伊勢に美人が多すぎたので僕の中にいろいろと動揺とかが走った。

そうなんです。

先日の伊勢神宮参拝で、一泊二日という詰め込みすぎたハードスケジュールのなかで、さまざまな場所をまわりました。まるで古い時計塔の歯車たちのように必死に歩き回りました。

神宮関連の場所もまわりましたが、そりゃもう、おかげ横丁も歩くし、そりゃもう、銭湯はいくし、そりゃもう、面白いゲストハウスには泊まるしで、心の松花堂弁当でした。

そんななか、伊勢を歩いていて、動揺が走りました。現地の娘たちがめちゃくちゃ美人ぞろいなのです。観光地だから美人ばっかり採用したのかな?というほど、美人だらけで、箸とか耳たぶとかいろいろなものが震えました。

あんころもちの子らも、川のそばのカフェの子も、美しい娘ばかりで、これはお伊勢さんのご利益なのか?と、不思議な気持ちで見つめていたんです。

三重 美人 多い とかで検索すると、何年か前の統計で、三重の女性はスタイルが良いので姿美人です、みたいに書かれていたのだけれど、いや、姿だけじゃないと思うよ、と全力で反論しました。何かに。

参勤交代の途中で、美しい娘ばかりを各地の藩主やその部下たちが娶って歩いたので、江戸より西側のとある地域は、美人が少ないという風にいわれておりますが、伊勢は逆に、さまざまな日本人が昔から訪れていたので、たくさんの遺伝子の集合地点なのかもしれません。

人間が、一般的に「美男美女」と認識する顔というのは、人々の平均値の顔のことをいうそうです。例えばテスト点数トップの成績の子でも、最下位の成績の子でもなく、平均点の子を、僕たちは美男美女だと認識するのだそうです。だから、僕的には、遺伝子集合説を、声とかを大にして唱えたい。だから伊勢には美人が多いと叫びたい。ルビンの壺のなかに叫ぶんじゃなくて、両側にいる無表情の二人の男の耳の穴に向けて叫びたい。

さらに、伊勢 美人 多い で検索してみると、「古事記」まで出現しました。古事記や日本書紀には、天皇の周りにいる美しい女性たち、釆女(うねめ)の事が記されていますが、その中に伊勢の采女が何度も登場するそうです。天皇のおそばに仕えるので、容姿端麗でお金持ちの娘たちなわけです。

つまり、僕が感じた「伊勢って美人が多くないですか」という感想は、古事記の時代からのものであったということです。

ほれみろ。

ほれみろ。


お嫁に、伊勢ってめっちゃ美人多いね、って報告すると、マスクしてるからかもしれへんで、マスク外したら、ガチャピンみたいな顔やったらどおすんの。っていわれて更に動揺が走りました。牛の群れに火を放って牛の群れが突進してくるような動揺が走りました。牛そのものも走りました。

確かに僕は、伊勢美人たちの顔の全貌を見ていない。マスクをとったら、ガチャピンなのかもしれないでも僕は古事記を信じるっ。

大学の卒業式の、あのざるそばのお重みたいな帽子のやつを卒業式に放り投げるみたいに、みんながマスクを放り投げる日が来れば、僕は真っ先に伊勢に行く。そしてまた、伊勢うどんの濃いめのうどんの出汁をすすり、盛大に白いシャツにかけてしまうのだ。芸術家の絵がうまくいかなくて、キャンバスに絵の具をぶちまけるみたいに盛大に。そして落ち込むのだ。でもその時は大丈夫。美人がたくさんいるから。アマビエ早くして。

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