き方をして飛んでいく。
キッチンから窓の外の朝の景色を眺めていると、シモーヌさんが起きてきた、ふたりでぼそぼそと話して静かに時間を過ごし、そのあとなんてねさんが降りてきた。
さてさて、田舎の朝食をお出しする。
菜っぱ飯のおにぎりと、野菜の味噌汁の朝御飯。
実はこの朝御飯、みちが後に経営することになる食堂で、従業員の農家の娘たちの朝御飯としてみちが出していたもの。だからおにぎりのかたちは、おばあさんが握る丸っこいおにぎりではなく、薬売りの携行食としてのおにぎりの形。なので三角形のおにぎり。作者の細かなこだわりなのである。
そしてその後、三人で女郎塚へと向かう。
地方の村から、売られた娘たちは、宿場町などの女郎小屋で体を売る。
医療も発達していない時代なので、女郎小屋で一生を終える娘たちもいて、そんな娘たちは、治療も葬儀も供養もされず、遺体をただ近所の寺に放りこまれる。
仲間の女郎たちは、それじゃかわいそうだということで、各々でお金をだしあって、仲間の供養をする。ひとつの場所に、何人も葬られ、それを仲間たちが供養する。そうやって出来た、女郎塚。
ドラッグストア昔話のなかでも、その描写がある。もしかしたらみち自身も、その運命をたどっていたのかもしれない。
ドラッグストア最終話を書く前に、僕は何度目かの女郎塚へ行き、手を合わせた。
シモーヌさんに、そこへ行ってみたいか聞いたところ、ぜひ行かせてもらいたい、とのことで、三人で向かい、手を合わせる。寺の境内は静まり返り、やたらと青い空が、女郎塚の上に広がっていた。
お次はあんこ居住地のなかでも大きめの神社へ。
この神社は、昨日とはまた別の城のふもとに鎮座している。長い長い石段を登り、太陽の方へ向かって歩いてゆく。
澄みきった森と空と、大きな厳かな社。滝があるので、神社のなかには常に水の音。蟹座のあんこシモーヌは、水の音が好きなので、よく水場にすいよせられる。
参拝の後に、階段をおりてゆく。参道の階段からは、広々とした平野部に広がる街が見渡せる。なかなかにのどかで豊かな景色だと思う。
そして神社の下にはお寺があって、お寺のそばには、たい焼き屋がある。いつも行列が出来ていて、なかなか入れないたい焼き屋。なんと、今日はけっこう空いている。神社の参道から、ロケット花火のようにたい焼き屋を目指す。
鉄板にたい焼きの型がいくつもあって、大量にたい焼きが焼けるシステム(養殖)ではなく、一匹一匹専用の型があって、焼き上がったあとは金網の上で炙る。だから皮が均一に焼き上がり、まるでビスケットのようなさくりとした食感に仕上がる。いつしかこの焼き方を「天然」だとか、「一本釣り」だとか言われるようになった。
3人で、熱い茶をすすりながら、黙ってたい焼きを待つ。
特に話もしない。
黙って座って、景色を見たりしている。
そのうち、たい焼きが出てきて、3人で黙って食べる。
方々で、「さくり」「さくさく」「ふーふー」というたい焼きを食べる音だけが聞こえてくる。
そんな静かなたい焼き時間に、
ぶごおおおおおん ぶごおおおおおおおん
と、寺の鐘が響く。
まるで蟹を食べるかのごとく、誰もしゃべっていなかったことに気づいて笑う。
楽っ!気をつかわなくていいから楽!楽しい!
そしてそのあと、車で移動し、別の街へ。車を停め、升作りの工場や、商店街の黒猫などに接して、よく行くうどん屋に入る。
うどんのメニューのなかに、しのだうどんというメニューがあった。シモーヌさんはそれが気になって注文。しのだうどんってあんまり聞かないね、というと、店の女将が丁寧に、説明してくれる。
しのだというのは、大阪の信太山のしのだで、信太山にはきつねが住んでおったから、「きつねうどん」という甘いお揚げのうどんがこの世に出てくるまえは、油揚げを刻んでうどんにのせたものを「しのだうどん」って呼んでたんだよ。
ちょうど昨日、信太山の話をパスタを食べながらしていたので、三人とも、デジャヴ感。
そしてまた、三人黙ってうどんを食べていると、テレビで「芋煮」の特集が。
シモーヌ「芋煮、食べたことないんですよねー」
あんこ「うち、けっこう芋煮やりますよ、あ!じゃあ今日は芋煮つくりましょうか!」
ということで、今夜は芋煮を作ることになった。ちなみになんてねさんはこの会話の時、どこかに消えている。なんてねさんは、店に入ると、必ずどこかに消えるのだ。
この町は、夏には湧き水で水まんじゅうが作られ、商店街の店先で売られる。ちなみにこの町にも、また別のお城がある。昨日と今日で、なぜか3つのお城をめぐっている。別にだれもお城ファンではないのに。
歩いて車まで戻ってくると、けっこう町中をぐるりと歩き回ったので、ほんのり疲れている。だから、新潟から仕入れた笹団子を、おふたりに食べてもらう。
みちと善右衛門が、新潟で薬を仕入れ、売り歩くときに、いつも腰にさげて歩いた、笹団子。
僕は昔から、桜餅とか柏餅とか、ちまきなどの、草に巻かれた餅が大好きで、今でもこれを書きながら、イヤーマフのように笹団子を耳につけている。それぐらい 草+餅 という組み合わせが好きなのである。
甘くて笹の香りのする餅を頬張りながら一行は次のスポットへ向かう。
あんこ御用達の、薬草湯治場へ向かったのである。
波長の合う人と会う時間は、冬の日だまりのような、寒い夜のコーンポタージュのような、そんな時間のように思う。
そんなふうな人と繋がれると、離れているのに繋がっているような、そんな感覚が生まれる。
人は液体じゃないし、合わさって交わるということのできない生き物だから、そういう人たちと繋がって充電するのは、とっても大切ですね。
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