私たちは子どもに何ができるのか――非認知能力を育み、格差に挑む

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認知能力と非認知能力
非認知能力とは、やり抜く力、好奇心、自制心、忍耐力、共感力といったような気質である。いわば、個人の性格特性のようなものである。
認知能力とは、知能検査で測定できる、いわば学校の授業で習うような項目である。
それぞれEQとIQと捉えると理解しやすい。

子どもの期間、特に就学前に適切な環境を構築できるかどうかが非認知能力の育成に大きな影響を与える。
6歳未満、もっといえば3歳未満の時期こそが非認知能力を育てる上で重要な期間になる。ーそれは、良い意味でも悪い意味でも。
幼少期に開いた非認知能力の差は、その後の人生を大きく左右する。この時期にどれだけ非認知能力を身につけられるかで、その後の学歴、就職、収入といったものまで決まってくると言っても過言ではない。

認知能力と違い、非認知能力は教えられて身につくものではない。取り巻く環境から生まれるものである。逆の見方をすれば、子ども本人にあれこれ行うというよりも、いかに良い環境を作れるかが重要である。
では、子どもにとって良い環境・悪い環境とはどんなものなのだろうか。健康や知的刺激はこうしたものの一つとしてあげられる。
悪い環境で一番大きなものは「ストレスにさらされること」だ。幼い頃に高レベルのストレスを経験すると脳の発達に悪影響を与える。感情の制御や記憶力、認識力等の成長が阻害されてしまう。
良い影響とは、良好な人間関係、特に家族や親の反応だ。温かく気配りの行き届いた子育てをすることができれば、子どもは安心や自信を持つことができる。

果たして幼少期の教育がどれだけ重要視されているだろうか。また、その中でも非認知能力を伸ばすという視点をどれだけ持てているだろうか。子どもの頃から英語を習うのは英語を話せるようになるため?水泳や体操を習うのは運動神経を良くするため?もちろんそれもあるだろうが、そこだけを見てしまうと本質を見誤る。子どもの頃こそ、そういった習い事を通して非認知能力を身につけられるように支援したい。

よく、東大生の親の年収を持ち出して格差社会が語られることがある。本来見るべきは親の年収ではなく、幼少期の環境なのではないか。おそらく、親が高収入→幼少期に良い環境が構築されている→非認知能力が伸びる→認知能力に好影響を与えるという関係性が見出せそうだ。親が高収入だから東大に受かる、という点だけしか見ないと、すべきことが何も生まれない(あえて言えば、とにかく稼ぐ、や金銭的支援を行う、か)。先の仮説が正しいのであれば、幼少期に良い環境を作る必要がある、そのために必要な金銭的・物的・人的支援(介入)を行うということが考えられそうだ。

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